二十二個めの、記憶の断片

 よくある結末だった。私がまだ小さかった頃にも聞いたことのあるその帰結。私の母親はそのテの話が大好きでよく家族に話をしては兄を辟易させていたのを覚えている。

私と本間敦と斎藤春也。そして、斎藤百花との間にある表沙汰にできない関係性が週刊誌記者によって暴露された。

『人気ゲーム実況者・Pと人気アイドル声優・Eの破綻した関係』

『オタク産業の闇! 実業家と実況者を股にかける女!』

 実物の雑誌媒体の販売数低下を憂う彼らはインターネットに活路を見出したと言う。人間あれば醜聞あり。その原則は例えコンテンツがアニメに切り替わっても根本的には変化しない。人間の営みの中にあるものは、人間の営み……ただ、それのみだ。

 ここで書かれている悪女然とした女。美徳を持たない人間とはつまり私のことを指している。そのはずなのに、私は何故だかその記事から現実味を感じなかった。

まるで他人のようだった。ゲーム『プレーン・コレクション』のシュペルエタンダールが私の怨敵となったのと同じように、声優・遠藤蓮花さえも私の遠くにいる、どこにいるとも知れない壮烈なる架空の一人の悪女のように思えてくる。

『蓮花ちゃん、ネットの記事あんまり見ないでね』

 あの時と全く同じ文面を事務所の人は送りつけてくる。

誰かが。私の知る誰かがこの事実について情報を漏らしたのだろうか……少しの間だけ考えて、それはないだろう、と思った。斎藤春也がそれを言い立てたところで利益もない。斎藤百花はあのように、陰そのもののようになろうとする光であったし、本間敦はこうして完全に声優・遠藤蓮花が破綻した後も私の心配をして眠れない夜を過ごしていそうで、寧ろそちらの方がよほど気がかりだった。

 私は本人に聞いてみた。

「本間くん」

 彼は驚いていた。私が彼の名前を呼んだからか、彼に親しげに声をかけたからか、思っていたよりもずっと私が平静であったからか。或いはその全てか。

 彼は言った。

「なあ。あまり無理せんほうがいいよ」

 私は笑った。そこにおかしいことは何一つないというのに、私は笑っていた。

「あはは。そうだね。今君が言っていることは限りなく正しいね」

「たまには正論言わんと人間良くないやろ、そんなもんよ」

「そんなもん、か」

「そう、そう。そんなもん」

 正直に言って。彼は告白する。

「今も君が心配で、動画を作るどころの騒ぎじゃない。一本、お茶濁す程度の動画撮ったけど、そんぐらいやね」

「……ごめんね」

「ああもう。そういうしみったれたのはもう、いいんだよ。全部もう必要ない。必要ないんだ。だからさ……無理はすんなよな」

「うん」

 私は素直にそう答えた。その時に私は初めて、彼の前で自分自身の素顔をさらけ出したような、そんな気がした。

「あのさ……本間、さん」

「何よ? 山本……さん」

「私、一週間以内にここを出ます」

「おいおい。無理すんなって言ったばっかやん」

「無理してないよ。私がそうしたいから、そうするの」

「……なら、ええよ。好きにしてくれ」

「一つ、お願いがあるんだけど」

「なんだよ今更。気にする仲かよ」

 そう言って彼は笑う。私も心の底から、笑う。

「部屋のもの、全部捨てちゃってよ」

「なんだよ、その程度のこと……別に」

「部屋ね、ぐっちゃぐちゃなんだ。もう何が必要で、何が不必要で。何が持ち物で何がゴミなのかも、分かんないぐらいに」

「そうなんやろなあ、とは思ってたよ」

「だからいっそ、綺麗サッパリ全部ない方がいっそ、清々しいぐらいに思ってる」

「でもさ。あのアニメのDVDはどうするのよ。思い出の作品じゃないのか」

「いいよ……しばらくは。欲しくなったらまた買うよ。勿体ないと思うなら、売れそうな奴は売っちゃっていいよ。きっと大変だろうけど、お願い」

「今更断るか? 断らんよ」

 そう言って彼は微笑んだ。綺麗な、屈託のない笑みだった。

 こうした会話をこなして幾らか準備をした後に、私は彼……本間敦と別れた。荷物はキャリーケース一つと、非実用的な小さいリュックに纏められる範囲に収まった。

私は、事務所からの半ば強制的な隔離を受けて、事務所のお金でビジネスホテルに宿泊することになる。心配性の本間敦が、何処か別の部屋を借りようかとも申し出てきたが、断った。あれだけ世話になったのに、また世話になるわけにも行かない。三角関係を作り出した私自身が言うのもおかしい話だが、どこかで良いお嫁さんでも見つけられればいいのになと彼に対して思う。これからは、少なくとも私のような性悪女には、引っかからないようにと願う……無責任な話だ。全く、自分でも笑ってしまう。

