5.怒る理不尽な先輩
「ちょっ・・・、先輩!?」
大きな手に腕を掴まれ、上げた抗議の声にも聞く耳も持たず篠塚先輩は私を連れて無言で廊下を行く。
全く誰もいないわけではないので衆目はある。仮にも先輩は紳士(?)で通ってるらしいのでこの状況は先輩的にはよろしくないのではないかと思うけど、今の先輩はそんなことを気にしてはいなさそうだ。
寧ろ私が気にして、抗議の声を上げるのは止めた。
連れていかれたのはどこかのゼミの教室。
教室に入った先輩はやっと手を離すと雑な感じで近くの席に座った。そして、離された腕を擦り戸惑い立ち尽くす私に言う。
「扉、閉めて」
「え・・・?」
広くない教室、今はそこに二人きり。
更に戸惑った私は開いたままの扉を一度見てから先輩に視線を戻す。
それを受けた先輩は口の端を上げた。
「え、何? 俺が君を襲うとでも?」
「――そ、そんなことは、・・・思ってません、けど・・・」
「そう。 じゃあ、閉めてもらえる」
意地悪く有無を言わせない笑みを添えて、言われた私は眉をしかめて少し強めに扉を閉めた。
振り返り不愉快さを隠さずに言葉を放つ。
「一体何なんですか、さっきからっ。 ちょっと失礼過ぎませんか!」
「失礼は詫びるよ。ただ話をね、したいんだ、君と」
「わざわざ場所を変えて? ・・・私、暇じゃないって言いましたよね?」
「そうだっけ?」
笑顔でとぼけたことを口にする男を睨む。
このまま出て行ってしまおうかと思う。でもそうしたら益々不利な状況に追い込まれそうな予感がしたので今はぐっと堪えた。
「・・・で、何ですか? 話って」
「取りあえず座ったら?」
「・・・・・」
少し迷った末に先輩からはちょっと離れた席に座れば、先輩は小さく息を吐いて立ち上がりわざわざ私の席の前に座り直した。
「話をしたいって言ったのになんで遠くに座るかなぁ」
「面と向かって話すの好きじゃないんです」
不機嫌な声でそう説明したら先輩はハハハと笑い声を上げた後、「――ねえ」と私を真正面から見た。今さっき私が伝えたこと聞いていてだ。畜生。
先輩の口角が少しだけ上がりゆっくりと口が開く。
「それが、君の本当の自分だって言うの?」
「――え?」
「あの頃の君はまやかし物だと?」
「え、いや、あの頃って・・・」
唐突な投げ掛けに眉をひそめる。低い声で告げられた『あの頃』が、色んなものを放棄する前の私だということはわかる。
だって私が今先輩知らなくても、その当時であれば先輩との接点は必ず何処かであったはずだ。それは彼の父親を通して。
だけどそれが先輩の話したいことなんだろうか?
でも先輩が言う『あの頃』の私では余程のことがない限り
そう、ただ留めることなく流れてゆく景色なんてみんな覚えてなんかいない。
「・・・本物とかまやかし物とか、私は私でしかないですよ」
根幹は変わらない。当時も今も本体である私は何も変わってはいない。ひとつずつを見直して表層を剥ぎ取った上で残ったものが今の私だ。
先輩が当時の私に何を見たか知らないけど、これからもそれは変動するもの。だから他人から見た姿がどうあろうと、私はやっぱり私でしかない。
でもそんなことは関係のない先輩に話す必要はない。
「先輩がどう思おうとも勝手ですけど・・・」
話している間もひとつの挙動も見逃さないというような射す眼差しが居心地悪く、少しだけ視線が下がる。優しいと言われる先輩は何処に行った?
「まぁ・・・そうだよね。俺がどう思っていようが確かに勝手だ。周りがどう思ってても気にしない――そう言ってたもんな」
「 え?」
今日だけで何度の疑問符が口から零れただろうか。先輩の声が聞き取りずらく、呟かれた言葉に顔を上げたら変わらず整った顔が正面にある。ニッコリと笑ってスッと細くなる先輩の黒い瞳。
「その結果がそんなザマなんだ?」
「・・・・・・・・・は?」
( ・・・・・今、なんて・・・? )
「勉強も生活も必死になって、遊ぶことも身なりに気を使うこともなくなって。 前の君はさ、キラキラして可愛くて綺麗で、俺初めて見た時本当に妖精か何かだと思ったもん」
さらりとそんなことを言われる。貶すのが目的か誉めるのが目的か。
盛大に眉寄せる私に先輩は続けた。
「今もやっぱり君は綺麗だけど、でも・・・ハハ、埋もれちゃってるよね? あの頃とはもう、今は程遠い」
ぎゅっと絞られる視線。
ああ、 ・・・・・これは、悪意だ。
確実に私を傷付けることが目的の。
「・・・・・私、前にも言いましたよね? 容姿なんてどうでもいいって」
「ああ、うん、そう。言ってたねぇ、どうでもいいじゃなくて関係ないだったかなぁ」
「覚えてるじゃないですか。まぁどっちでも意味は同じですけど」
私よりきちんと覚えていること、それを揶揄すれば先輩の上がった口角が面白くなさそうに僅かに歪む。
「そうだね。どっちも同じ、切り捨てる言葉だ。とても簡単に酷く傲慢に。残される者の傷なんて気にしやしないんだ」
「・・・・・さっきから何言ってるんですか? 」
本当に先輩は何を言っているんだろうか? 家から切り捨てられたのは私で、今傷付ける言葉を吐かれていたのも私だ。
まぁそれは別の話しだとしても、先輩の言葉からすれば私が切り捨て傷付けた側だとでも言うのか? その相手が先輩だとでも?
顔に困惑の色を浮かべたと同時に先輩の瞳には苛立たしげな色が宿った。
「理解出来ないし、する気もないって? ・・・・・ハッ、本当にムカつくな君はっ」
とうとう口に出された純粋な怒りの言葉。もちろん私に対しての。わかっていたことだけど向けられた感情にビクリと肩が揺れる。
だけど、どうしろというのか。理解もなにもそんなものその範疇外だ。
そんな理不尽な状況に、いい加減こちらにも怒りが沸いてきた。
「そんなにムカつくなら私に関わらなければいいじゃないですか! 私は今先輩とは関係のない世界にいるんですから!
・・・これまでだって関わってこなかったんだし、これからもただの景色の一部だと思ってもらえばいいですよ、私から貴方に接触することなんてないのでっ!」
眉間を寄せる先輩に同じ顔をもって睨み、「これでお互い平穏に過ごせるでしょっ!」と捨て台詞を残し教室を後にした。
これで今度こそ、完全に、先輩との縁は切れたはずだ。
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