3.笑顔を消した先輩
これ以上余計な話しをさせない為にジローの脇腹を小突けば、ジローはそれにこそばしそうに身をよじった。
「ちょっ、やめろよっお前。おれがそこ弱いの知ってるだろ!」
もちろん知ってる。何でそうなったかは忘れたけど、前にこそばし合いで二人して悶え苦しんだから。そして十和子には本気で呆れられた。
「しゃべってないでさっさと食べなよ」
「食べてるだろ? お前こそさっきから進んでないじゃん」
「だってご飯の量が多すぎるんだよ、コレ」
「そうかぁ? 相変わらず食が細い奴だなぁ。そんなだからガリガリなんだぞ」
「ガリガリじゃない。スリムと言ってスリムと!」
「どっちも一緒だろ。ほら、残り食ってやるからこれでも食っとけ」
「ん、ありがと」
わたしのカツ丼をジローが引き受け、代わりにA定食からやって来たのは小鉢に入った杏仁豆腐。物凄く好物と言うわけではないが嫌いでもない。さっそくスプーンを刺した奈生の正面から声がする。
「二人は仲が良いんだね」
――ああ、そうだった。
ジローとのやりとりがあまりにいつもの日常過ぎて一瞬頭から抜け落ちていた。日常じゃない非日常のキラキラしい笑顔の篠塚先輩が目の前にいることを。
「んー仲は良いすっよ。ってかおれ下に妹と弟がいるんですよね、こいつ見てるとそんな感じで」
そんな感じってどんなだ?
先輩に答えるジローに心の中で突っ込んで、掬った杏仁豆腐を奈生は黙って食べる。
変なこと言うまでは様子見だ。
「妹と弟って・・・、田中と麻宮さんは同学だろ。 お前の妹弟が幾つかわからないけど、それは女性に対して失礼じゃないか?」
「いや、でも実際そうなんですって!」
グッと身を乗り出したジローに、わたしは嫌な予感で顔をしかめる。これは止めるべきだろうか。
「だってコイツって、あーバイト先が一緒なんですけど、ホント最初酷かったんですよ! まぁ、 色々有りすぎて詳細は省きますけど、 全く何も知らない、わからないばっかで。え?こいつ今までどーやって生きて来たんだ?って思いましたもん」
「へえ」
「妙なとこはしっかりしてるけど、生活力が皆無というか。妹や弟が当たり前に出来ることも出来ないし、流石にちょっと心配になって家に押し掛けたら案の定家の中がらんどうなんすよね。ホントにどーやって生きてんだって」
「ちゃんと生きてんじゃん・・・」
「それはお前、おれと十和子の頑張りの結果だろ。大体米の炊き方も知らないし、洗濯物も色物も下着もそのまま突っ込ん――」
「わーわーわー! デリカシーはっ!?ねぇ、デリカシーは!!」
慌ててジローの口を押さえる。やっぱりさっさと止めるべきだった。
赤くなってしまった顔でジローを睨み付けるもどこ吹く風だ。「何だよそれ」とあっさりと封じた手を外された。
「本当に仲が良いんだね、やっぱり付き合ってるの?」
「――はっ!?」
再び繰り返された言葉。と、付け足された言葉に奈生は唖然とする。
その言葉を発した先輩は、わたしの声に逆に驚いたように少しだけ目を見開いた。
「急に何言うんですか!?」
「え、だって家にも招待してるんでしょ?」
「十和子も一緒ですし! ジローとなんてあり得ませんから」
「お前流石にそれは酷くね・・・」
わたしの残りのカツ丼に箸を入れながら不満を零すジローを、お前はもう口を挟むなと睨む。
大体今のわたしに恋愛などという心の余裕はない。この四年の間に家からの自立の為のプロセスをきちんと整えなければならないのだから。でも実際、恋人とか出来ればそれはまたそれで充実したものとなるだろう。けど。
わたしは改めて正面の男を見る。視線に気付き先輩はニコリと笑う。
昔父に連れられて行った先でよく見た表層だけを取り繕った笑顔。
確かに見てくれの良い先輩がやればそれはそれでありだろう。
でもそれに群がる女子たちを見て、やっぱりないなと思う。なんて無駄な労力なのだろうと。
だって返されるものに本当はないし、最終的に得るものなんてない。虚しい結果が残るだけだ。
「・・・今は付き合うとかそーゆーのは正直いらないかなぁと」
「そうなんだ。でも勿体無くない? 麻宮さん綺麗なのに」
「きっとモテるでしょ?」と、モテモテの先輩にそんなこと言われても嫌みにしか聞こえないが。
わたしは先輩に倣いニッコリと笑った。
「そーゆーのって最終的に容姿とかは関係ないと思うんですよ。あ、取っ掛かりとして多少は必要だとは思いますけど。でも結局最後に残るのは内面で、それが素敵で素晴らしくて、ちゃんとしたものをしっかり持っている人こそが本当にモテる人だと思うんです」
「お、おい、奈生・・・?」
言葉に滲む不穏にジローがまた口を挟もうとしたが、それを無視して更に続けた。
「自分が生まれた条件や環境によってついてくる立場とか外観は確かに本人自らが選べるものではないですけど、それってゆーならば運でしかないですよね? 自分が培ったものでない。なのにそれで持て囃されたり褒めらたりしても、「ああ、そうですか」って感想しか浮かばないです」
僅かに眉間にシワを寄せた先輩を見つめながらわたしは笑顔の形を変えた。
緩やかに目を細め、口元に綺麗な弧を描かす。わたしがかつて見せていた完璧で偽物の笑顔。先輩は少しだけ息を飲んだように見えた。
「実際容姿をけなされるよりそりゃ褒められるに越したことはないですが、そんなものでモテるとかまっぴらごめんです」
言い切ってからまた元の笑顔を戻せば、見つめる先の先輩が代わりに笑みを消した。
これは言うなれば痛烈な皮肉だ。
今までわたしが与えられてきた環境もあてこすっての話しではあるけど、完全に先輩にも当てはまるものだ。
どうせ元から嫌われているのだ、だから今更に嫌われようと構わない。
笑顔を消した先輩はやはり整っている分、真顔はちょっと怖い。
形の良い口が小さく開く。
何を言うだろうか?
怒るだろうか、怒鳴られるだろうか?
紳士らしいのでそんなことはないか。
開いた口から紡がれるだろう言葉を待っていれば、先に横から声が上がった。
「あーっと、忘れてた!! ちょっとおれたち今から用事があったような気がするな! 」
明らかに棒読みな大声でトレーを持ち立ち上がったジローに、わたしも腕を掴まれ立たされる。
( え、何? おれたちってわたしも? )
というより用事はあるのか無いのかどっちだ。
ほら、お前もコレ持って!とトレーを押し付けられ、ジローは先輩を見た。
「すいません、先輩!用事があるんで お先に失礼しますね!」と、わたしの腕を掴んだまま先輩の返事を待たずに席を離れた。
「わっ、ちょっ、ジロー!?」
体格差があるのでつんのめりそうになりながらわたしは後ろを振り返る。
残念ながら先輩は俯いていてその表情は見えなかった。
何て答えるのか聞きたかったのに。
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