第22話 猫になる
ここ最近の昼休みは
別に盗み見るつもりはなく、視界にどうしても入ってしまうだけだったが、やはり風莉も女子なので、女子同士で会話をするほうが話が通じて楽しいのかもしれない。
(……いや、話は通じるのか?)
風莉の趣味はどちらかというと、男子っぽく思える。
とはいえ、女の子らしい服を買ったりして、合わせようという意思はあるので、通じなくても学ぶつもりでいるのかもしれない。
風莉には人の話を真摯に聞くところがある。故に変なギャグを考えたりもするが、それもまた彼女のいいところだろう。
「眠いな……」
最も寒くなると言われている1月の後半だが、教室の方は暖房が効いて程よい暖かさに包まれていた。
昼休みはまだ終わらないが、光善は既に自分の席に戻って机に突っ伏して寝ていた。
頬杖をつきながら、そんな光善の背中を見て1つ、あくびをした。
「俺も寝るか」
少し意識が朦朧とする中で呟いた──その時だった。
「樹さん」
聴き覚えのありすぎる声で名前を呼ばれ、目線だけを声がした方に向ける。
「どうした風莉?」
少し眠たげに反応すると、風莉は黙って見下ろしていた。
「樹さん。もしかして眠いですか?」
「ん、まあ……な」
腰まで届く白く長い髪に、雪のように白い肌と、右頬にある痛々しい火傷痕。赤い瞳がじっと見下ろしていて──そこで樹の視線は更にその上へと向いた。
「ん?」
風莉の頭には白い……猫のような耳が付いていた。
「んん?」
寝ぼけているのかと眼を擦って、再び風莉の頭の上を見るも、そこにはやはり猫耳がついていた。
「どうかしましたか?」
「えっ、いや……え?」
──どうかしてるのはお前だろ。
そう言いたかったが、風莉はいつもと変わるぬ顔で首を傾げた。
いつものことではあるが、あまりにも平然とした顔で、自分が幻覚を見ているだけなのではと錯覚してしまう。
「樹さんには私がどう見えますか?」
「どうって……なんか猫の耳みたいなのがあるけど」
わざわざそんなことを聞いてくるなら、流石に見間違いではないだろうと、樹は恐る恐る答える。
「猫の耳がある……ということは?」
「『ということは』?」
猫耳がついているのは間違いないようだが、何故ついているのかは教えてくれないらしい。
それどころか、さらに先の解答を求めてきているようで、先程まで眠気に襲われていたのもあり、樹は頭が回らず混乱していた。
「私は怖いですか?」
赤い瞳が頬杖をついた樹を見下ろして言う。
「そうだな、怖い。すごく怖い」
「えっ、そんなに怖いですか?」
「いや、何考えてるのかマジでわかんなくて、そういう意味では怖──なに笑ってんだ」
「いえ、別になんでもないですよ?」
風莉の表情に僅かな微笑みが覗いたのを、樹は見逃さなかった。
怖いと言われて喜んでいる。
風莉が悪戯好きな性格なのは知ってはいるが、怖がらせようとして猫耳をつけるというのは、少し不釣り合いな気もする。
「それ、なんなんだ?」
「これは海凪さんから借りました」
「海凪に?」
「はい、手芸部の先輩から引き継いだものらしいです」
「え、引き継ぎなんてあるのか」
「はい、代々ハロウィンの時に使われるらしいです」
「なんだそれ」
そこで樹はハッとした。
そういえば、この学校の手芸部はハロウィンの時に自主的に小物を作って、軽い仮装のようなものをする話は聞いていた。
実際に姿を見たわけではないが、去年のハロウィンに購買によった時、猫耳をつけた生徒の話を聞いたことがある。
「わざわざ引き継ぐものなのか?」
「もう1度聞きます。私が怖いですか?」
「…………いや? そうでもない」
むしろ見た目だけなら『かわいい』としか言いようがない。
「怖いと言っていましたが」
「お前の行動が読めなくて怖いってことだよ。正直、見た目は別にって感じ」
「なるほど」
