三個めの、記憶の断片
そうした、中学生だった頃の、思春期に特有な万能感と蛮勇、外向きの問題と内向きの問題との区別がつけられなかった時期の逸話のあと、私は何の面白いこともなしに、高校生になった。
高校受験も別に何のことはなかった。地元で二番目にいい県立の学校に行った。言ってしまえば、順当な結果であった。
同じクラス、同じ学年に居る生徒たちは皆何かに向かって進もうとしている。運動部も、文系の部活動でも、皆が何かに向かおうとしている。生物部とか化学部のような理系の部活動だけが自身の専門とする分野特有の熱のなさを発揮していて、それ以外の部活動には皆、どこか半端に熱された鉄のような、熱い部分とぬるい部分とが混在していた。
私は高校に入っていけば、同じような話ができる相手が幾らか現れるのではないかと期待をしていたが、そうした期待の大半は高校生活の中で淡く消え去ることとなる。
私が抱いていたそれらの期待は、オタクカルチャーの分野における性差の存在によって容易に打ち砕かれたのだ。男子には男子の、女子には女子の分野があり、この趣味は根本的なところで交わらない。私は女子のそういう子たちが話すゲイセクシュアルの妄想に対する一種の不信感があり、こうした視点への不理解は同じ種類の人種であるはずの彼女たちと自己との間に明確な一線をひいた。
私にはあの、ただの……そして、それ以外に存在しないが故に愛おしい『可憐』そのものへの情景があり、その領域に対して自分や或いはこの現実世界に居る他の人々の介在があってはならないと考えていた。
こうした作品群は、私達の方を向いて作られてはいても、私達を作ったものでは決してない、という確信があり、またその中に、そうした私達個々人の妄想の入り込む余地はないように思えたのだ。
私のそうした趣味のかなりの部分は寧ろ、同じ人種のうちの男子の方に近いものがあった。彼らは女子たちが抱える一種同族嫌悪的な『可憐』さに対する蔑視が存在していなかった。しかし、彼らには知性が足りなかった。そうした同年代の男子に存在する児戯じみた幼稚さは見るに堪えないものがあり……のちに私はこれが、身体的性徴の差によって表れる時期的現象であることを知るが、この時の私にはそれを知るよしもない。
結局私は、そのどちらとも積極的には交わらなかった。
部活動で言えば、漫研と文学部の両方に入り浸った時期があり、それぞれに少ない友人を作ったが、結局のところ私はどちらの部活動にも正式に入部することがなかった。私は絵が描けないし、とは言え文学的情緒であるとか、詩人的な感性といったものにも恵まれていなかった。国語で言えば、現代文はできるが古文はできず、英語と、音楽のうち合唱だけは好きだった。国語の授業でも、それを受けて何か古い文学者に対する畏敬の念が芽生えるでもなく、青春期に特有とされるポエムを書き出すような行動にも縁がなかった。
しかし、そうした一連の……私の場所はここではない、という思い込み。自分自身が居るべき空間。~であるべきだ、という固定観念は、この時期のうちに育まれていったものと思える。私自身は既にこの両足で、様々な場所へと歩んでいけるのに、そのきっかけがない。山を登る時に、支えとなる突起が見つからないような、そんな感覚。同じクラスの生徒たちは、皆どこかで一生懸命に生活をし、それが最終的に泡と消えるのか、何らかの形で結実するのかは定かではないが、なんであれ現在のそのあまりに小さな……最終的にそれぞれの個人が達し得る遠大な目標の、ほんの小さな出発点にすぎないという事実に対する思案が起きないというその点において、私はひたむきな彼らが羨ましくてしようがなかったし、私のその『したい』に対するふわふわとした現実感のなさは、私が想像する美しい営為。アニメーション、その産業の裏側で展開されている奇跡のような営為に対する具体的な想像力を行使していないが故に起こっていたのだろう。そうして惜しむらくは、そうした空想の営為が明らかに非現実的なものであったのに、私自身はその美しい虚像の実在を心の底から信じ込んでいたことにある。
