六話 見えざる魔女の実力と世界に刻み込んだもの
「何って…………この街を守るために僕も戦いたいって話だけど」
それ自体は
「二つ、勘違いがあるの」
諭すように結は指を二本立てる。
「一つはあなたの見えるというその能力は衆目に明かされていいものではないの。それがわかってるから司令官もあなたに自由を与えると同時に通常の職務から外したのよ」
「え、でも」
「でももかかしもないの」
聞き分けのない子供を叱るように結が眉をしかめる。
「そもそもこの都市は見えざる獣の存在を虚構だと信じているから安定している面もあるのよ。その実在を裏付けるような存在は好ましくないの」
「…………」
結の指摘に僕は押し黙る。仮に全てが明らかにされていたら都市の人々はもっと不安を抱えて生活している事だろう。都市はこちらから認識することも出来ない存在に脅かされており防衛隊も絶対の対抗策を持たない…………唯一の希望は獣同様にこちらからは認識する子も出来ない孤独な少女一人だけ、そんな事実が人々を不安に駆り立てないはずがない。
だからこそかつての都市の上層部は真実を一部の人間以外に秘匿することを選んだのだ。
「それに、あなたが目立つのは危険。どこかの都市から他の魔女の目が潜んでいるかわからない」
「他の魔女が…………危険?」
「それに関してはまた今度に話すの」
今話すつもりはないらしく、結はそう言って残るは一本と僕に指を突きつける。
「二つ目は、わたくしの戦力を低く見積もり過ぎているの…………この都市を守ることくらいわたくし一人で充分なのよ」
きっぱりと結は告げるが、僕の顔には懐疑的な表情が浮かんでいた。
「いやでも、あの虫みたいなやつらは大群でやってくるんだろ?」
視認できたのはあの夜が初めてでほんの僅かな時間でしかなかったが、見えざる獣と呼ばれる虫のような外見の侵略者は防壁の一面を覆い尽くすような数で迫って来ていた。
それが偶々多かったのか毎回同じ数なのか僕にはまだ判断できないが、防衛隊の射撃で数を減らして討ち漏らしのフォローを結がやっていたのじゃないかと考えていたのだ。
「あの程度の数大したことないの」
「大したことないって言っても…………数は力だし」
確かに単体なら僕が拳銃で倒せる程度ではあったけど、一個人で相手をするにはどう考えたって手が足りない。
「説明するのは簡単だけど、言葉で納得させるのは面倒なの」
そんな僕に結はそんなことを言い、僕の手を掴んだ。
「えっと?」
「ちょうど近くに来てるの、手っ取り早くその目で確認させてあげるの」
「…………え?」
呆けたように僕が呟いたその瞬間、目の前の光景が目まぐるしく加速した。
◇
次々に切り替わっていく視界の中で辛うじて僕に理解できたのは、どうやら猛烈な速度であの倉庫から街の外へと移動しているという事だけだった。それだけの速度で引っ張り続けられているのに不思議と掴まれた左手は痛くはない。
問題は結に声を掛けようと前を見ると見えてはいけないものが視界一杯に飛び込んでくることだ…………半ば宙を引きずられるように手を引っ張られ続ける僕が前を向けば当然彼女の後姿が目に飛び込んでくるわけで、風圧に煽られた布のマントはもはや目隠しの意味を持たず彼女の肢体は僕の前で
「ううっ」
僕とて健康的な男ではあるからそれを意識しないはずもない。けれど喜々としてそれを喜ぶのは流石に人としてどうかと思うし、何よりも現状で彼女をそんな目で見るのは罪悪感を覚えるのだ。
「ついたの」
そんな
そして都市の代わりに見えるものがあった。遠方よりこちらに向かってくる無数の影。ぱっと見では数え切れないほどの見えざる獣が群れて迫って来ていた。
「あっ、武器…………」
反射的にライフルを構えようとしてそれがないことに気付く。当たり前だが必要のない時に銃器の携帯許可は出ないし、そもそも結に会いに行く時に持って行く必要性を感じるわけでもない。
「わたくしに任せればいいの」
戸惑う僕に結はそう言い放つと見えざる獣達に向かって前に出る。見るからに彼我の戦力差は明らかで、その数を前に武器も持たないほぼ全裸の少女が勝てるとは思えなかった。
「武器ならあるの」
すると結はどこに持っていたのか小さなナイフを取り出して僕に見せる…………本当にどこに持っていたんだろうか。彼女の羽織っているのはマントだけだったのに。
「って、違う! そんなナイフ一本で何ができるっていうんだ!」
確かに見えざる獣は単体で見れば強くない印象だったが、それはあくまで銃という強力な遠距離武器を手にしていた場合の話だ。その身一つで相手にするにはあの巨体と長く尖った脚は充分以上の脅威に思える。
「見えざる魔女はただ見えざる獣が見えるだけの人間ではないの」
振り返り、じっと僕を結が見る。
「見えざる魔女はその名称通り超常なる力を操る魔女なのよ」