「流石に猫耳つけただけで怖いはないだろ」
「……あ、樹さんの角度からは見えないんですね」
「ん?」
風莉は半身になって右手を後ろに回すと、何かを掴んで腰の前に持ってくる。
それは白くて、長くて、ふわふわとした、猫のような尻尾だった。
どうやらスカートの後ろで、安全ピンかクリップか何かで止めているのだろう。接合部分はブレザーの裾に隠れてうまい具合に隠れている。
「怖いですか?」
「怖くねぇよ」
もはや『かわいい』としか言いようがない。
「猫耳と尻尾で怖くなるわけないだろ」
「じゃあなんですか。私の見た目に不服があるっていうんですか」
「なんでちょっとキレてるんだよ」
「だって私の容姿ってただでさえ人間離れしてますから」
「確かにな」
「否定しませんね」
「今更だしな」
風莉が自分の容姿を自虐することはあっても、決して悲観的に捉えているわけではない。
そうだとわかっているので、今更気を使う必要もないと思った。
だが、本人が気にしていないからといって、周りがそれに触れるのはどうなのだりうか、樹は少し後ろめたさを感じて、焦って言葉を紡いだ。
「そもそもお前は普通にかわいいんだから、猫耳と尻尾つけても怖くはならないだろ」
「へっ──?」
風莉の口から初めて聞くような、素っ頓狂な声が飛びて出てきた。
「どうした?」
「いや、どうしたじゃないですよ……」
風莉は珍しく動揺しているようで、少し顔が赤くなっている。
いつもは真っ直ぐに見つめてくる瞳も、今は落ち着きがなく揺らいでいる。
「樹さんって、すごく大胆な人ですよね……」
「お前にだけは言われたくないからな、お前にだけは」
教室の中で堂々と、恥ずかしがることなく、猫耳と尻尾をつけられる人間が何人いるのだろう。
そもそも普段の言動からして、風莉のほうが中々大胆なことをしているように思える。
「その……私はかわいくはありませんよ。この頰の傷とかも、かなり痛々しいですし」
「別にそれも関係なくかわいいんだろ」
「ひぇ──」
風莉は指先で右頬をなぞっていたが、樹の言葉を聞いた途端、隠すように手のひらで覆った。
「今日の樹さんおかしくないですか?」
「……そうでもないと思うが」
風莉は白い顔が赤くなるほどに動揺していて、睨みつけるように樹をジト目で見てくる。
確かに樹は少しおかしかった。
いつも思っていても口にしてないことを、口を滑らせてしまって、その後は1回言うのも2回言うのも、3回言うのも変わらない。
そんなヤケクソに近い領域に足を踏み入れていた。
「まあ、今日の所はこれで勘弁しておきましょう」
「いや、何様なんだ」
「次は同じようにはいきませんから」
「んー……そうか」
もとの女子グループの所に戻る風莉を見送って手を振る。
(あんなに動揺するものか?)
明らかに『かわいい』という言葉に動揺していた。
今まで言われることがなかったのか、樹に言われた時に火傷痕を触ったあたり、少しは気にしているところがあるのだろうか。
ただ、『かわいい』と言ったことに、樹は後悔はしていなかった。
が、6時間目になって樹はひどく後悔していた。
昼の風莉とのやり取りが唐突にフラッシュバックしたと思ったら、何度も脳内で再生される。
何故あの時、風莉の反応を見ていながら『かわいい』と言うのをやめなかったのだ。
これで変に警戒されたりしないだろうか、下心があると思われないだろうか、面と向かって堂々と女子に『かわいい』などと恥ずかしいことをよく言えたものだ。
そんな無数の後悔が押し寄せてきて、樹は頭を抱えていた。
「はあー……」
思わずため息が出る。
黒歴史というのは、冷静になってから改めて、忌々しく襲いかかってくるものであった。
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