第20話 新しい朝
【
「あと30分くらいだな」
半身に椅子に座って、勉強机の上で頬杖をつきながら、部屋の壁に掛けられた時計を見て呟いた。
12月31日。1年の終わりを迎えるこの日、いつもなら、家族と年越し蕎麦でも食べて過ごすのだが、樹は自分の部屋でスマホを耳に当てて電話をしていた。
電話越しに聞こえるのは
【まだ年が明けるまでそんなにあるんですか……長いですね】
「とはいえあともう少しだ。頑張っただろ」
【やめてください樹さん。今、褒められると、満足して、寝てしまいます】
「なんでそんなに必死なんだ……」
途切れ途切れに言葉を繋ぐ風莉に呆れてしまう。
何故、こんな夜更けに風莉から電話が掛かってきたのか。
その答えはシンプルだった。
【年越しの瞬間は起きていたいじゃないですか】
「それで俺に電話してくるのもどうなんだ?」
そもそも、風莉から電話がくることは初めてなので、電話がかかってきた時は驚いた。
何か緊急事態なのかと緊張していたら、思いの外、くだらない内容だった。
【1人で何もせずにいると、そのまま眠気にやられてしまいそうでしたので】
「じゃあ家族と話せばいいだろ」
【みんな寝てしまいました……】
「それはそれでなんでなんだ」
【年越し蕎麦を食べたらみんな眠くなったみたいでして】
「……それ変なもの入ってないよな?」
【失礼ですね、普通の年越し蕎麦ですよ。でも美味しすぎたようです】
「それはよかったな」
【はい。樹さんにも食べて欲しかったです】
電話越しの風莉はいつもと同じように、感情の読めない抑揚の少ない声色で話す。
それでも樹には、今の風莉が少しドヤ顔をしているのが想像出来た。
「風莉が作ったのか」
【はい。食べてみたくなりましたか?】
「……別に、お前が作ったから食べたくなったわけじゃないけどな」
【なんだかツンデレさんみたいな台詞ですね】
「電話切っていいか?」
【すみません】
樹は1つため息をつく。
会話が止まると、電話越しになにやらゴソゴソと音がしてきた。
布の擦れるような音。服やタオルなどではなく、もっと重い物を動かしているような音が、電話越しに聞こえてくる。
「何してるんだ」
【布団をかき集めてました】
耳元で小さく息を吐く音が聞こえる。
恐らく手に息を吐いて、温めているのだろう。
マイクに近いからか、かなり静かに息を吐いているようで、樹にはそれが耳元で悪戯されてるようで、落ち着かなかった。
「暖房ないのか?」
【今はつけてないです】
「は? なんで?」
【暖かいと眠ってしまいそうなので、この間も教室で力尽きましたし】
「……あの綺麗な姿勢のまま寝てたやつか。いや、寒いならつけろよ」
【ですが……】
「死ぬぞ」
樹がそう言うと、重量感のある布が勢いよく飛ばされる男と、足音のようなバタバタとした音が聞こえてきた。
樹は、1度椅子に座り直して背もたれによりかかる。
机の上に置かれていたまだ温かいコーヒーに手を付けて、それをゆっくりと口に運ぶ。
一息ついている間に、ピッと何かの電源を入れる音が聞こえて、再び風莉の声が電話越しに聞こえてくる。
【そういえば、寒い所で寝ると死んでしまうみたいな話を聞いたことがあります】
「いや、比喩のつもりで言っただけだけど……。あれって確か、寒い所で寝るってよりは、寒くて身体の機能が低下して気絶してそのまま死ぬとかじゃなかったか? あんまり知らんけど」
【すみません。今は難しい話しやめてもらっていいですか? 眠くなるので】
「難しい話してないだろ今」
暖房はつけたようだが、部屋が暖まるまではまだ時間が掛かるようで、再びゴソゴソと布団をかき集める音が聞こえる。
【もういくつ寝るとお正月なんて歌っても、肝心の1月1日は寝ないで迎えるのはまるで皮肉のように聞こえますね】
「いや、別に聞こえないが」
そこで、1度電話が切れた。
「ん? 風莉?」
スマホの画面をみると通話終了の文字が表示されている。
力尽きて眠ってしまったのかと思ったが、既にスマホの画面が切り替わる。
表示された文字を見て樹は手に取るのを少し躊躇った。
「テレビ通話?」
そんな機能があったのかと、樹は戸惑いながらカメラをオンにする。
【あ、これ本当に映るんですね】
スマホの画面には布団を被ってベッドの上に座り込んだ風莉が映し出された。
多少画質は粗いが、それでも火傷痕の残る白い肌は特徴的で、ベッドの上に流れる長い白髪と、眠気のせいが少しとろんとした赤い瞳が、いつもよりも無防備な気がした。
見下ろすような形で座り込んでいて、この間プレゼントした樹のパーカーを着ている。
「それ寝間着なのか?」
【はい。大切に使わせてもらっています】
「そうか……」
なんだかこそばゆい感覚を覚えながら、樹は画面越しに風莉を見る。
樹があげたパーカーは大分大きめなせいか、風莉がスマホを覗こうと少し前屈みになると、胸元が開いてしまう。
どうやら下にもう1枚黒いシャツを着ているようで、ラッキーな展開にはならなかったが、その首元の白い肌に浮き出た鎖骨に目がいってしまい──樹は反射的に机に頭をぶつけた。
とても鈍い音が響いた。
【樹さん? 今首が変な方向に曲がった気がしたような……】
「虫がいた」
【え、頭で潰したんですか?】
樹の奇行に驚いた風莉は確認するように、スマホの画面に顔を近づけてくる。
スマホを持ち上げればいいものを、風莉は前屈みになって近づけるものだから、樹は逆に遠ざけてしまう。
【なんで逃げるんですか】
「いやなんとなく」
【……樹さん】
「なんだ?」
風莉は改めてまじまじと樹の顔を見つめる。
いつも通りの平然とした顔で……ただ、今は顔に集中できるのはありがたいのと、もう大分慣れたので慌てることもない。
しかし、風莉の目は樹というよりも、その後ろを見ているようにも思える。
【樹さん。明けましておめでとうございます】
「え、あっ」
樹は背後にある時計を確認する。
時計の針はちょうど0時を過ぎた頃だった。
「明けましておめでとう」
【はい。今年もよろしくお願いします】
「よろしくお願いします」
まじまじと2人は軽く頭を下げる。
画面越しに見える風莉の顔は少し笑っているように見える。
「なんか最近はよく笑うな」
【そうでしょうか? 初めて言われました】
「まあ俺も最近のお前しかしらないけど」
【確かにそうですね】
樹は左手で頬杖をついて、右手で気怠そうにスマホを持つ。
【樹さん。私はそろそろ寝ますね】
「ああ、おやす──」
樹が言い切る前にドサリと崩れ落ちる音が聞こえた。
「おい! 通話は切れ!」
樹の声も虚しく、画面からはスヤスヤと可愛いらしい寝息が聞こえてくる。
覆い被さってた布団が落ちてきたせいか、画面は真っ暗になっていた。
樹は呆れて通話を切る。
「こんな酷い年越しがあるか」
1つため息をついて、樹は飲みかけのコーヒーに手を伸ばす。
既に冷めきったコーヒーを覗き込んで、その黒い水面に反射してぼんやりと樹の顔が映る。
「……なに笑ってんだよ」
疲れた身体を癒やすように、冷めたコーヒーを一気に飲み干した。
新しい1年の始まりは、やはり少し気分が高揚してしまうものがあった。
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