十四個めの、記憶の断片
ブラウザゲーム『プレーン・コレクション』は未曾有の大ヒット、大ブームを巻き起こした。
いわゆる萌えミリと呼ばれるジャンルは今までアニメ化等、産業流通に乗る形で作品が製作されてきたが、これらはあくまで部分的なヒット。想定される市場規模の中で展開された程度のものに過ぎず、この『プレーン・コレクション』の大流行は、本来であればミリタリーなる一種の知識教養が必要になるコンテンツには基本的に手を出さない一般のユーザー層にまで浸透し、彼らに航空機そのものの知識すら教え込んだのである。
ゲーム『プレーン・コレクション』の流行は、人々の目に映らないところで展開される市場動向、企画書の中身を書き換えた。萌えミリなんて、擬人化コンテンツなんて盛り上がらない……という意識を変革した。同時期に、ある港町を題材にとって同様に萌えミリの形式を取ったある作品が流行したのと同時に、これら二作はオタク産業におけるミリタリーの地位を一挙に高めたのだ。
ロボット玩具を売り出したい玩具会社の思惑によってアニメを作ったという構図がかつてのアニメ産業に存在していたように、次は我々の番だと気を吐くのはプラモ会社である。『プレ・コレ』の流行は、店舗の一部をショーケース化するなどの工夫抜きには存続の難しかった模型屋を救済し、マイナーなはずのジェット機プラモデルがそれこそ『飛ぶように』売れ、嬉しい悲鳴を上げている。
軍事や航空戦関連本の売れ行きも好調になり、過去に絶版となった軍事資料の古本市場における高騰を見て出版社が再版を決定するなど、その影響は絶大なものがあった。
表に出るが早いか、潰えるのが早いか。
ゲーム『プレーン・コレクション』がジェット機を題材に取った。ならば次は戦車だ、花だ、船だ、銃だ……果てには政治家だの文学者だの、本来人間であったはずのものも、擬人化コンテンツという矛盾した括りに落とし込められ、商業流通の波に乗せられようとしていた。
今や『プレーン・コレクション』は一つの大きな、うねる波を作り上げた。その波に乗れば高みへ上がる、天頂に近付くと確信する人々がその波に乗ろうとする。しかし、波は人を飲み込むこともある。我々の知らぬ眼下にはどのような肉食魚が待ち構えているかも知れず、それでも尚人々は資産を投じ、波に乗ろうとする。
この『プレーン・コレクション』とて他人事ではない。一度乗った波のその先頭に居る我々は果たして、どのようにこの大きな波を統御しようとするのか。この大きな波そのものに我々が飲み込まれ、我々よりも後にこの波に乗った者がこの波の先頭に立つやもしれない。そのように考えるのは当然のことだ。『プレ・コレ』でさえ、携帯で遊べるソーシャルゲームという形態で大きく当てて、巨大な会社一つ作ってしまったという壮大な波の中にあるフォロワーの一人なのであるから……。
では『プレ・コレ』は……擬人化系ソーシャルゲームの突端たるこのコンテンツは一体これからどのように展開していくのだろう?
