五個めの、記憶の断片

 高校三年生。周囲が大学受験や、或いはその少数が高卒での就職ということで進路を考える中、私は既にそうした次元から一足先に抜け出していた。実学ではない、向こうから入ってきてくれと構える専門学校側のその姿勢から私は、そもそもがこの学校自体、出たところで役に立つかどうかなんて何も分からないのだという実態が存在しているのだということを私に理解させた。

 私は夢見る少女だった。切り立った崖のその向こう側に何があるのかなんて理解してもいないのに、そこに飛び込もうとする無謀な一人の少女だ。それでも私は、私自身が崖と崖の間を跳躍しようとしているのだということ。その崖と崖との間には、深い深い……底の見えざる谷間が存在しているのだということぐらいは、理解していた。それでも私は、そう進みたいと願ったのだから、そう進むしかない。跳躍は決心ではなく、義務でなければならない。そうした、本来であれば悲壮そのものであるべき覚悟も、自分自身のその意志と行動が認められたという喜びには勝らなかった。

 準備は始まっていた。オープンキャンパスにはもう既に足を運んでいたし、奨学金の申し込みもした。高校では最後まで真剣に勉強をしろと言われていたので、その通りにした。皮肉にも、その時期に私は小中高通してもっとも良い成績を収めた。それが功を奏するのか否かは定かではないが、三年生の夏から音楽の教師に頼んで声の出し方を指導してもらった。教師は自身の専門ではないと断りながらも、私に言われてから勉強して、それらの知識について半ば共同の作業で教え込んでくれた。

担任を含む複数の教師は私の進路に反対しており、三者面談ともなれば私は常に不利な立場に置かれた。また、教師の中でも私のその進路に著しく反応したのは英語の教師で、その女教師は私の英語の成績が良いのにその勉強をしないのは勿体ないことで、将来性を考えればその道に進むのは大変有意義なことであるし、そうして社会的地位をある程度築いてから、自分の人生を始めるという選択もあるはずだ、と諭そうとした。

 その英語教師と私は、悪からぬ仲であった。しかし、他の生徒の目線から見れば……英国の社会派映画を好むと語るその女教師から漂う何か鼻持ちならぬハイソサエティーの空気を率直に好むことのできる生徒は多くなく、近所のCD屋で英国音楽のレコードを買い漁るところがよく目撃されるという、その物理的な近さを感じさせる生活形態さえ、その近さ故に嫌悪感の方向へと作用してしまうという有様であった。

 とくに、高校の三年にもなって幼稚さをそのまま引きずった男子からその教師に向けられる蔑んだ目線は一種異様なもので、そうした裏側をある程度理解していた私は、その女教師に対して同情的であった。無論、そこには自分自身が英語という教科で優秀な成績を収めているから、という自負があったからだろう。大抵、英語教師を苦手とする生徒は英語という教科そのものが苦手なものである。

 私はその女教師と一度、話をした。

 今の私の進路選択が、大人からみて危なっかしくて、潰しのきかない……そういう道行きであるということを、自分は理解している。その上で、社会的地位を築いたその後に自由なキャリアがあるという説も理解できる。けれど……私が憧れているその職業は、声優。それもアイドル声優。そうなれば、この判断は若い時にしかできない。英語も或いはその他の社会的に地位が確かな職業は三十路を超えてもできるかもしれないが、自分自身の今選ぼうとしている進路は、今しかできないことなのだ……と、話をした。

 私の話を聞き終えてからその女教師は、手元にある緑茶の入った湯呑を見つめ、少しだけ考える素振りを見せた後に意を決し、言葉を返した。

「そういうことなら、いいと思うわ。余計なお世話だったかもしれないね」

「そんなことは」

「本心からそう言っているなら物分りが良すぎるし、おべっかを使っていっているなら大人に過ぎるの……でも、今日話を聞いて、山本さんも女の子なんだなって思った」

「そう、なんですか?」

「そうよ。だって……私達の時間と男の子たちの時間の流れ方って、同じに見えて全然違うものだし、山本さんはそれをきっと理解できたんだな、と思ったから」

「でも私、これでも……自分が強情なんだ、っていうことぐらいは理解、できているんです」

「それでいいのよ。最近の子は物分りが良すぎる。或いは、物分りが良いという風にするのが一番良い態度なんだと理解している」

 そんなことはないのにね。女教師はそう言った。

「教師がこんなことを言うのは無責任だと思うけれど、挑戦する心そのものを否定してしまうのは、私は良くないことだと思うの。確かに、失敗の責任をとることができるのは失敗する本人しか居ないけれど、将来の可能性を潰した先での後悔を得ることがあるのも、挑戦する本人だけなんだから。それが本人の一大決心だと言うのであれば、何であれそれを応援してあげるのも、教師の立場よね」

 ああ、でも。彼女は続ける。

「担任の先生やお父さん、お母さんにそう言って、言い包めようとしたりはしないでね……これこそ、大人っぽい言い訳なんだけれど、そうしなきゃいけない都合、というのがあるものだから」

 そのように話をする英語の教師の姿こそが、私があの酒屋の店主の次に見た、大人の形態をとる人間の姿だった。

このように、高校三年生の頃の私の身辺で起きた出来事とは、あまりに早すぎる……それも、無謀な進路の選択から生じる大人たちの混乱から来るもので、他のクラスメイトの間に起こったであろう進路に関する問題とは全く別個のものであった。

それでも、それぞれに起きた問題を糸を解きほぐすように解決していけば、最後に残るのは結局『心配』というたった一つの答えのない問題で、私はこの言葉をいえば済むようになった。

「心配なんて、しなくて大丈夫。自分で何とかするから」

 考えてみればこの言い回しでさえ、私が中学生の頃に発したあの嘘と同質のもので、その言葉には何の保証も裏付けも存在しないものだったが、自身の心理の核心を突かれた時には、大抵の人はそれ以上のことを言おうとは思わない。理解されているのだ、という感覚こそがこの場合、肝要だった。

 時系列が少しだけ、遡る。

高校二年、二月の頃に私の学年の修学旅行がおこなわれた。旅先の候補は京都か東京のどちらかと言われていたので、私は当然、それが東京に決まることを心の底から祈った。

 その願いは叶った。

 修学旅行で東京へ行き、永田町の国会見学などの行程の後に、自由行動か或いはディズニーランドに行くことができるという二択になった際、八割方の生徒がディズニーランドを選択する中で、私と幾らかの少ない生徒だけが自由行動を選択した。随伴の、管理する教師は例の英語教師だったのは幸いだった。

 私は秋葉原へ行き、その頃に丁度やっていた秋葉原を舞台に展開されるアニメ作品の聖地をまわり、メイド喫茶へ行っては写真を撮り、アニメショップは程々に……本来であれば行ってはいけないとされていたゲームセンターにさえ寄った。

 私は秋葉原を、心の底から楽しんだ。

私の想像する美しい営為。それのみで構成された世界。現実の延長線にある、異世界を展開する現実世界。それこそが私にとっての秋葉原であった。

 私は歩行者天国の真ん中に立ち、遠くに走る総武線を見ながら、こう考えた。

「いつかこの街を、私の街にしてやるんだから!」

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