二十個めの、記憶の断片
仕事の時間。私の無軌道な生活の中に残された清冽な時間。
私がここまで来たのも、このようになったのも、全ての原因は私が今このような仕事をしているということから因果は始まっている。最後に残った私の清冽さが、全ての始まりである時間にのみ残されているとは、何と皮肉なことであろう。
その日の私はばっちりキメていた。ちょっと自然派でガーリーなふんわりとした、森ガール風なファッション。その統一感。
その日のアフレコは、ゲーム『プレ・コレ』シュペルエタンダールの、期間限定で実装される新規カード……
【非実在少女。】シュペルエタンダール
……の台詞を吹き込むものだった。
私はその台詞に息を呑んだ。脚本家のペン先には魔力が宿っているのだということを、この時強く実感した。
その台詞群は、私にとってのシュペルエタンダールの解釈と完全に一致したものだった。
『本当の私なんて、知られたくない。この人は、私をどこまで知っているんだろう』
『どうして近付くの、傷つくだけなのに……』
『ねえ、コマンダンテ。あなたは、私をどう思っているの?』
……ああ。なんと可憐なことだろう。偶像シュペルエタンダールの要素を完全にさらったこの内容から私は、ゲーム運営の本気を感じ取った。失敗できる仕事では、ない。
「遠藤蓮花さん」
プロデューサーは私に言う。
「今回のシナリオ、いいですよね」
私は即答した。
「ひゃい! あ! その……変な声出ちゃった」
プロデューサーを含むその場の何人かが朗らかに笑う。
こほん。私はわざとらしく咳をする。
「本当、そう思います……このシナリオのシュペちゃん、本当に可愛いですよね。複雑で、綺麗で……何か憂いを帯びている感じがたまらなくて」
そうだよね、そうだよね。プロデューサーはそう繰り返す。
「脚本くんには、期間限定実装だから、本当に良い物を作って欲しいと頼んだんだ。立派な仕事だよ。ここに遠藤さんの声が加わればもう怖いものなしだ」
よろしくね。プロデューサーはそう言った。私ははい、と答える。
マイクの前に立つ。私は台本を読む。多数の台詞がある。
「どんな時でも、人生の明るい場所を見ていましょう」
「久々にみたわ……ゴダールなんて、何年ぶりかしら」
「本当の私なんて、知られたくない。この人は、私をどこまで知っているんだろう」
「どうして近付くの、傷つくだけなのに……」
私は言った。
「ねえ、コマンダンテ。あなたは、私をどう思っているの?」
そこで、終わった。私は裏に居るプロデューサーの顔を見た。
固まっていた。
そう形容する他ない。普段はニコニコ顔で、怒っている様子さえイメージできないような人なのに、その時だけは固まって、表情一つ浮かべていない。彼は、固まっていた。
表情が、変わった。
憤怒の表情だった。彼は何か音声に指示をした。向こう側のマイクがオンになる。彼は言った。それは殆ど、叫びに近かった。
「遠藤さん。今から厳しいことを言う。少し覚悟して欲しい」
何を言っているんですかプロデューサー。困惑の声が向こうから聞こえてくる。彼はそれを意に介さない。
「言い方は悪いが、君の今の演技じゃあ」
彼は言った。決定的な、一言だった。
「それじゃあまるで、シュペが売女みたいじゃないですか!」
きいん、と音がする。一瞬の静寂の後、他のスタッフが諫言する。
『プロデューサー、それはセクハラです。放送禁止用語です』
『なんてこと言うんですか。遠藤さんは功労者ですよ』
『ちょっと頭を冷やして下さい。言っていいことと悪いことぐらい、プロデューサーにも分かるはずでしょう』
そうした喧々囂々としたやり取り、言い合いを耳にしながら、私は一人静かにマイクの前で立ち尽くしていた。
私は。
私、声優・遠藤蓮花は……この時初めて、敗北した。
「負けてやるものか」
あの頃の、声優を目指していた頃の私はそう自分に言い聞かせ続けてきた。けれど、なのに……私は負けた。勝利し続けてきた私はこの時初めて、決定的に、徹底的に、敗北した。
その日のレコーディングは途中解散となった。プロデューサーは後に私に繰り返し、繰り返し陳謝した。私の心には響かなかった。
私が重ねていたシュペルエタンダールというキャラクターの像と、自分の像。それはもう今では離れ離れになって、くっつかない。これは今生の別れだ。今やシュペルエタンダールにとって私は、怨敵そのものとなってしまったのだから。
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