第23話 眠り姫

 冷蔵庫にあった1.5リットルのりんごジュースと炭酸飲料、さらにコップを2つ、お盆の上に乗せる。

 あとは適当に菓子でもないかとキッチンを漁ると、ポテトチップスがあったのでそれもお盆に乗せる。


「こんなものでいいか」


 いつきは手を腰に当て、1つ息を吐いた


「誰か来てるのかい?」

「ん、ああ、父さん。ちょっとな……」


 父の片頼かたらい荘司そうじが樹に話しかけると、樹は少し気まずそうに目を逸らした。


「父さんはまたゲームしてんの?」

「ああ、休みのうちにやっておきたい仕事タスクがあるからね」

「……ゲームぐらい義務感なく楽しんだらどうなんだ」

「十分楽しんでるさ」

「そ、そうなのか」


 仕事好きの荘司だが、それが趣味にも影響して、ゲームのミッションやクエストなどの、タスクをこなすことにも喜びを感じている。

 樹から見たらやはり変人にしか見えないのだが、本人が楽しんでいるのなら、あまり貶すように声にはださない。


「ところで、僕の質問には答えてくれないのかい?」


 荘司の言葉に樹の肩はびくりと跳ねる。


「友達……だよ……」

「そうかい? いつか僕も会わせて欲しいな」


 荘司は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと、それを持って自分の部屋に戻っていく。


「『僕も』って、流石に気づいてるか」


 もはや隠すだけ無駄ではあるが、家族に友達会わせるのは、家族と居るところを友達に見られるのも、友達と居るところを家族に見られるのも、少し恥ずかしいところがある。

 とはいえ、妹と母には見られてるので、父だけ仲間外れの状況なのは、申し訳無い気もする。

 

「改めて紹介って、そんなことするのもおかしい気もするけど」


 別にただの友達なのだから、そんなことをする必要も感じない。

 機会があれば勝手に鉢合わせるだろう。

 ひとまず、件の彼女が待つ樹の部屋に戻ることにする。


風莉かざり、とりあえず飲み物と適当につまめるもの持ってき──」


 部屋の扉を開けて、中の光景を見て、樹は言葉を失った。

 織咲おりさき風莉かざりは、樹のベッドの上に横になってすやすやと、かわいらしい寝息をたてていた。


「まじかよ……」


 あまりにも無警戒な風莉の姿を見て、樹は立ちくらみをする。

 ベッドの上に横たわるのは、白く長い髪と白い肌の少女。起きている時は突拍子もない行動に翻弄されるが、穏やかに眠る姿は彼女が噂されていたような儚さを感じる。

 今日はクリスマスの時と違ってズボンとパーカー姿だが、だからなんだというのだろう。

 無防備に眠る風莉を流石に放っておくわけにはいかなかった。

 持っていたお盆をテーブルの上に置いて、さてどうしたものか。


「おい、起き──」


 と、声を掛けて起こそうとして口籠る。

 隣の部屋では、もうすぐ受験を控えた妹の木花こはなが勉強している。あまり声を出したら邪魔になるかもしれない。

 だからといって、小さい声で起きるとは思えない熟睡っぷりにため息が出る。

 こうなったら身体を揺するしかない。

 

「おい、風莉……」


 ゆっくりと手を伸ばして、恐る恐る触れようとしたところで、樹の手が止まる。


「いや、これは仕方ないことだから……」


 口に出して誰に対してなのかわからない言い訳をする。

 寝てる女子に不用意に触れていいものなのか、樹の中には葛藤があったが、状況が状況なのでやむを得ない。


「風莉、起きろ」


 肩に触れて、軽く揺する。

 華奢な体だ。男の身体と違って女の子特有の小さな丸み帯びた肩なのが、厚いパーカーの上からでも触れれば、意識してしまうほどにわかりやすかった。

 

「んぅ……」


 身体を揺すると、くぐもった風莉の声が漏れる。


(やっぱりこれはイケない気がしてきた!)


 艷やかな声に思わず手を止めてしまうと、肩をから手を離して、別の方法で起こそうと考え込んでしまう。

 

(声は……やっぱり出さないほうがいいか。でも、近づいて呼びかけたら──いや、もっとダメだろ!)


