七個めの、記憶の断片

 都心にあるスタジオ。そのスタジオの名称が第二次世界大戦時の航空機に関わりのあるものだと知るのはもう少し後のことであったが、今にして思えば皮肉なことだ、と思う。

 私の転機。私が堂々と声優を名乗ることができるようになる、その地点こそが、このスタジオだった。

 待合室には複数の声優及び、声優の卵。付き人を伴う人もいる。超売れっ子の人気声優だ……そういう子達は大抵、その居振る舞いもこなれたもので嫌味がない。よくアニメやマンガに出てくる、実力を笠に着て高圧的に接するなんていうような造形は現実ではあまり見られない。ゼロではないのかもしれない。私も業界が長いわけではないから断言はできないが、声優業も基本的には人付き合いが必要なものだから、そういうところで失点のあるような人は結局、業界には長く居られないだろう。

「次の方、どうぞ」

 私の番だ。

「シャッタースカイ・プロモーション所属の遠藤蓮花です。本日はどうか、よろしくお願いします!」

 必死だった。その言葉は祈りのようで、切実で、それでいて確証はどこにもない。

「はい。よろしくね」

 分かりきっている、繰り返されてきたこのやり取りの間にも、込められる思いがある。

「資料にもあると思うけれど、『プレーン・コレクション』のシュペルエタンダール。ちょっとしっとり目で、湿度高い感じでよろしく。ランプが光ったら、名前と役名言ってはじめて下さい」

 静寂。ランプが光る。

「シュペルエタンダール役を受けさせていただきます。シャッタースカイ・プロモーションの遠藤蓮花です。よろしくお願いします!」

 始まった。

『はじめまして、コマンダンテ。フランス海軍の海上爆撃機、シュペルエタンダールです』

『ねえ、コマンダンテ。なんでわたし、戦ってるんだと思う?』

『沈めた船から声がするわ。イギリスの歌よ』

 ……オーディションは終わった。

 そして。自分でこれを言うのはいかにもおかしくて、あまり褒められたことでもないのだが……意外にも私はこのオーディションで『プレーン・コレクション』シュペルエタンダール役に抜擢されたのだった。

 後日、担当する私含む五人の声優とゲームプロデューサーとの会談が行われた。そこに居た声優は大物ばかりで、私は気後れするばかりであった。

 Fー4の声優は、三歳の頃から子役で演劇をやっている。

 MIGー21の声優は学生時代にロシア語を専攻していたロシア通という異色の経歴を持ち、一部アニメファンからは崇拝に等しい人気を誇っている。

 シーハリアーの声優は、私が好きだったアニメの製作会社が数年前に出し学生の間で大流行した、部活動を題材にしたアニメで大ヒットした人物で、その後もメインサブ問わず多数のアニメキャラを演じている。

 ミラージュⅢの声優も元子役。デビューから現在に至るまで数え切れないほどメインキャラの声優ばかりを担当し、人気と実力とが両者並び立つ、文句のつけようのない人気アイドル声優。

 サーブ35ドラケンの声優は、私除くこの四人の中では一番経験が浅い。とは言え、既にいくつかの作品でメインキャラの声優をこなしており、その可愛げな演技とは裏腹にボーイッシュで力のある声で歌うので有名で、既に以前アイドルアニメで歌を発表したこともある、新進気鋭の実力派だ。

 プロデューサーは言った。

「今回の案件はご存知の通り、ソーシャルゲームです。今のところ、ブラウザでの展開を予定しています。資料の七ページをご覧下さい」

 静かな会議室の中、紙がめくられる硬質な音がする。

「ゲームシステムについては後で詳細を見ていただこうと思います。私が皆さんに伝えたいのは、今回の作品はいわゆる萌えミリに該当する作品で、兵器を擬人化するゲームだということです。そのため、台詞の端には常に元ネタがちらつかされます。必要なのは、そうした小ネタまで何故生じるのかを把握していること。元ネタへの探究心です。彼女たちは兵器ですが、同時に……兵器でありながらキャラクターででもあるわけです」