打ち出されたのはアニメ産業の王道、メディアミックスだった。
まず最初に『プレ・コレ』は漫画化された。一般の認知度を上げつつ、ソーシャルゲームという形態そのものに抵抗を持つユーザーに手を広げ、既存のユーザーには新たな解釈を与える。
次に出てくるのは小説。いわゆるノベライズだ。出版社側から見れば、既に人気のあるコンテンツのノベライズは本来、出すまで売れるかどうかも分からない小説という商品を手堅く売ることができるし、本業のオリジナル作品であまり大きな売上を出すことのできない作家に仕事をあてがうことができる。無論、ゲーム側は小説を読む層にゲームの存在をPRできる。悪いところは一つもない。強いて言えば、小説そのものの売上自体がゲーム全体の出す利益から見ればほんの些細な、小さなものであるということぐらいだった。
無論、この二つは王道で、かつ動作する資本の規模から言えば大したものではない。だからこそ手堅い王道としてこうしたメディアミックスの手法が常に存在しているのだ。
その上でさらに出てくるリスキーな選択がある。それは『プレ・コレ』のアニメ化である。これは先に出された二つよりもハイリスク・ハイリターンだ。動く資本も関わる人材の数も桁違いで、当たればこのゲームの人気を不動のものとすることができるが、外れればアニメは無論、ゲーム本体さえ危うくなる非常に危険なものだ。そのためか、プロデューサー含む『プレ・コレ』関係者はアニメ化という一手をすぐに打とうとはしなかった。
その代わり、別の一手を打つ。キャラクターソングとテーマソングCDの発売である。
アニメという産業の長大な歴史から見た時、このキャラクターソングという文化は比較的新しい概念となるものだった。そして、このメディアミックス手法を確立した作品の一つは、私が少年期に恋い焦がれ、憧れたあのアニメであった。
また一歩、近付いた。あの美しい営為に! 私の一方通行の恋慕の、その遠大なる旅程の一歩が今またこうして一つ、確実に踏み出されたのだ。
動き出し、そして流行を生み出したコンテンツ。ゲーム『プレーン・コレクション』のスタッフも今や大所帯だ。声優だけで数えても二十人は居て、私は最初期のメンバーの一人ではあるものの、その母数が増えただけ存在感が希薄化してもおかしくはない立場にあった。
しかし、プロデューサーは最初期のメンバー五人で『プレ・コレ』の最初のキャラクターソングを作ると宣言した。
「今これだけ『プレ・コレ』が大きくなったのも、この五人がキャクターの個性を形作ってきたからだ。だから私は、キャラクターソングを作るならこの五人以外にあり得ないと思う」
ゲーム『プレーン・コレクション』には、任務成功後に何故か、キャラクターたちによるライブ映像が差し込まれる。このゲームシステムに対するユーザーの反応は半分困惑、半分好感といった感じで評価が別れるところなのだが、そうしたシステム自体が後のメディアミックス……キャラクターソングの発表や、或いはその後を視野に入れた上でのものだったのだろう。
「近々、作詞家さんと私と、皆さん一人一人で面談をします。キャラクターソングの方向性を策定するためのものですね。重要な会談にはなりますが、あまり緊張せずにやって頂ければ、と思います」
その話を聞かされて緊張したのは私だけだったので、解散の段になって、帰りの電車に乗った時点でじんわりとその恥ずかしさが顔にまで伝ってきて、私は顔を赤くした。何ということだろう、ただ私だけが一人、ルーキーなのだ。恥ずかしくて仕方がない。でも、恥ずかしいのと同じぐらい、負けたくない! そう、強く思った。
頬の熱源は羞恥心と、挑戦心。シュペルエタンダールの、シュペちゃんの、ファンの言うシュペ氏の声優は私。私、遠藤蓮花こそがシュペルエタンダールの声の持ち主。彼女を表現できるのは、私しか居ない。作詞家もシナリオライターすらも、私が規定している気がしてくる。
作詞家とプロデューサーと私で行われた会談で、作詞家は聞く。
「シュペちゃんって、最初キャラがあまり定まってなかったんですってね」
プロデューサーは答える。
「そうなんです。言っちゃえば、雨女にしよう! ぐらいしか、ね。考えてなかったんです」
プロデューサーは笑う。作詞家も笑った。私も少し笑った。これは社交辞令。ドレスコードの所作だった。
「でもそこで遠藤さんがね、良いキャラクターにしてくれた。複雑な女の子。陰のある少女の造形を作り上げてくれた。そういうところを私は評価したい」
