八話 見えざる魔女のあまり想像したくない未来の話

「陽、わたくしはあなたに嫌われたくないと思っているの…………思っているから正直に告白すると、他の魔女との協力に乗り気でないのはあなたを独占できなくなるからという気持ちも多分に含まれているの」


 僕が思い浮かんでもあえて指摘出来なかったことを結が自ら口にした。長い孤独の中でようやく出会えた自分を認識できる存在を独占したいと思うのは当然のことで、他の魔女との協力はその邪魔をされる可能性を生む行為に他ならない。


「だけどこれは比較的まともな見えざる魔女としての本気の忠告でもあるの…………あなたの存在は下手をすれば人類の数少ない生き残りを全滅させる要因となりうる、それをよく踏まえて他の魔女と接触すべきかを考えて欲しいのよ」

「そ、それは大袈裟なんじゃ…………」


 僕は思わず顔を引きつらせながらそう口にするが、自分で口にしながらそれが大袈裟でも何でもないことに気づいてしまっていた…………長い孤独を生きて来た魔女であれば僕を独占したいと思うというのはほんの少し前に自分で考えたばかりだ。


 僕の存在を知れば結から奪って独占しようとする魔女が現れるだろうし、奪われれば結は奪い返そうとするだろう。


 下手をすればそれは殺し合いに発展し、仮にその決着がつかずとも争いの間放置された都市がどうなるかなんて考えたくもない…………そして仮にそんな奪い合いが発生せずとも他の都市にいる魔女が僕に会いに来るだけでも問題だ。その魔女が不在の間に担当する都市が見えざる獣に滅ぼされる可能性が出来てしまうのだから。


「う」

「ようやく理解してくれたみたいで嬉しいの」


 思わずうめいた僕に結は肩を竦める。


「わたくしは嫌われたくないからあなたに配慮していくらか我慢はするし、一度見捨ててしまったとはいえ都市の人達が皆死んでしまえとは思っていないの…………でも、あなたを奪われる事よりはあなたに嫌われることをわたくしは選ぶと思うのよ」


 もしも他の魔女と競合する事態になれば僕の意思や都市の安全に関わらずその確保を優先すると結は告げる。比較的自分はまともな方だと自称する彼女でこうなのだから、他の魔女が僕にどういう反応を見せるかはやはり想像通りなのだろう。


「あなたの気持ちもわかるけど、他の魔女については諦めて欲しいの…………わたくしだって他の魔女に仲間意識がないわけではないけど、それ以上にあなたの存在は魔女にとって大きすぎるのよ」

「…………うん」


 僕は頷くしかない。魔女たちにとって僕という存在の価値をいささか見誤っていた。比喩ではなく僕の存在が魔女たちを惑わして生き残った人類を滅ぼしかねない。


「出来れば言いたくない話だったけど仕方なく話したの…………悪いようにはとらないで欲しいのよ」

「それはわかってるよ」


 結からすれば僕を独占するために他の魔女との接触を禁じようとしていると取られかねない話だ。だからこそ自分からは話題に出さなかったし僕に聞かれて仕方なく事情を話したという事なのだろう。


「誰も彼もを救う選択肢なんて選べることの方が少ないの…………だからあなたにはせめて今あるものを確実に守る選択をして欲しいの」


 そう告げる結が正しいと思いつつも、僕は肯定する言葉を口に出来なかった。


                ◇


「それで私のところに来たという事かね」

「はい」


 あれから結は僕に考える時間をくれたのか、いつもより早い時間に帰ってもいいと言ってくれた。僕はその好意に素直に甘え、けれど帰宅はしないでそのまま支倉司令官へと連絡を取って面会することにしたのだ。


「まあ、相談に乗ると言ったのは私だしその内容も重要ではある」


 僕の訪問に異存はないと言うように支倉司令官は頷き、僕を見る。


「だが前にも言った通り私は君に選択を強要できない…………それは理解しているな?」


 支倉司令は防衛隊の最高権力者ではあるが、それゆえに現状を正しく伝えられており都市が見えざる魔女の力によって守られていることを知っている。だから彼女のお気に入りであろう僕に何かを強要して、肝心の魔女の不興を買うような真似はできないのだ。


