第21話 犬 or 猫 or 風莉

 冬休みほどの短い休みでは、明けた所で大きな変化が訪れていたりはしない。

 とはいえ、年を越して正月を迎え、新たな1年の始まりの、その1日目の学校となれば、少し気分が浮かれてしまう。

 学校に好き好んで勉強をしにくる生徒はいないが、学校にくれば話の通じる友人がなんだかんだいる。

 その久しぶりの再開に少し胸が踊ってしまうのは否定できない。


「おはようございます。いつきさん」


 目の前に座る風莉かざりは、まさにそんな様子で、瞳を輝かせて樹を見上げてくる。

 赤い瞳が真っ直ぐに見つめてくる感覚も久しぶりなものだった。


「おはよう。風莉」


 樹も挨拶を返し、机の上にバッグを置く。

 もはや風莉が樹の席に座っていることには触れず、とりあえず隣に立って風莉の様子を伺う。

 

(なんか犬みたいだな……)


 身体を半身にして教室の入口の方を向き、背筋を伸ばした綺麗な姿勢で待っていた風莉の姿が、飼い主の帰りを待つ犬のようにも見えた。

 今も、2人は特に会話をすることなく、ただ風莉が隣に立つ樹を見上げてくる。

 まじまじと見つめてくるのにも慣れてしまって、特に何か言いたいことがあるのかと、勘ぐるようなこともなく好きにさせる。

 いつも通りのフラットな表情だが、もし犬のように尻尾があったら、それを振り回していたかもしれない。


(とはいえ、いつまでここにいるつもりなんだ?)


 じっと見つめる目は、時折ぱちくりと瞬きをしている。

 一応、朝のホームルームまでは時間があるのだが、限界まで居座るつもりだろうか……。

 2人が静かに睨み合いをしていると、樹の背後から光善みつよしの声が聞こえてきた。


「樹、織咲さん。おはようー」

「光善。おはよう」

「おはようございます。久屋さん」


 光善も樹の席で立ち止まると、2人の顔を見渡した。

 

「何してたの?」

「知らん」

「え?」

「私にもわかりませんね」

「えぇ?」


 光善は戸惑うが、正直に言うと、樹も同じくらいに戸惑っていた。

 

「なんというか……相変わらず、だね。2人とも」

「むしろ冬休みなんて誰も何も変わらないだろ」

「いやいや、クリスマスもあるし、2月にはバレンタインも控えてるんだよ? 教室の中には既に新しいカップルが出来てるかも」

「そうは見えないけどな」


 樹は控えめに教室の中を見渡す。

 あまり他人の事をジロジロと見て、詮索するのも失礼に思うので、一瞬だけチラリと目を向ける程度に済ませる。

 もちろんそれだけではなにもわからない。

 

