『虚構小説』

ある対象の対立物を精査してみることが、翻って当該対象の証明に寄与することがある。本稿で取り扱う対立物とは何か。事実、又は真実である。事実とは何だろうか。熟れた柿が樹上から落ちること、犬がけたたましく吠えること。これらは事実と呼ばれる。柿が落ちることを真実だとは間違っても言うまい。対して、真実とは何だろうか。事実が個別具象の事々を対象とするのに対して、真実は普遍抽象の概念を対象とする。真実の扱う真が普遍的・不変的であるとするならば、事実の扱う真は特殊的・可変的である。しかし、どちらの真も抗いがたい拘束を受けざるを得ない。真に至る障壁とは、人間であることだ。何処までも主観的存在から抜け出せず、不確実性・不確定性に絡め取られる人間存在そのものが障壁なのである。この人間性こそが真を歪め、不確定な現実とするのだ。しかし、人間性の不確実性・不確定性は、翻って現実を規定し得る。人間は特定の事象を観測することで現実を規定し、創り出すのである。人間にとっての現実とはとりもなおさず真実のことなのであり、真実を規定する観測者こそ我々人間なのである。この観測者の法則は、真実に対置される虚構にさえ直ちに適応される。つまるところ、虚構が虚構の概念であるには、真実の概念を包含せざるを得ない。虚構は虚構の実存そのものに真実を内包している。真実の無い虚構は虚構たり得ず、その意味内容は瓦解せざるを得ない。虚構とは、観測者によって虚構と観測されて始めて虚構足り得るのである。かくして、観測者たる私が虚構と観測したのだから、私の虚構は証明された。従って、私は虚構であり、私は小説なのである。もうカーテンの隙間から陽光が漏れている。私はこれで、ひと眠りすることにしよう。


十月二十九日、土曜日の早朝

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