「それは、わかってます」


 組織の歯車として思考を放棄する楽な選択は許されない。僕は自分で選んだことに責任を持って行動しなくてはならないのだ…………それがどんな結果に繋がろうとも。


「とはいえ君の想う通りにしたまえでは相談相手として意味も無かろう…………まあ、君と私の意見がそれほど違っているとは思えんがね」


 僕も支倉司令も自分には常識的な倫理があると自認している。もちろんそこに個人的な嗜好や性格に立場も加わるが、結論にそれほど大きな差異は出ないはずである。


「ですが、これはどの視点から見るかで話が変わってきます」

「そうだろうな」


 支倉司令は頷く。


「私の立場からすれば最優先されるべきはこの都市の安全だ…………しかし人類全体の視点から見れば他の魔女とのコンタクトを取り協力して見えざる獣の対処に乗り出すのが理想的ではある」


 そう、そうなのだ。結以外の魔女に接触しないならこの都市が守られるだけでそれ以上の解決は起こらない…………今ここにある者は守れるけどそれ以上のものは守れないのだ。もしもこの都市だけではなく全ての都市と人類を救いたいなら他の魔女への接触は必須だ。


「だがそのリスクは大きい…………今のところ君は一人しかいないからな」

「…………はい」


 結が僕に説明したことは誇張でも何でもないだろう。僕の存在を知れば魔女たちは協力するより独占の為に僕を奪い合う可能性は高いし、結も東都の防衛よりもそちらの争いを優先するだろう…………彼女が僕に配慮してくれているのは今のところ僕を独占出来ているという精神的な余裕が大きいはずだ。


 しかしそれは僕が奪われる可能性が生まれるだけで簡単に揺らいでしまう程度のものでしかない。


「私であればそのリスクはとり難い。賭けはそのリスクが許容できる範囲で行うべきだと考えるからな…………君という存在が魔女たちに知られた場合に起こるであろうリスクは許容できる範囲を大きく超えているだろう」


 何せ僕は他の魔女の現状を知る事すらできていないのだ。結程度に精神性を保った魔女ばかりだとしてもリスクは大きいのに、以前に彼女が出会ったという悪辣な魔女のような者が一人でもいればリスクはさらに跳ね上がる。


「だが案が無いわけでもない」

「あるんですか!」


 それだけで相談しに来た甲斐はあると僕が飛びつくと、支倉司令は苦笑する。


「まあ案、というほどでもないがね…………少しばかり君は結論を急ぎ過ぎていないかという話だよ」

「急ぎすぎ、ですか?」


 そんなつもりは無かったが、支倉司令から落ち着いた視線で見られると落ち着かない気分になる。


「さしあたり急いで魔女たちに協力を促す必要はあるのかという話だ」

「それは…………今も見えざる獣はやって来ますし」

「だがそれは見えざる魔女によって対処可能だ」

「それは、そうですけど」


 根本的な解決にはなっていないただの対処でしかない。


「まあ、極端な言い方をするなら今すぐ魔女たちの協力を促して獣を対処しなければ人類は滅ぶのかという話だよ」

「それなら…………滅ばない、かと」


 見えざる獣は途切れることなく現れるが、その数や質が魔女の脅威になるほど変化したという話は結からは聞いていない。つまるところ獣の脅威の大きさに関してはそれが出現した当時から変化はないわけで、現状からいきなり悪化してどうこうという話ではないと思う。


「ですが魔女の方は…………その、僕が偶然にも見える様にならなければこの都市もどうなっていたかわからないわけですし」

「だが全ての魔女が一斉に心折れるわけでもないだろうし、これまで耐えて来た魔女たちの心が折れるリスクよりは君の存在が対策も無しに明るみになるリスクの方が大きいだろう」