こうした停滞が私の高校一年時にはあった。そして、それに変化が起きたのは、高校二年生の夏休みの時、親からの許可を得てアルバイトをすることになった時のことであった。
高校生になった時点で私は繰り返し繰り返し、アルバイトをしたいと親に話していた。しかし、親はそれを許してはくれなかった。
「高校生でバイトをするのは貧乏な家がやることだ」
「何に不満がある。勉強こそが学生の本分だ」
「お前一人で物事やらせるなんて、まだまだ危なっかしくて仕方がない」
理由はその時々によってまちまちだった。しかし、いずれにせよ答えは否定の形で帰ってきた。こうした親の発言の裏には私が中学生の頃に行ったあのあまりに大きく、そしてあまりに小さい冒険の記憶が滲んで見えている。この親の……思春期の子供が感じがちなあの大人らしい頑固さ、その道理がひっくり返ってしまったのは、夏休みも間近の七月半ばのことであった。
「あんた、バイトしたいって言ってたよね」
家族で夕飯を食べている最中、母は唐突にそんなことを言った。
「言ったよ」
「それ、今もそう思う?」
「そりゃ、そうだよ」
「はいかいいえで答えなさい。バイト、やりたい?」
「はい。やりたいです」
私がそう言葉を返すと、母はまた再度考え込む様子を見せ、少しの間ウウンとうなってそれから、このように言った。
「……バイト、夏休みの間だけならやってもいい」
「本当?」
「嘘言ってどうすんのさ」
「だって母さん、ずっと反対してたじゃん」
「色々あんのよ。大人にはさ」
母が発したその、大人という一言が、私にはやけに重みのある言葉のように思えてならなかった。
「でも今からじゃバイト先見つかんないかも」
私は嫌味を言ったつもりだったが、それを知ってか知らずか……母はそれらを意に介さないような言葉を突き返してくる。
「それはどうでもいい。バイト先、決まってるから」
その言葉から何か私はどこか鼻白むような感じを覚えたが、母はそれを気にもせずに淡々と、連絡事項を告げる時と同じ口調で言い続ける。
「駅前の酒屋さん、あるでしょ。毎年正月にさ、挨拶にくる」
「ああ、うん……あるね」
私は小さい頃、そのお店の店主から親には秘密だぞと言われながらジュースをプレゼントされたことがあるので、それを今もずっと覚えていた。逆に言えば、それ以外の記憶については希薄と言う他ない。
「あそこ夏場人手が足んないっつうのよ。夏だからビールは出るし、お祭りになれば飲み物を売るってんのに、毎年手伝いに来ていた親類が来ないんだってさ」
「じゃ、バイトってつまり」
「そ。あそこで働きなさい。どうせ見知った仲だけど、履歴書はちゃあんと書きなさいよ。何でもこういうのは練習なんだから」
母のこの発言の数々は、母含む私の保護者全員が私を紐付きでやらせたいという意識を持っていることのあらわれであり、私はそうした個人の行為さえ自分で決定し得ないということに悔しい思いをしたが、同時に……ようやく自分の手でお金を稼ぐことができる。これで、何の文句も言われずに、私のしたいことができるのだ、とも思った。
結局私はそのお店で一応、形式上の面接を受けることになったのだが、その場面にさえ母はついて回る。私自身が何か、良い返答を相手に返そうとしても、母は世間話と同じ調子で相手に言葉を返し続けるので、私は結局、何も言葉を発せないようになった。
母は言った。
「不出来な娘ではありますが、何とかしてやってくださいね。多少怪我したってうちで何とかしますから」
相手は答える。
「そんなこと言うてもですね。山本さんとこの娘ですからね。傷一つないように返すのが私の義務みたいなもんですって」
「もう、大げさなあ! うちなんてもう身内みたいなもんじゃないですか」
こんなとりとめのない会話が長々と続き、最後にはお互いにしつこく、しつこく礼をし合い、私はお土産にとお茶を一本渡され、母はお礼を言いなさいと、私がそれを言う前に言い出すものだから、多少ではあるが私は不機嫌になった。