プロデューサーは続ける。
「言っちゃえば今、一番人気があるのはドラケン。仕方ないよね、某漫画の主人公機だもの。ありゃ、人気が出る。二番人気はミラージュⅢ。あれは自信のある子で、たんに素直なFー4とも違う。けれど、あの子……ミラージュⅢの人気って、多分このシュペちゃんが支えているんだと思うんですよ」
作詞家は質問する。
「と、言うと?」
「フランスツリーの子って、複雑で何処か陰がある。戦場を飛んだ回数で言えばアメリカ、ロシアにだって負けはしない。だけど戦後ジェット機で言えばフランス機は脇役だ。フランス機はあの国が節操なく売るから色んな場所に居るのに、主役とは言われない」
その時のプロデューサーの語りには熱があった。しかし、うざったくもあった。オタクには、こうなる時が絶対にあるものだ。
「そうした捻くれた感じ。フランスは文化大国じゃないですか。それをもっとも端的に表現したのは、シュペちゃんなんじゃないかなって思うんです。で、シュペちゃんは暗い子でしょ。あれはミラージュⅢが本来背負うべき、戦後フランスの陰の部分を引き受けているんです」
「ははあ……成程!」
作詞家は本当に感心したようにそう答える。
「だから、キャラソンメンバーは初期の五人だった。言ってしまえば、暗い子が欲しかった」
私は、その相手こそが『プレ・コレ』のプロデューサーだと言うのに、彼の話すシュペの解釈が浅いと感じた。たんに暗い雨女じゃない……そういう魅力が、シュペちゃんにはあるのだ。
「正直に言っちゃいますよ。私ね、『プレ・コレ』でライブをやろうと思っているんですよ」
「へえ!」
私はほぼ反射でそう口に出していた。ずっと黙り込んでいた私が唐突に口を開くので、作詞家は少し怪訝そうな目で私を見ている。
「そう、ライブ。でね、私はシュペちゃんを歌姫キャラにしちゃいたいんだ……ほら、あの会社のアイドルゲームのさ」
そう言って彼は十年とちょっと前に始まり、今も一大コンテンツとして展開を続ける二次元アイドルコンテンツが、新機軸として打ち出したソーシャルゲーム版の人気キャラの名前を挙げた。
「あの子が出てくるまで、みんなあのゲームのことポチポチゲーだって馬鹿にしてたんですよね。ところが、あの子のソロ曲が出てそれをユーザーが聴いて、感動しちゃった。ポチポチゲーからこんなに素晴らしい曲が出てきてしまった。そういう風に思ったんだと私は考えているんです」
作詞家は言う。
「あれ、いいですよね。なんかこう、世代直撃を狙う感じっていうか、感動の文脈と言いますか……」
「そうなんですよ。でね、私はシュペちゃんにそういうのを歌って欲しい。明るい曲、明るい曲と来て、シュペちゃんの曲がライブで流れて、そんでしんみ~り、しちゃうような奴を」
「高いハードルだなあ!」
作詞家の率直極まりない感想にプロデューサーが返したものもまた、社交辞令的な言葉である。
「またまたご謙遜を言って!」
ははは、ははは。小さな笑いがこだまする。私も笑う。
「んじゃあ、曲の中身の話をしましょうか」
作詞家は私を見る。プロデューサーは何も言わない。私だけが、答えを返す。
「はい」
「僕はプロデューサーの解釈以上に、遠藤さんの解釈が大事だと思ってる」
「え? 一応私、プロデューサーなんですけどね」
プロデューサーは如何にもわざとらしくそう言ってみせた。
「でもプロデューサーはさっきたっぷりお話したじゃないですか」
「それもそうですねえ」
と言う風に、プロデューサーも答える。これも社交辞令だ。
「さて……遠藤さん。シュペちゃんって、どういう子だと思う?」
「私はその、シュペちゃんは……」
「うん」
「愛して、欲しいんだと思います」
「へえ?」
「理解されたい。知って欲しいんです。でもでも、本当の自分は絶対に知られたくないんですよ」
「と言うと?」
「愛されたい、好かれたい、自分の表層。美しいところを、見ていて欲しい。けれど内実はトラウマと自己嫌悪があって……あの、シュペちゃんの台詞なんですけれど、いいですか?」
「どうぞ」
『沈めた船から声がするわ。イギリスの歌よ』
私が言うと、作詞家とプロデューサーは唸った。
「私はたまに遠藤さんとシュペの区別がつかない時があるんだ。今がそうだった」
プロデューサーは言う。私は続ける。