「ん?」


 その時、右手に何か違和感を覚えたので、ふと視線を降ろした。

 なにやら風莉が樹の右腕の袖に触れていた。

 指でなぞったり、軽く引っ張ったりと……何か要件があるとしたら、いつもなら樹の顔を見ているはずだが、ただ右手をじっと見ている。


「風莉?」

「はい。なんでしょうか」

「いや『なんでしょうか』じゃなくて」


 確認してみるも、風莉は樹の服の袖を掴んだまま離さずに、きょとんとした顔で見つめてくる。


「なにしてんのかなと。これ」


 樹が右手を軽く持ち上げると、それを掴んでる風莉の手も付いてくる。


「あっ、すみません。無意識でした」

「……犬じゃなくて猫だったか?」

「犬? 猫?」


 風莉は手を離して、頭の上に両手を当てて動物の耳のようなものを作って見せる。それが犬のものか猫ものかはわからなかったが、ただ可愛いということは樹にも理解できた。

 風莉はそのままいつも通りの真顔で首を傾げてみせた。


「いや、なんでもない」

「そうですか」


 風莉は手を降ろして、膝の上に置く。

 まだ、風莉は樹の席から立ち上がることはない。


「うーん、あんまり変化なさそうだね」


 光善は振り返って風莉と樹を見た。


「お前は何してたの?」

「なんか一瞬で冷たくなってない!?」


 樹はわりとどうでもよさそうに光善のことをジトりと横目で睨む。


「いや、教室ジロジロ見て何してんだって」

「いやー、思ってたよりも皆変わらないなって」

「そりゃ、こんな短い休みじゃ変わらないだろ」

「でも、1つわかったことがあるよ」

「なんだ?」

「僕も宿題やるの忘れてたこと」


 光善が笑ってそういうと、樹は「は?」と信じられないものをみるように、肩ががくりと落ちる。

 冬休みの宿題は一応あったが、夏休みに比べると休みそのものが短いので、宿題の量も少ない。

 1日で終えられるほどの量だが、だからこそ、後に伸ばし続けている生徒もいるのだろう。


「じゃあ僕は自分の席に戻るねー」


 なんの危機感も知らないような明るい表情で、手を振って自分の席につく光善に呆れてしまう。

 風莉もそんな光善に手を振っているが、樹はふと思う。


「お前は終わってるのか?」


 念の為、風莉も宿題が終わっているか確認してみる。

 風莉は両手にピースサインを作り、顔の横まで持ち上げて、自信満々に答える。


「無論です」


 またしても表情は変わらず、真顔でダブルピースを作ってみせたが、なんとなく機嫌が良さそうに思える。


「なんかテンション高くね?」

「わかりますか? 樹さんに会えたからです」

「あー、なるほどな」


 そうだろうな。と、樹ももはや動じなくなって来て受け入れる。

 異性として見れば少しときめいてしまいそうだが、毎回似たようなことを言われていれば流石に慣れる。

 それに今日の風莉はなんだか、懐いた動物のようにも見えてしまうので、樹もあやすような面持ちで受け止めることが出来ていた。


「ま、俺も久しぶりにこうして風莉と話せるのは楽しいな」


 だから樹も、そんな素直な気持ちを口にしてしまうと、風莉は両手で作っていたピースサインを、今度はパーの形にして見せる。

 まるで花が咲いたようにしてみせて、風莉の表情も少し目を大きく開けて、驚いているようだった。


「なにそれ」

「いえ、樹さん側から言ってくれるのは珍しいので」

「そうか?」

「そうですよ」


 風莉は手を膝の上に戻して樹の顔を見つめる。


「ふふ、樹さんも同じ気持ちなのがわかって嬉しいです」


 風莉はそう言って、珍しくわかりやすいように微笑んでみせる。

 慣れたとはいえ、やはりその微笑みをまじまじと正面から受けるには、少し照れくさいものがあった。

 目を逸らようなことはしないが、誤魔化すように口元に手を当ててしまう。


「そろそろホームルームが始まる時間ですね」


 風莉は立ち上がると、そこでようやく樹に席を譲る。


「すみません。ずっと座ってしまって」

「別にいいけど、申し訳無い気持ちはあったんだな」

「正直に言うと、樹さんなら大丈夫だろうなと思ってました」

「やっぱりか」


 樹がわかってたかのように言うと、風莉は再び小さく笑った。


「いいですね。今年は楽しくなりそうです」

「そうか?」

「はい。じゃあ私はこれで」

「ああ」


 風莉が自分の席に戻るのを見送ると、樹も席についた。

 先程の風莉の楽しそうな顔で、樹がふと思ったのは、やはり自分の気持ちや考えは、相手にちゃんと伝えるのがベストなのだろうということだった。

 素直な気持ちを相手に伝える。これは少し恥ずかしいことだ。


「楽しそうにしてたな」


 変に照れてしまって言えなかったことも多いが、これからは正直に言葉で伝えていこうと、樹は胸に決める。

 そう決めはした──が、このあとすぐにスマホに届いた『宿題見せて』という光善からのヘルプは無視をした。

 窓の外に広がる1月の空は、雲ひとつなく晴れ渡っていた。

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