 インターネット上では私に関連する様々な言説が飛び交っている。

『シュペの声優最悪すぎ。ピリ辛に土下座しろ』

『遠藤蓮花は自分はシュペに似てるってライブで言ってたけど、シュペちゃんはもっと綺麗な良い子だから。お前みたいなメンヘラ女と一緒にされたらシュペがかわいそうだ』

『本当に最悪。平安時代なら物忌入ってる』

『正直、シュペの声優がそういうことしてるのは解釈一致。でもキャラと声優が悪いところまで似る必要はどこにもないだろ』

『遠藤さん、ライブとかラジオ全部休んでる。心配だ』

『一番可哀想なのはピリ辛ではなく、シュペ推しだろ』

 わざわざ検索しなくても流れてくる一連のコメント群。皮肉にも私は人生二度目の、SNSトレンド入りを果たした。一度目はあのライブの時に、二度目は今この時に。

もう一人の彼。斎藤春也からも連絡が入る。私はそれをしばらくの間無視したが、何度も何度も電話が掛かってくるので、一度だけそれに出た。

『大丈夫? 生きてる?』

「ここは地獄です。このお電話は現在、閻魔大王の目の前から」

『そういうのはいいんだ。それより、無事で良かった。飛び降りたりしてないよな』

「しても別に、良かったんですけど」

『冗談じゃないよ。勘弁してくれ』

 それは私の死に対して思う感情ではない。私の死によって付随する自己に対する社会的評価の変化にこそ、心が寄っている。

『週刊誌の奴ら、絶対に許しちゃ駄目だぞ。訴訟するならお金ぐらい出すから、心配しないで』

「ああ、うん……その。はい……もう、そういうのいいよ」

『え?』

「今まで物凄く良くしてくれたよね。それは知ってる。私はだから今、あなたを責める気はないの。だからもう、この話はお終いにしようよ。私達の関係も、電話もさ」

 私はそう言った。彼は黙り込んで、何も話さない。ただ無言の電話が永く続いた。

 私はふと、思ったことを口にする。

「夢の輝き」

『え?』

「夢の輝きは、私にありましたか。私はきらきら、してたんですか」

『……なんだ。百花と会ったのか』

「会いました。話も聞きました……百花さんも、あなたも、どちらもとても、かわいそうな人たちです」

『そうかい……まあ、そうなんだろうね』

「さっきの質問、答えてくれると嬉しいです」

『うん。そうか……百花と話しているなら、話すよ。君は僕が見ている間、ずっと。ずっと輝き続けていた』

 だから、と彼が言う。

『だから、ずっと一緒に居た』

 彼は結局そこで好きだった、とも。嫌いだった、とも。どちらも言わなかった。ただ一緒に居た、とだけ言った。

「さようなら。ありがとうございました」

 私がそう言うと、彼の方から電話を切ったのが分かった。

 そこから一週間に渡って私はホテルに缶詰にされた。

 とは言え、不便はなかった。事務所の気遣いなのか、このビジネスホテルには大浴場もあるし、出前を取るのも自由だったので、寧ろ太ることの方がよほど心配だった。

 その間に、一つの記事が投下された。

 その記事を書いたのは以前に『プレ・コレ』及びシュペルエタンダールに言及し、少し炎上した例の批評家のもので、今回起きた騒動に対する率直な感想を述べたものだった。

「彼女は主人公の妹であったかもしれないが、シュペルエタンダールというキャラクターにとっては絶対に必要な存在だった。先の件は非常に悲しいことのように思う。しかし、それでもシュペルエタンダールの声優は彼女以外にはありえない。私はそう、断言する」

 この記事は、最初のあの記事が出た時と同様に、小さく燃えた。それらのコメントの大半は

『部外者の評論家が適当言ってんじゃねえよ』

というものであり、インターネットの通論は声優・遠藤蓮花を悪者にするということで方針が決まっているらしい。

私はその記事を読んだ。あの頃の、私がそれを鼻で笑っていた時よりもずっと真剣に、その記事を読んだ。

 私はその中身を知り、泣いた。

こんなに本気で心の底から泣いたのは一体、いつぶりだろうか、と自分で考えるぐらい私は、大声を上げて、泣いた。

私の過去の記憶を辿っていって出てきたのは、私があの静岡の実家に居た頃に家族からアニメコンテンツを全否定されて、悔し涙を流したあの時のことだった。

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