「それは…………」


 そうだろうと僕は納得してしまう。


「だとすれば現状維持のリスクは小さいと考えられる」

「…………でもそれでは何も変わりません」

「いや、変わるものはある…………君と接し続ける魔女に変化はあるはずだ」

「!?」


 僕はハッとした表情を浮かべる。僕が魔女に与える急激な影響に関しては当人である結からも忠告されて自覚していたが、長期的な影響に関しては失念していた。


「今すぐには無理だろうが、一年…………いや、十年も共に過ごせば平常の人間と同じ精神性を取り戻す可能性はゼロではないだろう」


 そうなれば僕を奪われる可能性に怯えて暴走する可能性も低くなるだろう。そして完全にまともな魔女が一人いるなら他の魔女との接触も穏便に済ませられる可能性は出て来る。両方が暴走してしまえばどうしようもなくなるが、一方が宥める側に回るのなら周囲への被害は最小限に抑えられるかもしれない。


「その程度の時間の余裕は人類には残されているだろう」

「でも、十年ですよ?」


 十年という時間は決して短くはない。それもあくまで何の根拠もない見込みの時間で、実際には十年どころか二十年かかったっておかしくはない…………なにせその何倍もの時間をかけて魔女たちはまともではいられなくなったのだから。


「十年も経てば僕も30近い歳です」

「ふむ、そうか。そうだな」


 僕の言いたいことに気付いたのか支倉司令が瞑目して頷く。


「それから二十年、三十年と経てば何かの病気で死んだっておかしくない」


 都市の平均寿命は決して高いとは言えない。医療技術こそ発達しているものの都市周辺の環境の悪化と閉鎖空間での生活による免疫機能の低下などで人間という種そのものが弱くなってしまっているのだろう。こんな世界になる前は平均寿命も百に届こうかという水準だったらしいが、今ではその面影もない。


「見えざる魔女には寿命がないか、とても長生きなんだと思いますが…………僕がそれと同等になった感じはしないですから」


 体の調子は悪くないし肉体的にも多少は頑強になった感覚はある。だけど劇的に自分という存在が変わったような感じはせず、結のように生命維持のための食事が必要なくなるということもなかった。見えざる魔女と違って普通の人から認識されることを考えれば僕が彼女らや獣と同等の存在ではないのは明らかだ。


 恐らく僕は少しばかり普通の人よりは魔女や獣に近いだけの存在で、けれどそれで向上したのがものを認識する能力だったおかげで彼女を認識できているのではないだろうか。


「結に十年としても他の魔女を落ち着かせるのには何年かかるのか…………そのペースだと見えざる獣をどうにかする段階に進む前に多分僕の寿命が先に来ますし、僕が死んだ後の魔女たちがどんな反応を見せるのかは想像したくもないです」


 一度失ってそのありがたみを知り、絶望の中でようやく再度手に入れたものが失われたらその悲しみは最初の比ではないように思う。自死を選ぶものも出るだろうし、自暴自棄になって自分が守るべきものを壊したりするかもしれない。


「だから多少のリスクを負ってでも見えざる獣の対処を優先すべきと?」

「はい、そしてその後は彼女たちを孤独から解放する研究を大々的に進めるべきです」


 見えざる獣さえいなくなれば防衛隊に割く都市のリソースを回せるようになるのだから不可能ではないだろう。もちろん件の天才科学者のような存在はそうそういないだろうから研究も簡単ではないだろう…………けれど自分達を救おうと大勢の人々が行動しているという事実が与える影響は大きいのではないだろうかと思う。


 思うに現状の魔女たちの精神状況は都市が民衆の不安を抑えるために彼女らの情報を隠匿してしまったことにあるのではないだろうか…………無償の正義なんて長く続くものじゃない。自分の努力が誰からも評価されなければ次第に虚しくなるものだろう。


「ふむ、それはもっともではあるが…………それでもやはり急ぎ過ぎのように感じる」

「そう、ですか?」

「例えば君が寿命で死ぬ前に、君と同じような人間が現れる可能性だってあるだろう」

「あ」


 言われてみれば確かにそうだ。


「君が見えざる魔女や獣を認識できるようになった理由はわからないが…………それはもしかしたら我々人間が見えざる獣という存在に適応して進化しつつある結果なのかもしれない。もしもそうだとすれば第二第三の君が現れたっておかしくはないだろう」

「そう、ですね」

「無論そんなものは確証もない仮説でしかないがね」


 それも僕の存在を明かせない現状では確認しようもない話だ。


「ともあれ時間は先ほども述べたように余裕がないわけではない…………今すぐに結論を出さずとももう少し彼女と接して考えてみてはどうかね」

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