七話 見えざる魔女とまともでいられなかった少女達の話

「そういえば、というか今更なんだけど」


 結に見えざる魔女の力を見せつけられてから一週間ほどが経った。その間も二度ほど見えざる獣が都市に近づいてきたが彼女はあっさりと撃退している。その事実には流石に僕も考えは改めるしかなく、素直に戦うことは諦めて結の相手に専念しようと決めていた。


「見えざる獣って…………なんなの?」


 そんな経緯もあってようやく僕も気持ちが落ち着いて、そんな疑問を口にする余裕も生まれたのだった。


「何って、人類の敵なの」


 僕の淹れたコーヒーを口にしながら結が答える。がっついて嫌われたくないというのが彼女の言ではあるが、今のところ会って話して一緒に食事をする程度で満足してくれている…………まあ、相変わらずマント一枚だし僕が帰ってから街に出かけているような気配はあるけれど。


「そうじゃなくて…………正体というか生態というか」


 見えざる獣が見えるようになってその驚異のほどは僕も確認した。しかしこうして落ち着けるようになって考えてみるとそれが何なのかはわからない。その実在を伝え聞いている支倉司令官も、見えざる獣は突然現れた天災のような存在という認識でしかなかった。


 もちろんその存在を認識すらできない人類側にその無知を問うのは無慈悲な話だ。しかし彼らと長い間戦い続けていた結であればと僕は思ったのだ。


「生憎だけどあなたの望むような答えをわたくしは持たないの」


 けれどそんな僕に彼女は首を振る。


「…………気にはならなかったの?」


 見えざる獣は結をその境遇に追い込んだ元凶だ。それにその素性を調べて根本を断つことが出来れば彼らと戦い続ける状況からは解放される。


「その余裕が無かったのよ」

「えっ、でも」


 あれだけ簡単に獣共を屠れるのだから余裕はありそうに思える。


「わたくしとあなたが出会ってから何度獣がやって来たのか考えてみるの」

「それは、三度だよね?」


 力の証明の際に一度とその後に二度だ。


「助けた時を含めれば四度なの」

「あ、そうか」


 意識を失う寸前に見かけただけとは言え僕と結の厳密な出会いはそこだ。


「その四度は十日程度の間にやって来ているのよ」

「…………多いね」


 考えてみれば二日か三日に一度は獣の襲撃がある計算だ。あれだけの数がその頻度で東都にやって来ていたことを考えると僕はぞっとした。


「あいつらはどこからともなく現れるのよ。警戒して見回りしたはずの場所から前触れもなく現れたことも一度や二度ではないの…………だから東都を守る事を考えたらあまり離れられないのよ」


 この東都に魔女は結ただ一人。それでは都市を離れて獣を調査することなど出来るはずもないのだ。


「えっと、どこからともなくっていうのは結にも見えないところからってことかな?」

「そうなるの。恐らく位相とか関係なくこの世界ではないところから現れているのだとわたくしは推察しているのよ」


 見えざる魔女と獣は同質の存在だ。その彼女にも見えないという事は単純に視界の外から現れていると考えるしかない…………つまり見えざる獣はこの世の存在ではない異世界からの侵略者という事になるのだろうか。


「でもそれって街の中にいきなり現れることもあるってことじゃ…………?」

「それは大丈夫なのよ」


 実現するなら恐ろしい話でしかないが、けれど結はあっさりと否定する。


「獣は魔女から一定の距離内には現れられないみたいなの」

「…………それならよかった」


 僕はほっと息を吐く。防壁の内側に直接見えざる獣が現れようなら例えそれが一匹でもどうにもならず東都は終わりだ…………けれどその事実は都市の防衛としては非常に助かるもののますます結が東都から離れられない理由になってしまっている。