 時間にして一瞬だったかもしれないが、時の流れが緩やかに感じるほどの焦燥感が込み上げて来た。

 結果、まじまじと風莉の寝顔を、近くで覗き込む形になってしまった。

 風莉が目を覚ましたのは、そうして樹が覗き込んでいるその時だった。


「樹さん?」

「へぇっ!?」


 急に風莉の目がぱちりと開いて、赤い瞳が見つめてく来た。

 驚いて素っ頓狂な声を上げて勢いよく立ち上がると、そのまま勢いに負けてふらつき、足の小指をテーブル足にぶつけた。


「いっ────」


 堪らず声を上げそうになるも、既の所で耐えて、じゃがみこんでぶつけたところを擦る。


「何してるんですか?」


 風莉の言葉に背中が熱くなるのを感じた。

 先程の寝顔を覗き込んでいた樹の姿は、果たして風莉の目にはどのように映っただろうか。

 樹は妙な気まずさを感じ、風莉はごろんと身体を捻って仰向けになる。どうやらまだのんきに寛ぐつもりで、別に樹のことは気にしていなそうだが、樹は顔を背けていて、言い訳を探していて、風莉の様子に気がついていない。


「何って……いや、別に……お前が俺のベッドで寝てるから起こそうと」


 やろうとしたことにやましいことはないので、正直にそう答えると、布の擦れる音が聞こえて樹は顔を上げる。

 風莉はさらに身体を捻って、樹に背中を向ける形で未だに寝転んでいた。


「おいこら起きろ」


 ここまで来ると呆れの方が勝り、樹は少しイラつきながら風莉を起こそうと立ち上がる。


「起きてますよ」


 身体を捻って、風莉は再び仰向けになる。

 両手を枕の横に上げて、無抵抗ともとも取れる体勢。ゴロゴロとしていたからか、長い髪が身体の下に乱雑に広がっていて、まるで押し倒したかのようにも見える。

 

「……お前、俺のことなんだと思ってる?」

片頼かたらいいつきさん。ですよね」 

「そういうことじゃなくてだな。とりあえず菓子と飲み物持ってきたから、そこから降りて好きに食べてくれ」

「樹さん。私は他人様ひとさまの家に好き勝手上がり込んでは、『食べさせろ』、『飲ませろ』というような厚かましい女ではないですよ」

「どの面下げて言ってやがるお前」


 人のベッドで堂々と寝転がるような奴が、厚かましくないわけがない。

 

「別に迷惑とは思ってないけど、降りてくれると助かる」

「迷惑ではないなら、もう少しこのままでいたいのですが、ダメでしょうか」

「…………なんで?」

他人ひとの家でダラダラするのって気が楽なんですよね。自分の家でだらけていると、やらなきゃいけないことを先送りしてる気がして落ち着かなくて」

「だからって気を抜き過ぎだろ。あと、他人ひとの家に行っても、それは現実逃避してることに変わりないだろ」

「『見えない』のと『見て見ぬふり』をするのでは、掛かる労力が違いますから」

「クズの見本みたいなこと言ってるな。お前」

「失礼ですね」


 樹は1つため息をした。


「でも、こんなに力を抜いてゆっくりできるのは初めてです。自分の家でも……樹さんだからでしょうか」


 少し眠りに落ちかけてる風莉は、蕩けた瞳で天井を見つめて、微笑みながらそう呟いた。

 気にしたら負けかもしれない。

 諦めて樹はカーペットの敷かれた床に座り込むと、コップにりんごジュースを注いで、一気に飲み干した。


(信用されてるのか、のか)

 

 再びすやすやと寝息が聞こえてくる。


「ホントに眠りやがった……」


 とりあえず、あまりジロジロ見るのも悪いので、樹は部屋に置いてあるゲーム機を起動して、ヘッドホンを装着する。

 ベッドに背中を預けて座り、テレビ画面に意識を集中させる。


(友達が家に来るってこういうものなのか?)


 樹は困惑しながらも、なるべく気にしないようにした。

 少しずつ変わっていく心の内には、まだ気づかないのか。気づいてないフリをしているのか。

 別に一緒になにかするわけでもないのに、なにかしたわけでもないのに、すぐ近くに風莉がいることに安心感を覚えている。そんな自分がいることを誤魔化せなくなるのも、もはや時間の問題なのだろう。

 無意識のうちに、部屋の時計を横目に確認していることに気づきはしなかった。

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