 話は二時間に渡って続いた。まだゲームそのものに触れることができないため、ゲームシステムについては全て文面で記載がされており、資料はちょっとした本の分厚さと同じぐらいになっている。

 一連の話が終わった後、プロデューサーは私にだけ一言。

「みんな人気があるからといって、怯える必要はないですからね」

 と言った。

 帰宅の途上。夕日差す中央線の車内でこれからを考えた。やるべき物事が山積している。それでも止まることはできない。

 チャンスを待っていた。待ち続けていた。

 ここは、ゴールじゃない。こここそがスタート地点だった。チャンスを掴んだら、握りしめて、本当の意味で自分の手中に収めなければならない。

 私は専門学校生時代に、小説が好きだと言っていたある先輩から聞かされた、不条理演劇の中身を想起した。ゴドー、なる人物を待ち続けて、最後までゴドーは現れないという、傑作と呼ばれる演劇作品。その先輩は、私達はゴドーを待ち続けているのだと言った。私は今、それは違うと思っている。何故なら、私のもとにゴドーが現れたのだから。

 同じ頃に、私の所属する声優ユニット『サマー・ディライト』のメンバーの幾人かが、私と同じような新規に展開されるソーシャルゲームでメインキャラの声を担当することが決まった。今の市場はこのビジネスにチャンスを見出している。裏側で交わされる企画書、審議される予算案について、私は想像をする。これこそが、彼らにとってのゴドーなのだ。

 私はあのプロデューサーが言っていたことを何度も思案、考察する。必要なのは、男の子心をくすぐる概念、背景に対する理解。私は君のことを分かっているんだよ、と踏み込むようなその表現。

 私の手で届き得る最大の資料とは何か……図書館に行って、軍用機の歴史を知る必要があるのだろう。それに、今までは避け続けていた戦争映画にも手を伸ばすべきだ。趣味としての映画ではなく、自身の表現のために映画を観なければならない。

 だ、である、べきだ、ならない。こうした一種強迫観念じみた課題が私の頭の中で次々と浮かんでは……消える。

 最寄り駅についてすぐ、私はまず名前を知っている戦争映画を片っ端から借りた。時間の許す範囲でそれらを視聴する。図書館に行って、それらしい資料を全てあたる。

 戦争映画のうちの幾らかは過剰にグロテスクだったので、そうした作品について私は、スプラッター映画を観てしまった時のような胸焼けする感覚をおぼえた。それでも今まで自分が演じた枠の中にない『戦争の感覚』みたいなものを、何となく理解できた。

 企画は進んでいく。

 キャラクタービジュアルが内々に公開され、台詞が揃い、公式で出すことが決まっているキャラ解説が出てくると、いよいよ私はこのキャラクターに、シュペルエタンダールに声を吹き込むのだなという感慨が生じるようになる。

 スタジオ入りする時の感覚も違う。今まではオーディションが大半だったけれど、今度は私が主演の一人だ。

『はじめまして、コマンダンテ。フランス海軍の海上爆撃機、シュペルエタンダールです。できれば、戦う相手は東側の方がいいわ』

『出撃ね。エグゾセはあるの? ……え、五本?』

「はい、OKです。この調子でやっていきましょう」

 この繰り返し。NGは滅多に出なかった。プロデューサーからもキャラクターの解釈が声優陣の中でもっとも一致していると褒められたことさえある。

 企画が進み、ゲームの開始がほぼ秒読みとなった頃。

 私は声優ユニット『サマー・ディライト』の生配信で、良いお知らせがあると告知した。それを、どれだけのユーザーが視聴していたかは分からないが、それでも私にとっては喜ばしい、一大ニュースであった。

 私は言った。

「私、遠藤蓮花は今春サービス開始のブラウザゲーム『プレーン・コレクション』の、シュペルエタンダール役をやらせていただくことになりました!」

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