でたらめな景色【短編集】
山原倫
『地球最後の復讐者』
じっとりと陰鬱な空気が、地下室には充満していた。それはどこへ出ていくこともできず、長いあいだひと所に留まりつづけ、澱のように降り積もっていた。しかし、去年──俺が住んでいたころより、いくらかマシに感じられた。たぶん、だれも住んでいなかったせいだ。だから、陰気な思考や情念が沈殿することがなかった。
薄く埃の積もった机上に、一冊のノートが投げ出されていた。そばには、親指ほどになった鉛筆、赤黒く汚れたナイフ、多種多様な錠剤の山。それらの物品が、俺の生活をあらわすほとんどすべてだった。この生活のすべてが無駄だった、とは思わない、思いたくはない。少なくとも、やれるだけの自責と贖罪は済ませたつもりだった。俺にとっては精一杯だった。充分だったかどうかは、神のみぞ知ると言うほかないが、もう限界だった。死ぬべきかもしれなかった。全人類が、俺の死を望んでいたはずだ。口ではどれほど取り繕っても、誰しも死にたくはない。それも、見ず知らずの男のせいで。
だが、俺は死ななかった。地下室で籠城生活をしながら、人類のために死ぬべきだ、と自分に何百回も言い聞かせた。自害すれば、きっと人類を救った英雄として、その自己犠牲を称えられるはずだ。そんなことは、わかっていたはずなのに、俺は死ねなかった。今もこうして生きている。
理不尽だ、と思った。俺以外の人間も、理不尽だ、と思ったろう。何十億もの人間を犠牲にしてまで生き延びるほどの価値が、俺なんかにあるのか、と自問した。あるはずがない。だが、だからって、見ず知らずの人々のために、俺は死ななきゃいけないのか?
まっぴらだ、と思った。去年の冬だった。とつぜん、そう思い立った。彼らだって、俺のためなんかに死ぬのは、まっぴらだろう。俺だってまっぴらだ。もし、彼らが俺に、誠心誠意の”良心”を、欠片でも見せてくれていたのなら、たぶん、俺は喜んで死んでいたに違いない。でも、そうじゃなかった。俺はとつぜん、身を焼くような復讐心に駆られた。俺を殺そうとしている全人類を、俺が殺してやろう、と思った。
いったんその考えが浮かぶと、そいつは四六時中俺の脳みそを支配しつづけた。去年の12月31日。俺は、ついに地下室を出て、地上へ上がった。その後のことは、知ってのとおりだ。……いや、知っているのは、もう俺だけか。このとおり、俺は生き、彼らはひとり残らず死んだ。悔悟は、もう残っていない。こうして俺は、生きていくことにした。
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