4 a Dark Shadow.
国崩し
空気が凍り付き、吹雪の吹き荒れる大雪原。気温は当の昔に氷点下へと達し、今も尚下がり続け、留まることを知らない。目の前の景色はただ一面の
そんな一切の生命の存在を拒絶しているかのようなこの雪原に、まるで濃密な暗闇を
そうしてどれだけの時間歩み続けた頃か、男は突如歩みを止めてその場へ立ち止まる。辺りには今も変わらず逆巻くような風が舞い、突き刺さるように雪が降り積もり続けている。そんな今までと何一つ変わらぬ筈の景色の先、立ち止まった男の視線は、尚も前だけを向いていた。すると突如、男の足元から四つの大きな塊が飛び出す。それは高速回転しながら中央に陣取る男に向かって突進する。
四つの塊が男に叩きつけられようとした、そのとき。短く四度、周囲に鳴り響く破裂音。それは銃声。男の両手にはコートの下に忍ばせていた二丁拳銃が握られており、銃口からは青白い
四度の銃声から遅れて少し、宙で高速回転していた四つの塊が硬い雪上に落ちて転がる。雪上に落ちたその塊は、
アンヴァラスを仕留めた男は、両手の銃をホルダーに戻さずに前方へと構えると、辺りの雪原に向かって四方八方へ発砲を始める。凍てつくような輝きを放つ弾丸が雪上へ突き刺さる度、人が歩ける程度には硬いその場所から、今のと同種のアンヴァラスが、まるで深さを伴う水中より大型の魚が水上へ跳ねるように宙空へと飛び出す。それらのアンヴァラスの頭部には、今雪上に投げ捨てられているものたちと同じような銃痕が穿たれており、雪上へ跳ねた頃には、既に全てが絶命していた。
男が銃の引き金を引く度、雪上には次々と
数百とも、或いは千にさえ届き得る膨大な数の暴力。そんな状況に晒されながらも、男は一切表情を変えることはなく、ただ淡々と、作業を熟すように引き金を引き続けた。
雪中を泳ぐアンヴァラスと、無尽蔵に弾丸を吐き出し続ける銃の引き金を引く男の攻防が続き、辺り一面がアンヴァラスの亡骸で埋め尽くされた頃。突如“ヴゥオォォォォゥーウ‼”と、大型船の汽笛にも似た音が大地を震わせた。
表情を変えずに男が視線を上へ向けると、空を覆う分厚い雲の中から、巨大な生物が姿を現す。外見は海洋生物の鯨のように見えなくもない。しかしその巨鯨は空を泳ぎ、体表の至る所から伸びる管状の物からは、絶えずどす黒い雲のような何かを吐き出している。
何より特筆すべき点はその大きさであろう。地上を歩く男とは比べるべくも無いが、その大きさを例えるなら、まるで大陸が空を飛んでいると思わせる程に巨大だった。
***
――セントラルタワー三十五、六階 コートヤード レンタルトレーニングセンター――
「あっ、そう言えば」
パトリシアさんとの戦いを想定しての訓練を始めてから三日。訓練の最中、私はふとあることが気になってしまい、動きを止める。
「なんだ、トイレか?」
「い、いえ、そうじゃなくて、ですね……」
「全く、本ッ当にデリカシーの無い男ですわ。ごめんなさいね、雫。今後そういうことは、私にだけこっそりと教えてくれれば良いですから」
「だから違うんだって‼ トイレじゃないんだってば‼ って言うか、トイレに行くのをどうしてシャロにだけ、しかもこっそりと教えなくちゃならないのさ⁉」
「知りたいですか?」
「…………、いや、知らなくて良いよ……」
「それで、どうした。休憩にはまだ早いぞ」
「あっ、はい……あの、ちょっと気になったんですけど、パトリシアさんのCDINって、どれくらいなんでしょうか」
「突然だな。今までその手のことは全く気にした様子も無かったのに」
「いえ、私がCDINを測定したとき、アリーナの数値は適当に測定されるだとか、あまりアテにしないようにって言われたので、今日まであまり気にしていなかったんですけど……その、先日クレアさんに言われたことが気になっちゃって……」
「クレアの言っていた、相手のことを知れってやつか?」
「はい。この間、前もってパトリシアさんのことを調べようとして試合を見に行きましたけど、結局エラさんとの試合では殆ど何も分かりませんでしたし……」
「過去の試合の映像は見ていないのか?」
「幾つかは見ました。でも、殆どの試合が先鋒と次鋒の二人が決めてしまっていて、パトリシアさんの戦う映像は、殆ど残っていなかったんです。それに、パトリシアさんの元まで辿り着いた闘技者も、そこまでの試合でかなり消耗させられていて、あまり参考にならなかったというか。だから、パトリシアさんのCDINはどれくらいで、今の私と数字上でどれくらい差があるのかを知っておきたかったのですが……駄目、ですか?」
