第3話 三

前川和典という男が、大儀山の登山道を歩いて行く。龍作と少年がそのあとを歩いて行く。

 彼、前川和典は、背はそんなに高くない。見る限り体は丈夫そうだ。頭は小さく、眼が細い。柔和な顔立ちに見える。時々後ろを振り向くのだが、何か気になることでもあるのかもしれない。やはり、彼も龍作たちが気になるようだ。

 前川和典は滋賀県の出身で、琵琶湖が見渡せる小高い丘の住宅に住んでいた。二十軒ばかりの小さな団地だった。今は母だけが住んでいるのだが、

 「もう・・・母の元に帰ることはない・・・。母を残しておくのは、心残りで苦しい。この山の頂上に、相手が約束通り来ればいいが、そうでなかつたら、俺は死ぬしかない」

 と、心に決めている。


 九鬼龍作が、この男を知ったのはカナダのモントリオールにいた時である。休暇というものほどではなく、今もそうだが当時も、かれに休暇はない。この頃の龍作は一人で行動していたのだが、ただぶらりと当てもなくカナダの旅を楽しんでいた。ビビとも会っていないし、コリー犬のランもいない。どう自分の夢の旅をしようかと迷っていたのである。のらりくらりの放浪の旅をしていた。

十二三年前だった、と思う。なぜ、彼がその男を覚えていたのかと言うと、その男はまだ二十歳そこそこで、見た感じ気弱そうに見えた。それに、龍作と同じように人生において何をやったたらいいのか分からないように・・・これから先の人生に迷っているように見えたのである。

九鬼龍作も同じホテルのロビーにいた。彼は、この目立たない男に興味を抱いた。この男、何だか落ち着きがなくキョロキョロと顔を動かしていた。その隙だらけの姿は、腹を空かしたハイエナが通りかかったら、獲物として狙えられ易い弱々しい動物に見えたに違いない。この男の身体は小さくない。だが、

「こいつなら、旨いまずいは別にして捉えられる」

と、ハイエナは思うに違いない。

 (この男・・・その内に、何かの餌食になるかもしれない)

 と、龍作は率直に感じたのだった。

 この時、そう感じただけで、彼の気持ちとしては、この男を助ける気もなく、それ以上進展させる気はなかった。

それから、十数年後、龍作はこの男に関した事件を知ることとなる。それは・・・。新聞や

テレビでの報道によると、顔写真付きで、大手の自動車不品メーカーのパソコンに侵入し、

自動車部品の図面をマイクロチップに取り込んだということであった。

 龍作には自動車部品の図面には全く興味はなかった。十二三年前の記憶であったが、報道の男をはっきりと覚えていたのである。男の名前は報道されていなかった。後で、彼が調べたところ、前川和典という名前で、現在三十三歳ということだった。


 その前川和典はごく普通の家庭に生まれ、取り柄のない普通の両親に育てられた。ただ、彼の性格は人・・・小さい頃から他人を見下す男の子であったし、人に対して好き嫌いの激しい子であった。その性格は、彼が望んだことではなかったし、また彼自身それに気付かなかった。

そんな彼に事件が起こった。何でもない出来事であったし、何処にでも起きうることであった。

 その出来事とは、前川が十五歳の時に起こった。

 彼の父は喜太郎といい、きわめて真面目な男であった。その喜太郎が三十五歳の時に、突然倒れたのであった。心筋梗塞で会った。その時、彼、前川は、まだ高校生だった。

 彼は、父喜太郎が嫌いだった。というより、相性が全く合わなかった。家にいても一緒に食事をしないし、学校から帰るとすぐに自分の部屋に閉じこもった。引きこもりではなかった。その知らせを受けた時、

「やった・・・」

 と、彼はほくそ笑んだ。

以後、和典は母美津との二人暮らしになった。

 彼は大学に進学をした。美津が、

「言った方がいい・・・お父さんがね・・・」

と、美津はきっぱりといった。

 「お金のことは心配しないでいい」

 喜太郎は生命保険をかけていたのだ。これだけは、彼は父に感謝した。死んだ時、刑事がやって来た。病院で死んだので、不審死ではなかった。だから、警察から不審な眼で見られることはなかった。

 それからの前川和典の生活は順調だったといっていい。彼は少し気弱な面もあるが、人を見下す性格も改めることもなかった。要するに、自分の前に現れる人間によって、好き嫌いをはっきりさせ、嫌いなものには徹底的に見下し、相手にすることはなかった。

 こんなことがあった。

 前川和典が高校三年の時、体育祭での組み立て体操でピラミッド型の人間タワーをすることになっていた。一番下が五人で、以下上に向かって四人三人・・・と組む。彼は二番目だった。一番下は彼が嫌いな男だった。いうなれば、身体を接するのも嫌悪した。教師のホイッスルで、最後には組み立てたピラミッドが崩れる、よく見かける光景である。

 その瞬間、彼は下の男を横に押し退けたのである。その男の上に乗るなんて、彼にしてみればまっぴらごめんの気分だったし、その男の体に触れる気にはなれなかったのだ。彼にしてみれば・・・してやつたりである。おまけに、その嫌いな男は体育の教師に、退いたことに叱られていた。

 「お前、退いたら、上の者が怪我をするぞ!」

 (ふん!)

 前川は口を歪め、見下した。

前川のこの性分は以後も直らなかった。また、この性分に納得していたとしても、彼としては改善する気など全くなかったのかも知れない。

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