十七個めの、記憶の断片

 ゲーム『プレーン・コレクション』の1stライブ『航空奇想曲』が無事、成功裡に終わった頃の出来事だった。

 同ゲームにおけるキャラクター人気に変化が起きた。一番人気はサーブ35ドラケンだ。これは、私が生まれる前に出た航空機漫画の主人公が使っていた機体の一つであることもあり、ゲーム稼働以前から予想されていたその人気を前提に組み込まれた重厚な、悪く言えば贔屓された上での多数のシナリオが、このキャラクターの人気を底支えしていた。

二番人気はミラージュⅢと言われていた。これは以前にこのゲームのプロデューサーが話をした通り、フランスツリーのキャラの精神構造の複雑さを体現しながら、どこか明るい感じがする……そういう理由がある。

三番目以降は横並び……というのが正直なところだ。とくにゲーム上は何か主人公のような雰囲気を醸し出そうとしているはずのキャラクター、Fー4の人気はそこまでではなく、ファン自身もそれらを自虐的に取り扱うという二次創作の風土が生まれもしている。

 この、キャラクター人気に入れ替わりが生じつつある。具体的には私の演じるキャラクター、シュペルエタンダールの人気が上がり始め、徐々にミラージュⅢの立場を食い始めている。

きっかけは、先に行われた『プレ・コレ』1stライブ『航空奇想曲』であった。このライブで既存の『プレ・コレ』ファン層の幾らかがシュペルエタンダールを好きになったという。

本来はライブコンテンツとして数えられていなかったゲーム『プレ・コレ』ライブの成功はまた、アニメ産業における投資者の意識に風穴をあけた。

「この産業にはまだブルーオーシャンが存在している」

「まだ、まだ稼げるのだ」

 という意識。虚構の輝きが人々を集め、人々を動かし、集まった金の輝きがさらに夢想屋を生み出す。産業の好循環。虚構の渦……。

そうした変化を敏感に感じ取った『プレ・コレ』開発チームは、シュペルエタンダールの新規カード及びシナリオを実装することに決定した。無論、その声優である私・遠藤蓮花も動員される。

また裏で、例のサブカル系ショップ『バードランド』とのコラボが決定し、シュペルエタンダール関連グッズが販売されることも決まる。その時、私は新規カード実装よりもこの仕事の方を喜んだ。

徐々に動き始める仕事上の私の世界。それとは別に存在している私・山本菜摘の生活の方にも、ある大きな……これは悪い方の、変化が起きた。

同じ頃のことだ。『プレ・コレ』1stライブ『航空奇想曲』を終えて、キャラクター人気に変動が起きて、新規カードの実装が決定した頃に、それは起きた。

 その日の私はオフで、本間敦も家を出ていて、私一人で家に居た。

 そこに一人の訪問客が現れた。

 最初、私はその来訪者を宅配業者と勘違いした。ここ最近は家賃のぶんも本間敦が払っているし、私自身羽振りが良くなり始め、少しずつ買い物の回数が増えている状態だった。もっとも、実際に物を見て買うのではなく、通販で気になったものを取り敢えず……で買うというやり方なので、実際に商品が来るとなにかしょうもないものだったりすることも多く、返品するのも手間なのでそのまま部屋の中に放置されている。

 その日も私が前日のどこかで適当に注文してしまったものが届いたものだとばかり思っていた。

 しかし、インターホンの先に居るのはあの見慣れたいつもの宅配業者ではなく、見知らぬ一人の……女性だった。

「どちら様ですか?」

 私はそう訪ねた。彼女は答えた。

「斎藤百花と言うものです」

 その名前を聞いた瞬間、私は固まった。その名前は明らかに彼を、斎藤春也の存在を暗示するものだった。彼女は何者だ? 考える。どちらにせよ、本間敦が居ない時で本当に良かったと思う。

「遠藤蓮花さんに、お話があります」

 確かに彼女はそう言った。山口菜摘に、ではない。本間敦に、でもない。遠藤蓮花に話がある。確かに、彼女は、そう言ったのだ。

「今から出ます」

 私はそう答えた。

「お待ちしております」

 彼女はそう答えを返した。

 私は変装をした。お洒落などしている場合ではない。化粧はするけれども、それは武装だ。これから私は何であれ、相手の女性と対立した状態で言葉を交わすだろう。そうなれば、すっぴんで出ていって心のほつれを見せるような真似は、絶対にできない。