「いや、良いんじゃねぇか。むしろ全く気にしている様子も無かったんで、心配しているくらいだったよ」
「あっ、そうだったんですね……」
「ちなみに、あの女の直近のCDINは五千六百と測定されていましたので、数字上では雫より約八・八倍の数値ですわ」
「五千六百……やっぱり私じゃ、勝つのは難しいのかな……」
「雫がCDINを測定したのは約一か月前のことだろ。一人で九戦も熟したんだから、もう一度測ったなら、今は随分伸びている筈だぜ」
「ほ、本当ですか⁉」
「今日まで雫がアリーナで倒した闘技者のCDINは八百後半から二千前後程度で、それを難なく蹴散らして来たのですから、間違いなくそれよりは上。恐らく、二千後半から三千程度と測定されるのではないでしょうか」
「あぁ……それでも、パトリシアさんとは倍くらいは離れているんだね……」
「安心しろよ。二倍程度の差なんてどうとでもひっくり返せるさ」
「それはまさか、私が二倍強くなれば良いってことですか?」
「そんなに簡単に強くなれるなら、誰も苦労はしないって。今雫がやるべきことは、ジニアンとしての能力を高める為に基礎を作ることと、パトリシアを倒す為に工夫をするってことだな」
「基礎を作るっていうのは分かりますけど……その、工夫、ですか?」
「そう、工夫だ」
「……、…………、…………ッ――」
「そんな顔をしなくちゃいけないほど頭を使わせる予定は無いから安心しろって。つうか、どれだけ頭を使いたくないんだよ、お前は」
「フッ……アホ可愛いですわ……」
「……もう、シャロにそう言われても反論できないよ……」
「あっ、ご、ごめんなさい……」
「いや、本気で謝らないでよ⁉ 余計に悲しくなるじゃない‼」
「工夫するってだけで、ここまで苦労することになるとはな。いっそこのこと、単純な基礎トレーニングだけを積ませて、戦力アップした方が良いんじゃないかとさえ思っちまうぜ……」
二人の私を見る目が、哀れな何かを見るものに変わって行く。駄目だ、どうにかして話題を変えなければ。
「そ、そう言えば、そろそろ二人のCDINを教えて下さいよ~。この間は教えてくれなかったじゃないですか?」
「そう言われてもな」
「そうですね」
「あー! またそうやってはぐらかそうとする! 良いじゃないですか、それくらい教えてくれたって!」
「いやな、前にも言ったが俺が最後にCDINを測ったのは五年以上も前のことなんだよ。だから、どれくらいって言われてもな……正直覚えちゃいない」
「えぇ~……。そうだ、ならシャロは? シャロは一か月前に受付で教えてもらっていたんだから覚えているでしょ?」
「いえそれが、あのとき丁度雫のドレス姿を思い起こしていましたので、CDINのことなんてすっかり頭から抜けてしまっていてですね」
「そ、そんなぁ……」
「前にも言ったが、こんなのはただの指標で、別に固執するようなものなんかじゃないんだ。CDINの数値を気にしなくちゃいけないリベレーターなんていうのは、最前線で戦うごく一部のやつだけさ」
「最前線、ですか?」
「ロストグラウンドや遺跡のことですわ。それらには全てCDIN規定が設定されていて、それらの場所で既定の数値に届いていない者は、原則それらの場所に足を踏み入れられないようになっているのです。ですから雫も知っての通り、うちのような零細事務所で細々と便利屋のような仕事をしている分には、CDINの数値など無用の長物ということですね」
「悪かったな! 零細事務所で細々と便利屋のような仕事をさせていてよ!」
「ちなみに、Sクラスリベレーターの取得条件の一つとして、CDINが二十万を超えるという規定がありますので、そこを目指すつもりならば、避けては通れない道ですわ」
「に、二十万⁉ そんな数値を出せる人が本当に存在するの⁉」
「それなりにはな。だが二十万っていうのは、Sクラスリベレーターの最低ラインだ。中には同じジニアンとは思えないようなCDINのやつも存在するって話さ」
「とは言え、Sクラスリベレーターなど、業界全体のほんの一部しか存在しない筈ですが」
なんて凄い世界なのだろう。なんだか、少し前まで二千だの五千だので頭を悩ませていたのがバカバカしくなってしまいそうになる話だ。
