断章
一個めの、記憶の断片
まだ私が声優として端役しか……それこそ、歓声の一部とか、モブの役柄しか貰えなかった頃。
私は、専門学校を卒業する前から声がかかっていたシャッタースカイ・プロモーションと契約し、アイドル声優ユニット『サマー・ディライト』のメンバーとして活動していた。だが、声優ユニットとは銘打ってはあるものの、実際のところメンバーは皆私と同じように駆け出しの声優ばかり。活動と言えばせいぜい、ラジオにメンバーの一人が呼ばれる程度のもので、普段は駆け出し声優としてアニメ・ゲームのオーディションを受ける。メンバーの一人は学生時代からずっと居酒屋でバイトをし続けているという。
ユニット『サマー・ディライト』としての表立った活動は一度きり。秋葉原にあるアニメグッズショップ『ドラメディア』の一角を借りてのライブで、これはライブとは言うものの、実際には客もそんなに多くない。
「『ドラメディア』にお越しの皆さん! はじめまして! 私達は声優ユニット『サマー・ディライト』です! メンバーは……」
と、センターを務める声優が言う。私の番が来る。
「はじめまして。声優をやっています、遠藤蓮花と言います。よろしくお願いします!」
無関心なユーザーの反応は残酷だ。遠藤蓮花? 誰だよそれ。それが大方の、人々の反応であった。
狭い箱の中ではダンスアピールも控えめにしなければならない。誰かの肘を突いてマイクを落とせば目も当てられない。それは私達の本領ではない、というのはたんなる言い訳に過ぎない。大舞台に出るには、それに相応しいだけの人気が必要で、実力というものはその人気を本物だ、と内外に理解させるためにあるのだ。
ライブの後の拍手はまばらだった。途中で立ち去る人が数人しかいなかったことだけが幸いだった。
ライブ後の物販。数少ない『サマー・ディライト』の公式グッズ。……とは言え、それらは文化祭で学生たちが作って出すようなものとあまり性質も変わらないもので、これが売れれば驚天動地だ……などと、売る側が思ってはいけないのは分かっていても、それを売らなきゃいけないことに、一種の抵抗がある。そして不思議なことに、そのようなものでも買う客は何人かいて、私はそれを心底嬉しそうに、その客の手を握り、売る必要がある。その日は結局、会場に居た四人がグッズを買って終わった。
分かっている。それぐらいのこと……声優というものがなにか甘っちょろく上手く行くものなんかじゃないってことぐらい、私でも理解していた。
それでも、辛かった。専門学校時代の努力の末に得た卒業と同時に行われたプロモーションとの契約、声優ユニットの設立という果実。それは私の人生の先を明るいバラ色にする一種の約定のように思えた。けれども実際は、そうではなかった。
ただたんに美しいだけでは、可憐にはなれない。完璧なダンス、完璧な演技、完璧な応対……全てを丁寧に、丁寧に作り上げること、それらはあくまで前提に過ぎない。これらの基礎の上に、巡り合わせによって、声優は声優となる。あの美しい営為の、一部となる。
とあるアニメのガヤ役で参加し、それを終えた帰り道。私は今自分が一体、どのような場所にいるのだろうと考えた。
声優は、役を得られなければ声優だとは言えない。役を得るためには繰り返し、繰り返しオーディションを受けるしかない。考えてみれば普通の人々の就職活動にも似ているが、私達声優はこの仕事を引退するまでずっとこれを繰り返す。オーディション、その結果を待つ。この繰り返し。これら全てはきっと時間が解決する。
けれど、時間こそが私の大敵なのである。花の命は短いもので、アイドルと呼ばれる花の命はさらに短い。時間は平等に減っていく。だから残酷なのだ。日々を安穏と過ごしている人間も、苦しんでいる人間も、幸せの絶頂にある人間でも、その時間は平等にすり減っていく。
私がアイドル声優を続けられるとしたら、せいぜいが二十八歳。途中でよほど声優としてウケて、それで三十半ば……『永遠の十七歳』なんて、過去の何人もの声優が使っていて、とっくのとうに陳腐化している。第一、活躍していなければ名乗るだけ空虚だ。私はまだ駆け出しで、代表作なんて一つもないのだから、名乗る算段をつけても皮算用にしかならない。
真剣に、一つ一つの仕事を、オーディションをこなしていく他ないのだろう。
私は帰り道の途中にあるスーパーに寄ってプライベートブランドの安い発泡酒とポテトチップス、百円のサラダパックを買って、家に帰る。
ワンルームのバス・トイレ別物件。立地があまり良くないので簡単にとれたが、値段が安いわけではない。部屋は極端に物が少ない。シンプルに、何かを買いに行くお金がないのと……毎日、研究のためにアニメや映画を観ているから、時間がないだけだ。それでも喉を駄目にしてはいけないから湿度には気を使うし、のど飴やマスク等の細かな出費も悩みの種だった。