 私はたっぷり三十分かけて部屋を出た。彼女は、マンション前で立って待っていた。

「はじめまして」

 私はそう言って、彼女の方を見た。

 インターホン越しに見た時には分からなかったが、彼女は美人だった。私とは違うタイプの女性。肉感的でありながら下品でない。お尻が大きくて、胸がそれなりにあって、それなのに、非常によく綺麗に、流麗な陶器のようなその芸術品じみたくびれを持ち、脚の線を残酷なほどくっきりとさせるスキニージーンズを巧みに着こなし、白い縦縞のセーターを着て、その上には薄いベージュのロングコートを着て、帽子はコートと同じ色味のキャスケット。

私は彼女のその服装を見て、相手が気取ろうとする洒落・洒脱の方向を嗅ぎ取った。少なくとも、対話が不可能な相手ではないとも。

ただ、彼女のその髪先の乱れと複雑な表情から、彼女自身に漂う不吉な、暗い陰があることも同時に理解できた。

 彼女は言った。

「立ち話はよくありませんから、喫茶店に行きましょう。私はこのへんに詳しくないのですが……」

「いいです。案内しますよ……ところで」

「はい」

 私は一切の段階を踏まず、彼女にこう問い質す。

「あなたは、斎藤春也さんの奥様ですか?」

 彼女は答えた。

「……はい、その通りです」

 最悪だ。予想はしていたが、これは当たって欲しくない予想だ。けれども、当たってしまった。

 私は近所にある喫茶店へ彼女を案内する。家を出て、喫茶店に着席するまでの間、二人には一切の会話がなかった。

 喫茶店に入り、店員の誘導に沿って着席する。私はアメリカンを頼み、彼女はアイスティーを頼んだ。

「どこから、お話しましょうか」

 彼女がそう言ったので、私は静かに、けれども確実に言い放つ。

「目的は、なんですか」

 私の言葉を聞いて、彼女はほんの少しだけ笑って見せた。その笑いには不思議な心地があった。かつては天真爛漫に、太陽そのもののように笑って見せたであろうものが陰り、今や滅多に引き出されないものとなり、それが今こうして珍しく人の前に出された。そのような笑みだった。可憐なのに切実で、胸が締め付けられるようなその感じ……。

「すいません。私は、遠藤さんの生活を壊したくて来ているわけではないのです。ただ」

「ただ?」

「注意というか、老婆心というか……そういうものなんです。忠告と言えば、いいんでしょうか」

 そう言って彼女は滔々と語り出す。彼女の発する言葉の淀みのなさに私は強く驚かされた。

「うちの春也は、かわいそうな人なんです。あの人は、何か夢が欲しかった人なんです。なんでみんな、キラキラしたものがポーカーのカードのように配られるのに、何故俺の手元にはそれがないんだって。そう思っている人なんです」

 だから。彼女は言った。

「だからあの人は、何かキラキラした夢を抱いている人が好きなんです。その夢の輝きを持つ人をぱくぱくと食べれば、自分も輝けるような気がする。そんな錯覚をあの人は持っているんです」

 彼女は話し続ける。その語調は何か告白のようで、私は自身が危険な立場に置かれているというのを理解した上で、彼女のその話に聞き入っていた。

「あの人にとって私は、かつてはそのような、彼の食べたがる夢の輝きを持っていたんでしょう。きっと知らないと思いますけれど、私は高円寺の劇団○○の舞台役者の一人でした」

 その劇団は、劇に詳しくない私でも耳にしたことがあるところだった。彼女は続ける。

「でも私はあの人に求婚されて、それを受け入れて、私の名前が水原百花から斎藤百花に変わり、私が専業主婦になると、彼はまたぞろ別の女性に手を出しました。それも同じ、何かを目指しているような、そういう女の子です」

 私は息を呑んだ。彼女が、斎藤百花がその自己を通じて表現しようとする演技を、私は鑑賞し続けている。

「でも私は彼を責めようとも、あなたを責めようとも思っていないんです。私は彼の本質を見誤ったし、彼は変わらないというだけであるし、あなたはただただ、かわいそうなだけなんです」

「失礼な物言いじゃ、ないですか」

「そうですね。そうだと思います。けれど私は、私がそうであったように、あなたの栄華も永遠ではないということを知っています。だからこれは、忠告です。輝き続けるということはとても、とても難しいことなんです」

「あなたが私を脅しに来たわけじゃないことだけは分かりました。でも」

 そこで私の言葉は詰まって出てこない。彼女、斎藤百花は訝しげに私を見る。

「でも?」

 彼女は聞き返す。嫌味だ、と思った。

「もう、分かりました。今日はお帰り下さい」

「ありがとうございます。では……見送りは必要ないですから」

 そう言って彼女は小銭を置いて出ていった。残されたのは、氷の入った彼女のグラスと、冷めた珈琲。そして、私だけだった。

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