「CDINという指標が最も重要視されるのは、アンヴァラスとの戦闘する際の判断材料ですわ。ちなみに、現在VSOPでは、自分の数値よりも一・二倍以上のアンヴァラスとの戦闘は避けるということが
「……でもさ、CDINが二十万以上の人が多からずもいるなら、アンヴァラスなんてどうにかできそうなものだと思うんだけど……」
「なんだよ雫、お前は半年前の出来事をもう忘れちまったのか?」
「半年前、ですか? …………、えっと……何かありましたっけ?」
「アースイーター級アンヴァラス、シエルイレイズのことだよ」
「あっ……、あぁ!」
「あんなに大変な思いをしたってのに、大したやつだよ、お前は」
「い、いえその……言い訳をする訳じゃないんですけど、あのときは私、艦内で走り回っていただけだったので……。あれってやっぱり、結構大変なことだったりしたんですか?」
「今後の人生の幸運を全て使い果たしたとして、俺たちが助かる可能性は〇・〇一パーセント以下だったろうな」
「あのとき雫には言いませんでしたが、シエルイレイズを退けるのがあと三十秒遅れていれば、あの艦は確実に落ちていた筈ですわ」
「そ、そうだったの⁉ それじゃあ、あのシエルイレイズのCDINって、一体幾つなんですか?」
「設定されていない」
「……えっ?」
「シエルイレイズには、と言うよりも、現在確認されているアースイーター級アンヴァラスには、CDINが設定されていないんだよ」
「それは……どうして、ですか?」
「理由は大きく分けて二つ。一つは力が強大過ぎて、測定のしようがないから。そして二つ目が、未だ人類は、アースイーターの
「連中について分かっていることと言えば、周囲の空間をロストグラウンドと同様の性質を持つものへ変化させて、強大な神威を行使しするとか、人類じゃ逆立ちしたって勝てないってことくらいさ」
「それにとても巨大なのだろうということ。とは言え、結局その全てを見た者はおらず、実際にどれだけの大きさなのかは見当もつかないらしいですが」
「俺たちがシエルイレイズと接触したときにビスマス……やつを退けた例の機械人形が言っていたよ。あのとき顔を覗かせたのは、指先程度でしかなかったんだってな」
「……でも、でももし、そんな怪物にCDINを設定するとしたら、一体どうなってしまうのでしょうか……」
「数千億とか、或いは兆とかにはなるのでしょう」
「要するに意味なんて無いのさ。そんな数値を付けたところで、誰だってへこむだけだろう?」
「確かに……そんなことを言われても、もう何がなんだか……」
「だが、驚異的なのは何もアースーター級だけじゃない。アンヴァラスの階級は、最低ランクのCからSSSまでの全六段階。Aより上になると、その一体に対して、討伐は数人掛かりでの攻略が前提の数値に設定されている」
「SSSに該当するのが件のアースーター級ですが、その下、SS級のアンヴァラスともなると、一体出現するだけで国が一つ滅ぶ恐れがあるとさえ言われていますわ」
「国が、亡ぶって……そんな、まさか……」
「そいつは比喩でも誇張表現でもない。実際に幾つかの国が、SS級アンヴァラスによって消滅させられている。旧ヨーロッパ連合EUが、騎士連合、通称KUと名前を変え、王制を復活させることになった最大の要因が、一体のアンヴァラスだって話、聞いたことはないか?」
「……あります。あります、けど……それってただの噂とか、おとぎ話の類だったんじゃ……」
「たった一体のアンヴァラスが幾つもの国を滅ぼしたと言うのは事実ですわ。ただし、KUの王政復興に関しては諸説ありますし、一部上流階級の人間が自分に都合が良いように国を造り変える為の方便だったとも言われてはいますが。実際、王制復興がアンヴァラスの撃退に効果があったのかは、微妙だと考えられているようですし」
「うーん……王制復興やら政治がなんだって言われても、正直私には良く分からないかなぁ……。それよりも、国を亡ぼすようなアンヴァラスの存在というのが気になるのですが」
「あぁ、そうだな。SSS級アンヴァラスがアースイーター、つまりは“地平を喰らうもの”とされているのに対し、SS級はリジェクター、通称‟国崩し”なんて呼ばれているんだが――」
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