「え、いやでも」
確かに目の前の少女は普通ではないが、僕から見えるその普通ではない部分は性癖敵なものであって物理的な脅威に対抗できそうなものではない…………ここ最近は確かにこれまでの常識から外れたものばかり見ているが、それでも僕にとって魔女とか魔法みたいなものは現実からかけ離れたファンタジーの領域だ。
「見てればわかるの」
そんな僕にそう告げると結は遠巻きに見える見えざる獣の群れに対して跳躍する。最初は軽く跳んだように見えたその跳躍は、後ろで見ている僕も驚くほどに飛距離を伸ばして彼我の距離を僅かな時間で縮めてしまった。
着地した結と獣との距離はおおよそ五十メートルほど、そして僕との距離は二百メートルくらいだろうか…………彼女はその手に握る小さなナイフを横に大きく振りかぶる。その手に握るのが例えナイフではなく日本刀であっても届くはずのない距離のはずだった。
「!?」
けれど結がそれを振るったその瞬間に刀身が大きく伸びたのが僕には見えた。横薙ぎに振るわれたそのナイフは届くはずのない距離をその刀身で埋めて、見えざる獣の群れを切り裂いていく…………単純に刀身が伸びただけではそれはありえない。
その細く長くなった刀身が恐ろしく頑丈でなければ獣を斬るどころかその前に自重で折れてしまうだろうし、尋常でない
「軽いものなの」
聞こえるはずのない呟きが僕まで届く。たったの一振りで見えざる獣の群れはその八割ほどが両断されて崩れ落ちていた。残る二割も突然群れの大半がやられたことで即座に逃げる判断を下して身を翻す…………けれどそれに意味はない。
群れの八割を一撃で屠った相手に、残りの二割がいかなる行動をしようとも意味のある結果にはなりえないのだから。
一振り、二振り
「ほら、もう終わったの」
遠い向こうでほんの一歩だけ結がこちらに足を伸ばした…………それが見えた次の瞬間には彼女は目の前に居て僕に話しかけていた。それは先ほどの異様に伸びる跳躍とは違って今度は瞬間移動のように見えた。
あえて最初と異なる移動方法で戻ってきたのは自分の力を僕に見せつけるためだろう。確かに見えざる獣の殲滅と合わせて僕の彼女に対する印象はまるで変ってしまった。
「それが、見えざる魔女の力?」
「その通りなの」
結が頷く。確かにそれだけの力があれば僕の手助けどころか防衛隊も必要ない。
彼女がきちんと見えざる獣に対処していればあの夜のようなことが起こるはずもなく、だからこれまで都市も防衛隊も何の被害も出てこなかったのだろう…………それが人々から獣の存在の真偽そのものを疑わせる結果になり、結のやる気を損なわせたのは皮肉としか言いようがない。
「見えざる魔女は獣と同じく人とは違う位相の存在…………人よりも世界を動かすシステムとでもいうべきものに近い位置にいるの」
見えざる魔女も獣も人とは違う位相に存在しているのだと前に結から聞いた。しかしそれはただ位相がずれているというだけではなく、どうやら人よりも上位の位置にいるという事なのだろう。
「つまり、魔女はその世界そのもののシステムを?」
「そうなるの。わたくしたちは魔女になる際にそのシステムに自身の想念とでも呼ぶような物を意図せず刻み込んだの…………その想念に沿った形でシステムに干渉して世界を改変できるのよ」
「想念?」
「見えざる魔女になる際に強く思っていたことが影響したみたいなのよ。人間性はもちろんあるけど、実験に対する不安とかそういうものも影響したの」
つまり単純に当人の信念とかに沿ったようなものばかりではなく、外部的な影響も加味されてしまっているということらしい。
「えっと、結のそれはどんなものか聞いても?」
「構わないのよ」
少し
「伸ばす」
その言葉を彼女は口にする。
「これがわたくしの世界に刻み込んだ想念なのよ」
それを聞いて僕は先ほどの見えざる獣との戦闘で彼女が見せた力に納得がいった。最初の跳躍はその距離を「伸ばし」たのだろうし、ナイフの刀身はもちろんその耐久力すらも「伸ばす」ことが出来たのだと考えれば納得がいく…………瞬間移動のようなあの一歩は歩幅を「伸ばした」結果だろうか?
「その、それはなんで?」
だけどどうして結がその言葉を世界に刻み込むことになったのかはわからない。
「単に不安だっただけなのよ」
当時を思い出すように憂いた表情で彼女は答える。
「自分が見えざる獣と同質の存在になる。世界を救う存在になる。そんなことが、その為の実験が不安で不安で仕方なくて…………開始までの時間が伸びて欲しいって」
それは誰だって感じる当たり前の願望だった。目の前に迫る嫌な時間が少しでも先延ばしになって欲しいと願う逃避の思考。
「それが始まるまで、ずっとそう願ってただけなのよ」
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