「これって、シュペルエタンダールがフォークランド紛争の時にイギリスの駆逐艦シェフィールドを沈めて、その船の兵士が歌っていた歌に由来してるわけじゃないですか」
私がそこまで言うと、男性二人は如何にも驚いたというふうに互いに顔を見合う。
「僕ちょっとびっくりしたよ。遠藤さん、すごいね。流石、プロだ」
「そこまでよく調べたね……私もちょっと驚いてた」
私は続ける。
「そういう戦場の生々しい記憶。フランスという優雅な祖国の、その優雅さを守るための美しい凶器が、シュペルエタンダールだったんだと思うんです。ほら、美人なキャラが小さな拳銃を持っているじゃないですか。ああいう……」
プロデューサーが口を挟む。
「デリンジャーだ」
「だから、見た目はすごく綺麗な子で、でも心には闇があって、実際に戦闘を……それも美しい、如何にも戦争の栄華に満ち溢れたものじゃない戦闘をシュペちゃんはしているわけで、だからあの子は本当は、そんな優雅なフランスを守った。フランスという優雅が持つ小さな拳銃だったってことを知られたいんです。でも本当は西側の駆逐艦を沈めた過去がある。本当のことを知られたら、私は嫌われてしまう。なのに私を知って欲しい。知ってくれないと私が消えてなくなってしまうような気がする。だから、愛して欲しい。でも本当の私だけは絶対に、絶対に……知られたく、ないんです」
それを聞いたプロデューサーが、しきりに目尻を擦っているのが分かる。冷静なのは作詞家の人だけだった。
「成程ね、成程。シュペちゃんって、そういう子なんですね」
「私の……解釈ですけれど」
「いや、いいよ。とてもいいと思う。すごく刺激を受けた」
僕も頑張らないとな。誰に言うでもなく、作詞家の人はそう話す。
「私も、すごく刺激になりました」
正直に言うとね。プロデューサーは話し始める。
「最初の五人の声優を決める時、シュペルエタンダールの声優を君にするのはかなり不安だった。それは多分、遠藤さんも分かることだと思う。他の四人は手堅いに過ぎるのに何故、ここで冒険をするんだって企画段階でも無茶苦茶言われたんだ」
「そう、なんですか」
「うん……でも僕と、あともう一人すごく推薦してくれる人が居たから、遠藤さんに決まった。誰とは言わないよ? そういうのはあまり良くないから……で、今君と話をして、シュペルエタンダールというキャラクターの解釈を聞いて、思ったんだ。ああ、この人にあのキャラクターの声優を任せて、本当に、良かったなって」
「……本当、ですか?」
「本当だよ。本当……ありがとう。シュペルエタンダールの声優をやってくれて」
「こちらこそ、本当に!」
この後、私が残った珈琲を飲み干して、その場は解散となった。
その帰り道。
中央線の電車に揺られながら私は一人、あの会談の最中に言われた言葉を反芻していた。
『ああ、この人にあのキャラクターの声優を任せて、本当に、良かったなって』
『ありがとう。シュペルエタンダールの声優をやってくれて』
その言葉を繰り返し、繰り返し。何度も何度も、考えた。
私は、泣いていた。
赤ん坊のように、泣きぐずっていた。
嬉しかった。
これほどまでに嬉しいことは、今までに一度もなかった。
認められたということの確信がこれほどまでに強く得られたことは、過去に一度もなかった。歳の離れた優秀な兄と比較して、如何にも個性的なクラスメイトと比較して、同い年で活躍する若い俳優と比較して……私に与えられたのはたった一つ、凡庸という名の個性しかなかった。
生まれ変わったような気さえした。あのプロデューサーはもしかしたら、他の色んな声優や関係者にも似たようなことを言っているのかもしれない。けれど、あの目尻に浮かんだ汗ではない雫の純粋性をこそ、私は信じた。
私は中央線の電車の中で立ったまま、泣いていた。乗客たちは私を不自然に思っているだろう。それを理解していても尚、私の涙は止まらなかった。
後日。いくらかの時間が経過してから、シュペルエタンダールのキャラクターソングが出てきた。題名は『傘の下』。この歌は、私が話をしたシュペルエタンダールというキャラクターの解釈そのもので、曲調は素朴なのにどこかしんみりとする感じで、私はこの曲が大好きになった。
公に出される前のその音源を聴き、私はそれをイメージする。
『口笛を吹こう 良い日になるよ』
『私を見つけて 本当の、私』
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