「ごめん、僕が少し浅はかだった」


 考えてみればそれができるならとうの昔に結はやっているはずなのだ。安易に口にする前に彼女がそれを出来ていない理由があるのだと察するべきだった。


「ううん、わたくしも疑問に思うのは当然だと思うのよ」


 気にしていないというように結は首を振る。


「だから先んじて次に浮かぶであろう疑問にも答えておくの…………他の魔女と協力して調査するというのは不可能なのよ」

「それは…………数の問題?」


 質問を先んじられたことに戸惑いつつも僕は尋ねる。


「それもあるの。魔女の人数は基本的に都市に一人ずつしか残らなかったから、協力したところで手が足りないという問題は解決しないの」


 自分が調査している間に他の魔女に都市を守ってもらおうとしても、その魔女が本来守るべき都市が無防備になるだけなのだ。


「でも基本的にはってことはそうじゃない都市もあるってことだよね?」


 その言い方は逆に言えば複数の魔女によって守られる都市もあるという事だ。都市の数に対して魔女の数が上回っているなら、単純にその余剰分は調査に回せる計算になる。


「…………」


 それに結は少し困ったような表情を浮かべ、次に悩むように眉をひそめて…………最後に何かを決心するように真っ直ぐ僕を見つめた。


「陽、わたくしには露出趣味があるの」

 うん、知ってる。


「正直に言うとあなたに見られて毎日興奮してるの。マントで隠し切れない部分を見てしまって陽が顔を赤くして目を逸らす度に背筋がぞくぞくして震えるの」

「…………」


 それは聞きたくなかった。


「その侮蔑ぶべつの視線にも少し興奮するの」

「それを聞かされて僕にどうしろと」

「ちょっとした前振りなのよ」

「…………」


 真面目な話からの突然の性癖暴露がなんの前振りなんだろうか。


「陽、わたくしは確かに露出趣味のある変態かもしれないの…………だけど、それでも魔女の中ではかなりまともな方なのよ?」

「!?」


 それは衝撃的な発言だった。僕は見えざる魔女の中でも結が個性的なのだろうと考えていたので、魔女の全てが彼女と同等かそれ以上などとは予想もしていなかった。


「かなり失礼な想像をしている顔なの…………よく考えてみるのよ。普通の人間がまともなまま誰からも認識されないという孤独の中で生きて居られるはずがないの」

「それは…………」

「前にも言ったけどわたくしは誰かに自分を気付いてほしくて裸になったの…………そしていつか誰かが見てくれるかもという可能性に興奮を覚えることで、誰からも認識されないことを耐えられるようになったのよ」

「…………」


 その告白だけ見たら正直何を言っているんだとつっこみたくなるけれど、そうなるに至った要因が重すぎるせいで僕は何も言い返せず黙るしかなかった。


「少なくともわたくしの趣味には害はないの…………だけど、他者に害を与えるような趣味で精神の均衡を保った魔女も中にはいるのよ」

「…………どんな魔女か聞いていい?」


 躊躇いがちに僕が尋ねると、それを口にすることを恥じるように結は頷く。


「前置いておくけど誰も彼もが最初から頭がおかしかったわけじゃないの…………あの実験で生き残った魔女たちは皆誰かの為に自分を犠牲に出来る心の持ち主だったのよ」

「…………わかってるよ」


 全ては孤独と重責が歪めてしまったのだ。その責任を誰に問うかとすれば人類存続の為のにえとなった少女達ではなく、その恩恵を享受きょうじゅして生きていただけの僕らに向けられるべきだ。


「ある日わたくしの元に一人の魔女がやって来たの」

「!?」


 先ほどまでの話といきなり矛盾する出だしに僕は驚くが、話の腰を折らないように口には出さないよう努めた。


「自分の担当の都市が滅んだのだと話したその魔女は、聞いてもないのにこれまでの経緯をわたくしに語り出したのよ…………正直に言えばわたくしも同じ気持ちだったのだけれど、こちらが口を挟む余裕を与えてはくれなかったの」


 それは久しぶりの人との会話だったのだろう。両者ともに会話に飢えていたのだからどちらも話したいことは山ほどあっただろうし、会話によるコミュニケーションも一種の技術と考えればそれが衰えて協調し合えなかったとしても不思議ではない。


「その魔女は喜々として退屈潰しの方法をわたくしに教えてくれたの…………それは自分が認識されないことを利用して都市に住まう人々の人間関係を崩していくという方法だったの。最初は夫婦や恋人同士の些細な擦れ違いを助長させて喧嘩や仲違いを楽しんでいたらしいのだけど…………次第にエスカレートして企業間の争いや政治家同士の抗争なんかを引きを起こすようになったらしいの」

「それは…………」

「そう、最悪なの」


 普通の人々の不和をあおり、さらには社会情勢に影響を与える人たちを争わせる。その原因となるのは誰にも認識されない見えざる魔女なのだから真犯人を見つけて解決というような可能性も存在しないし、その魔女はさらなる燃料を投下し続けたのだろう…………つまりはどちらかが倒れるまで争い続けるしかない。


「最終的にはその都市に住まう人々の誰もが自分以外を信じられない状態になったようなのよ…………自分達と同じように皆も孤独にしてやったわとその魔女は笑っていたの。それからのことはもう言わなくてもわかるはずなのよ」


 誰もが他人を疑っていがみ合うような社会が成立するはずもない。内乱が起こったのかそれとも単純に身近な人々との争いが全ての場所で起こったのか…………いずれにせよ見えざる獣という脅威関係なしにその都市は滅んだのだろう。


「…………その魔女は?」

「わたくしが殺したの」


 躊躇うそぶりも見せず結は答えた。


「わたくしがその話で気分を害したのを見ると去ろうとしたのだけど…………あんなものを生かしておくわけにはいかなかったのよ」


 恐らくその魔女は同類を探しに来たのだろう。しかし結は違ったから大人しく別の魔女を当たろうとした…………けれど結はそれを許さなかった。将来的に確実に危険になるであろうその芽をすぐに取り除くことを選択したらしい。


「その魔女はわたくしに会う前に何度か他の魔女にも会ったと話していたの…………彼女ほど悪辣ではなかったにせよまともな魔女などいなかったと言っていたのよ」


 その魔女と同調しなかったのだから悪辣あくらつではないにせよ、去るままに見逃したことを考えれば正義感は薄まっていたという事なのだろうか…………とはいえまだ情報が少なすぎて僕には判断できそうにはない。


「それでも一人くらいはまともな魔女がと思っている顔なの」


 そんな僕に結はふう、と溜息を吐く。


「仮にそんな魔女がいるとしても、結局協力なんて不可能なのよ」


 そして冷静に現実を告げた。

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