第2話
神父の収入はあまり多くない。
仕事を掛け持ちしていることがほとんどだ。
私の場合は、ミッションスクール──C教系の私立学校──の講師だ。宗教教育を行ったり、宗教関連の行事を監督したりするのが主な仕事内容になる。
ちなみに、今日が初出勤だ。教鞭を取った経験がないので内心とても緊張している。私なんかに務まるのだろうか。正直あまり自信がない。
……電車に乗るのも久しぶりですね。
人口密度の高い電車に揺られながら、私は周囲を観察する。通学にはまだ早い時間帯だが、学生の姿があちこちに見られる。……あの制服は、
「……美しきかな……」
なぜその制服が目に留まったかというと、私の勤務先が舞星女子学院だからだ。県有数の進学校で、学園祭や体育祭の規模も大きく、とても人気がある。制服のデザインも良いので、それ目当てで受験する子もいるのだとか。
……主よ。私をお許しください。
私は今、自分の心に嘘をつきました。
実は私、その制服を着た女子高生の姿に見惚れていました。腰まで届く長い黒髪と、制服を着ていても分かるメリハリのある彼女の肉体に、目を奪われておりました。
「や……て……く……ださ……い」
“神”に仕える身でありながら“地獄”耳の私は、消え入るような少女の声に気がついた。視線を向けると、中年の男が下卑た笑みを浮かべながら少女の肩に手を置いているのが見えた。
「嘆かわしい……」
それを痴漢だと断定したのは、その男の手が少女の白い太ももに伸ばされたのを確認してからだった。男の肩にそっと手をおき、私は声をかける。
「よしなさい。嫌がってるではありませんか」
あえて小声で注意したのは、大事にしたくないからだ。この程度のことなら私一人でも対処はできる。周囲の手は借りない。
「あっ、いや、これはですね……」
「この目で見たとだけ言っておきます。なにを目撃されてしまったのか、自分が彼女に対し何をしたのか、貴方の心で考えなさい」
「うっ……」
世の中には、相手が罪人だからだと過剰な正義を振りかざす輩がたくさんいる。だが私は違う。私は神父だ。人の持つ良心を信じている。
「私は自主を勧めます。それで、少しは罪が軽くなります。私、法には詳しくありませんし、刑罰が軽くなる保証もできませんが……。神は、自らの罪に向き合う貴方のことをきっとお赦しになるはず」
「……はい……」
「悔い改めなさい。何か大きな悩みを抱えているのなら、そのときは私の教会に一報をください。罪を償った後でよければ、相談に乗りましょう」
「し……神父さまぁ……」
男はその場で泣き崩れ、己の行いに対して猛省した。
「……?」
いったい何事かと少女が振り向く。長い黒髪が波打つように揺れた。可憐な乙女だなと不意に思う。麗しいその少女の目元からは涙がこぼれていた。
「さあ、彼女に謝罪なさい」
「も、申し訳なかった。本当に……申し訳ないことをしてしまった。このとおりだ!」
男は深く頭を下げて、少女に謝罪した。この後、3人で駅員室に向かい男が自首したことで、この一件は無事解決した。
「助けてくれてありがとうございました神父様」
「聖職者として、当然のことをしたまでです」
「あの、神父様」
「はい。どうかなさいましたか?」
「……私のこと、覚えてますかっ!」
頬を赤らめた萌音が言う。
「貴女とは初対面だと思いますが……」
「そ、そうですか……! ならいいんです。ただの冗談ですから、気にしないでください」
そう言って明るく振る舞う彼女の姿に、私は違和感を覚えた。笑顔の裏に、何かを隠しているように思えた。それが一体何なのかは、私には見当もつかない。
*****
結局、私たちは一緒に登校することになった。痴漢の件で時間を取られたので、到着する頃には8時を回っていた。校舎へ続く道には桜並木があり、春の訪れを祝うように花弁を広げていた。
その絶景を横目に「時間があるときに、ゆっくり見たいものです」と私が言うと、萌音は「初出勤なんだし、少しぐらい遅れてもいいんじゃないですか?」と微笑んだ。「初めが肝心ですから」と私が反論すると、また彼女は笑った。
「不思議なものです。私、月島さんと初めてあった気がしません。貴女の言うように、以前どこかでお会いしたのかも」
「前世で知り合いだったかもしれませんね?」
「……前世、ですか。仏教的な思想ですね」
他愛のない話をしながら、校舎に到着する。女子校なので当たり前のことなのだが、見渡す限り女子の姿しかいない。「落ち着け私」一瞬、天国がこんな場所だったら良いなと思った自分にビンタする。
「なんで自分にビンタを……?」
「お気になさらず」
「ふふふ、変わってますね神父様は」
真っ赤になった私の左頬を、萌音が優しく撫でる。「主が見ておられますので!」と急いで彼女から距離を取ると、その背後から覚えのある声が聞こえてきた。
「クルス神父。どういうことですかこれは?」
「どーして神父サマが学校にいるんすかー?」
ナイフのような鋭い声と、ふんわりした柔らかい声。ギャップがありすぎて風邪をひきそうだ。私はゆっくり後ろを向き「誤解です」と、二人に言い訳する。
「……なるほど。ここが新しい職場というわけですね。さて、月島萌音と一緒に登校していたわけを聞かせてもらいましょうか?」
「えっ!? 神父サマ、先生になるんすか?」
この後みっちり事情聴取された。
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