部屋の電気をつければ、照明の電球が幾らかの逡巡を経て光りだす。替えなきゃいけないのに、替えていない。
テレビの電源を入れると偶然、バラエティ番組で私よりもさらに若い声優が出演している。彼女は話す。
「学業と仕事の両立が大変で……」
私は言う。
「変わりましょうか。アニメ『○○』のメインヒロイン、やってましたよね」
彼女は話す。
「お母さんは大学に行けって言うから、勉強も手が抜けないんです」
私は言う。
「一度休めばいいじゃない。やりたがる人、あとに一杯つかえているんですから」
彼女は話す。
「『△△』のとき……」
その役は私がオーディションを受けて落ちた役だった。
「……あ~」
やめやめ。そう言いながら頭をふる。こんなことをやっても、私は何一つ得をしないじゃないか。
私はテレビを凝視することをやめ、パックご飯をチンする。おかずは缶詰の焼き鳥。これを広げたサラダの上に載せる。そうすると食器を一つも使わずに済む。箸もスーパーで貰ったものだ。
そうして出来る食事はあまりに貧相だが、一応栄養バランスはそれなりに取れているし、外に行く時にはプロモーションの人に奢ってもらえることもあるので、家ではこれで十分だ……と、自分にそう言い聞かせている。
東京に上がってきた頃に覚えた酒の趣味の中でも、その最たるものはウイスキーだった。それもできるだけ辛いものが好きで、本当であれば毎日でもそれを飲みたい。しかし、辛い酒は飲めば喉が焼ける。私は西部劇ガンマンの声優をやるわけじゃない、しわがれた声にも需要はあるが、私の立場でそれをやれば声優生命が終わってしまう。そのため、発泡酒をコップにあけて、その上にブレンデッドの安ウイスキーを垂らしていつも我慢をしている。
こうして一つ食事が完成する。私は例のテレビをそのままみる気にもなれず、過去に中古ビデオ屋で買った白黒映画を、これまた中古屋で買った古めかしいDVDプレーヤーにいれて、再生する。
お金はできる限り節約したい。映画のDVDを買う時は一本五百円以下が基準で、レンタルは旧作が原則。最新のアニメは漫画喫茶に行って配信サービスを利用する。そうやって何とかトレンドに追いつけるように努力する。
この映画は、アメリカで行われた映画オールタイム・ベストを決める催しで全映画中一位になった映画で、中古屋に三百円という安値で置かれていたので、私は少し頭を悩ませた上で、これを購入したのだった。
私はこの映画が好きだ。当時最新鋭の技術・手法を駆使したと言われる映像は今からみれば流石に古いし今、斬新さもあまり感じ取れない……が、その脚本の味わい深さは他に例えようもない。
当時この映画はあまり高く評価されなかったらしい。というのも、当時のアメリカの有力者をモデルにしたために、本人からの怒りを買い、劇場から締め出されたのだという。それでも、この映画の監督は脚本も書き、また同時に映画の主演男優として青年期から死去するまでの全てを自身一人で演じきった。
その主演男優は堂々と、自身の役名を叫ぶ。そこには、彼自身のこれからの経歴に対する引け目など何一つなく、その堂々とした演技は、幾人もの映画人を虜にした魅力に溢れているように思えた。
その日の私はきっと、お酒を……ウィスキーを発泡酒に垂らし過ぎたのだろう。その堂々たる演技を目にして、その主演男優のように、自分自身の芸名を宣言しようとする。
「私は! 遠藤蓮花……」
出てきたのは、そこまでだった。だ! ともです! とも言えない。それが私の限界だった。
恥ずかしいわけじゃない。酔っているのに……そもそも、そんなことで恥ずかしくなるような時期はとうの昔に終わっている。
ただ、断言する自信がなかった。
遠藤蓮花。蓮の花。それが私の芸名。アイドルとしての、私。
私は、遠藤蓮花。言えるのは言えるのはそこまでだった。
「私だって――声優だもん」
部屋の中で一人座りながら、私はそう独りつぶやく。
この時、私は人生で初めて、自分が今泥の中に居るのだと認識した。あがいても叫んでも意味をなさない。ただそこに居る以外に解決方法がない。この泥沼の中にいなければいけないという自縄自縛。悲しさも、悔しさも、全て押し流して飲み込むしかない。
あの映画の監督は結局、自身の映画の制作費を稼ぐために、死ぬまで俳優業を続け、チープな役まで全てをこなしたという。
「私は、そんなに強くないよ」
The Endの文字が浮かぶラストシーンを観ながら。私は、暗い部屋の中で一人、そう呟いた。
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