私の人生初めてのアルバイトはそのように、何やら拍子抜けするような状態で開始が決まった。
終業式を終え夏休みが始まってから、私は早々に酒屋へバイトに繰り出した。酒屋の店長は不慣れにシフト表らしきものを作ろうと私に聞き取りをしたが、私はそもそも夏休みの予定なんて何一つ入れてはいないので、結局は酒屋の店主が遠慮して、週四日の同じ時間帯にバイトへ出ることに決まった。
酒屋なだけあって、持ち運びする商品は重いものが多く、元々力があるわけでもない私はそれに苦労したが、酒屋の店主は気を使って一番重い荷物は店主自身が持ち運んだので、手伝いになっているかと言われれば……少なくとも私は、役に立っているとは思えない。
それでも店主は、来てくれて助かる。居るだけで助かると繰り返し繰り返し言うので、私は途中から申し訳なさの方が勝り始め、何か一種の気まずささえそこに生じるようになった。とくに、駐禁の取り締まりから逃れるために車内で待っていて欲しいと言われた時の、あの涼し気な軽トラの車内の座りの悪さとくればかなりのものである。加えて、仕事の関係で夜まで食い込めば車で送りさえするので、私は一体何をしているのだろう、と自問自答さえする。
ある時、店内に客が全く居ない頃合いを見計らって、私は店主に質問をした。
「店長、うちの両親とはどういう仲なんですか?」
店主は答えた。
「ん~……君の両親というより、そのお父さん。つまり君から見ればお爺さんとね、浅からぬ縁があるんだ。もっとも、恩を受けているのはこっちばかりなんだけどね」
「そう、なんですか?」
「うん。私がお店を開く時……本当なら駅前の土地って、借りるのが高いんだけど、君のお爺さんは安い値段で僕にね。土地を貸してくれたんだ。儲かるとか儲からないとか、そういうのも分からない時だったし、実際のところ最初はかなり苦労したよ。でも何とか軌道に乗って本来の正規の家賃も支払うようになって……だから僕はさ。君のお爺さんに頭が上がらないんだよ」
「そんな」
私はほぼ反射でそのように言葉を返した。我が家の持つ車の台数が多いことや、その数は他の家ではあまり見られないということまでは理解していても、そのように自身の……あの分からず屋な祖父が、実際にそのように人に親切を働いているということそれそのものが、何か現実味のない話のように思えた。
「だからね。君があんまり申し訳ないとか、そういうことを僕に思う必要は全然ないんだ。君に渡す一ヶ月分の給料なんて、今まで君のお爺さんから受けた恩に比べればほんの些細なものだし、実際に僕は助かっているからね」
結局、私の人生初めてのアルバイト。その労働は、怪我一つ負うこともなく無事に済み、最後にはまた……君の両親には秘密だよと言いながら、色をつけた給与を私に渡すことで話が終わる。
私がその人生の中で、初めてマトモに会話を交わした、社会的な、同級生とも教師とも違うその人物は、自身の父よりもどこか大人びて見え、同時にそのような人物が私の家。その名前に一種の畏怖を持ち続けているというその実情が、私には、私自身の夢と現実との間にあると思われる遠大な距離感そのものと同じだけの距離が、実態を伴って横たわっているかのように思えた。
きっとあの人の言っていることは本当だろう。
けれど、それだけ偉い人なら。その偉い、仮に偉いとする私のお爺さんとその血が繋がっている両親とそして私は何故、偉い人間にはなれないのだろう。それは何か社会階級とか、大金持ちになりたいとか、そういう嫌味な話では全くなくて……ただ、立派な人間の精神とか、崇高さみたいなものを何故、私も含め……持ち合わせてはいないのだろう、という疑問なのだ。
これは逆説的に言えば、私の祖父にはそのような一種の自己犠牲的な美徳が一部とは言え存在しているということの証左にもなり得る。そのように私は考え、その思案は夏休みを明けて幾らかしてからの頃に起きる、大きな人生の転機の場面で、半ば実験的な調子で展開がなされることとなる。
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