The Walker

 それは今から凡そ二百年ほど前のこと。ある強大なアンヴァラスの出現によって、ユーラシア大陸の東部を中心に、数千キロにも及ぶ範囲がぶ厚い雪の下敷きとなった。それをやったとされるのが、たった一体の怪物、“ヴィーゾフ・オーブラカ”。滅びたその土地の言葉で、“雲を呼び寄せる者”という意を持つ超大なアンヴァラスの存在である。


 SS級アンヴァラスにして、国崩しと呼ばれるこの強大な力を持つアンヴァラスは、アースイーター級にさえ匹敵する脅威と一説を唱える者さえおり、CDINは驚異の五十二億六千万と設定されている。


 この超大なアンヴァラスが未だ討伐されていない理由として、主に三つの要因が挙げられる。


 一つ目は、このアンヴァラスが自らと同質のアンヴァラスを無尽蔵に生み出し続けているというもの。生み出されるアンヴァラスはBからS級までと幅広く、母体であるヴィーゾフ・オーブラカに近付く程に、強大な力を持つアンヴァラスが出現することが判明している。


 二つ目が、このアンヴァラスの名前の由来であり、大勢のリベレーターから危険視されている環境操作能力。体の至る場所より伸びる管状の体表組織より、無尽蔵に雪を降り積もらせる黒雲を吐き出し続け、辺り一面を豪雪で埋め尽くすその能力は、視界を遮り、体温を奪い、この場に挑む者たちを著しく拒絶する。また、挑戦者たちとって圧倒的に不利な環境は、この怪物に対してはことごとく有利に働く。雪上を、ただ無防備に立ち尽くすことしかできない者たちなど、黒雲と雪中の中を行き来するように泳ぐことのできるヴィーゾフ・オーブラカにとっては、ただの餌にしかなり得ない。


 そして最も恐れられ、攻略を困難とさせているのが、個の戦闘能力。アンヴァラスの特徴として、その体表には地球上のあらゆる物理法則を退ける特殊な物質、“顕界乖離皮膜げんかいかいりひまく”が展開されている。それはアンヴァラスの能力によって強さや性質が変化するとされているが、ヴィーゾフ・オーブラカの皮膜は他ものとは比較にならない程の強大さを誇り、あらゆる攻撃の一切を拒絶する。


 硬化、反射などはこの皮膜の性質として良く知られた一例ではあるが、ヴィーゾフ・オーブラカの場合、まずその硬度と異質さは他の追随ついずいを許さない。雪上に立つ者を攻撃する際には、鋼鉄で出来た山脈を思わせる超ド級の硬度と質量を誇り、逆に攻撃を受ける場合、全てを透過させるようにすり抜けてしまうという驚異の二面性を有している。その異質さの一例として、かつてこの場所に挑戦を試み、ヴィーゾフ・オーブラカと対峙し生還したある高名なリベレーターは『あれだけ重く硬かった筈の巨体……なのに、こちらが攻撃をした際にはまるで雲をすり抜けたかのようだった』と証言を残している。


 無尽蔵に沸き続けるアンヴァラス。あらゆる攻撃を退ける本体の特異性質。さらに環境でさえもが、超一級の危険性を孕み、圧倒的な強大さを誇り続け、二世紀半もの間討伐されずこの場所に君臨し続けた雪原の覇者、ヴィーゾフ・オーブラカは“ヴォォォーーーン……”と、弱々しい鳴き声を上げる。超硬質で、強大なその体が胴体を中心に、尾と頭を分断するように裂けると、ゆっくりと地表に落ち、地響きを伴いながら雪上の雪を高くへ舞い上げた。


 その後、すぐに前後に両断されたヴィーゾフ・オーブラカの体内から透明な液体が洪水のように溢れ出し始めた。冷気を放つ透明な液体は、周囲の空気を凍り付かせながら、次第にオーロラのような輝きを帯びた巨大な結晶へと形を変えてゆく。


 しかし鋭い眼光の男は、その神秘的でありながらも雄大で、ある種の芸術とも言える巨大な山のような結晶には目もくれず、それを避けて通るように、ただ先を歩く。


 この空間の支配者が死に絶えた影響が故か、次第に視界の先は晴れてゆき、男が進む先にははっきりと廃墟の街が広がっているのが視認できた。ただおかしなことに、街の中心部は半円球上に雪が取り除かれてはいるものの、それより外側はビルの天辺を楽に呑み込む程の積雪に覆われている。どう見ても異質としか思えないような光景を目の前にしても尚、男は無感情のままに雪の斜面を下り、雪が退けられた街の中を歩いて行く。そうして歩み進んだ先、建物の奥に、地下へと続く階段がひっそりと隠されていた。


 男は階段を下ると、その途中、おもむろに懐から銃を抜く。すると突如、周囲の壁や階段に向かって発砲を始める。銃弾が穿たれる度、何も無かった筈のその場所からガラスの割れる快音と共に透明な破片が飛び散って、それらはやはり何も無かったかのように霧散して消えた。


 そうして暫く、階段を下へ、下へと下って行くと、ある所で古びた扉に行き当たる。男は躊躇い無くそこへ銃弾を撃ち込むと、扉は先ほどの床や階段と同様に、甲高い快音を上げて粉々に砕け散った。


 扉の先に広がっていたのは飾り気の無い古びた空間。中を見渡すと、部屋の隅に火の付いたストーブが一つ置いてあるだけで、それ以外は特に何も見当たらない。


 部屋に何も残されていないことを知ると、男は踵を返して部屋を後にしようとする。そのとき、フッと、部屋の隅に置いてあったストーブの火が消え、すると次第に足元がカタカタと揺れ始めた。


 微細な揺れから始まったそれは、一気に大きさを増し、気が付くと部屋全体、否、大地そのものを揺らす程の激動へと変化してゆく。激しい揺れの正体。それは、街の周囲を覆っていた雪の壁が崩れて起こった雪崩なだれによるもの。津波のように押し寄せる雪の塊はあっという間に雪の下に開かれていた半円球の街を飲み込み、今はそこに街があったことなど思い至る余地も無い平らな雪原と化していた。


 静寂に包まれる雪原。しかし次の瞬間、たった今漆喰しっくいを埋め固めたかのような雪原の下より、轟音を伴いながら、凍てつく輝きを放つ光の柱が立ち昇る。光の柱の方へ目をやると、そこには綺麗な円錐状の穴が開いており、上から中を覗いてはみても、底には光が届かない程に深い。


 少しした後、穴の底から音も無く、たった今雪の下敷きになった筈の男がゆっくりと浮上して来た。男は静寂を取り戻した雪上へ立つと、何事も無かったかのように再びどこかへと向かって歩み始める。

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