5 Intermission.

いつまでも希望を捨てないあなたへ

 ――セントラルタワー三十三、四階 Casinoカジノ Royale Sevenロイヤルセブン & Double Oダブルオー――


「マーチン様、どうされますか?」

「……ッ、……ッ、……チェ、チェック……」

「マーチン様はチェックされました。では、バレット様――」

「コール、二千万だ」

「――ッ⁉」


 ディーラーの宣言を遮るように、ノータイムで返答する男に向けて、周囲から上品な歓声が上がる。それと、大きく息を呑む音も。いや、これは俺の喉が鳴らした音だろうか。だから余計に大きくその音が聞こえたのだろう。


 俺、マッツ・マーチンは、人生最大の窮地きゅうちに立たされていた。それは今から約二時間前のこと。普段から仕事場兼、稼ぎ場として使っているこのカジノの、テキサス・ホールデムの席にこの男が現れたところから始まった。名前は確か、ダレン・バレットと言ったか。


 この男が現れるまで間違いなく順調だった俺は、いつも通りに仕事を終えて、家代わりに使っている、セントラルタワーのスウィートルームへ帰り、ガールフレンドたちに今日の戦果を語ってやりながら、シャンパンで一杯やる筈だったのだ。だと言うのに、この男が現れてからはなんだ。対戦相手たちが見えなくなるまで積み上がっていたチップの山は、たったの一時間で奪い取られ、次の一時間で、今度は財布の中身まで空にされてしまったのだった。


 二時間で三十ゲーム近くプレイしているが、その中で俺が勝てたのはたったの五ゲームだけ。いや、勝ったとは言っても、実際に勝てたのは二ゲームだけで、残りの三ゲームはこの男が途中で降りたことによる勝利。ここまでの負けを考えると、とても勝ったとは言えないような戦績だ。


 一体何がいけなかった。どのゲームでもカードは悪くないのに。今日はとことんツイていた筈。だが、なんだ。この男に対する違和感のようなものは。これはそう、そもそも見えているものが違っていて、何かが噛み合っていないと言うか――。


「マーチン様。マーチン様?」

「……え……?」

「他の方は全員フォールドされましたが、どうされますか?」

「……あ、あぁ……」


 コミュニティーテーブルにはスペードの十と五、ハートの三、ダイヤのエース、それにクラブの六。対して俺の手札は、スペードのエースとクラブのエース。テーブルのダイヤのエースと合わせれば、エースのスリーカードが出来上がる。かなり良い手だ。普通に考えれば、そう負ける手じゃない。ならばここは、相手の金額に対して倍掛けで――。


「……レ、レイ――」

「あぁ、ちょっと待ってくれ。ウェイター」


 レイズを宣言しようとした瞬間、目の前の男が手を上げてウェイターを呼ぶと、ゲームが中断されて、張り詰めていた空気が弛緩する。そんな得も言われぬ空気の中、ウェイターは一切の表情を崩さずに男の元へと歩み寄って来た。


「どうされましたか?」

「注文を頼む」

「分かりました。何になさいますか」

「ジントニックを」

「承知しました」

「いや、待ってくれ……ジン二、ウォッカとリレ・ブランを二分の一ずつに、アンゴスチュラ・ビターズをトゥーダッシュ。それをトニックウォーターでアップし、ライムではなく、レモンピールを添えてもらおうか」

「…………、承知しました」


 ウェイターは男の注文を間を置かずに咀嚼そしゃくした後、バーテンダーの元へと駆けようとする。と、そのとき――。


「こちらにも同じ物をいただけますか」


 ギャラリーの中からそう声が上がる。声の方を向くと、そこにはまだ幼いとさえ言えるような容姿をした女が、男装をして立っていた。またその隣に寄り添っているのが、青を基調とした美しいドレスを身に纏った見目うるわしい東洋人の女だった。その二人の容姿に一瞬、俺は勝負のことも、ゲームを中断された苛立ちをも忘れてしまいそうになるが――。


「こっちにも同じものをくれ」

「私にも」

「俺にも同じものを……いや、こっちのはレモンピールを抜いてもらえるかな」


 などと、静かに進行を見守っていたギャラリーと、ゲームを降りたプレイヤーたちが一斉に声を上げる。最早会場はゲームの行く末よりも、男の提案したカクテルの味の方へ興味を惹かれてしまったようだ。


 ザラリ。乾いた舌が口の中をなぞると、俺は喉が渇いていたことに思い至る。ゴクリと喉を鳴らしてはみるものの、カラカラに唾液の失せた今の状況では、渇きが癒える筈も無い。すると、たった今対戦相手である男の提案した、その恐らく冷たくて清涼感せいりょうかんがあろうカクテルの味が頭を過って――。


「ウェイター、彼にも同じものを一つ。彼の分は特に冷やしてやってくれ」


 目の前の男はこちらの心中を悟ったかのようにウェイターへそう指示する。またそう注文を受けたウェイターは、こちらの意志を確認するように視線を向けていた。勝手なことをするな。この場はそう言ってやるべきだろう。が、今の俺には、この無礼者に対して強がって見せることもできない程に喉が渇いていたらしい。


「……頼むよ。彼の言ったように、舌が痺れるくらいに冷たくして」

「承知しました」


 俺の了承を得ると、今度こそウェイターはバーテンダーの元へと駆けて行く。


 会場中の客が同じカクテルを一斉に注文したものだから、バーカウンターの中は突如大忙しだ。何人かのウェイターまでもカウンターの中へ入れて、せかせかと急いでカクテルを作り始めている。そうして他人が慌てている様子を見ると、何故か急に頭が冷えたように感じ、俺は不意に口を開く。


「どういうつもりだ?」

「いやなに、二千万もの大金を乗せた大勝負だからな。折角ならもっと楽しまなくちゃ勿体ないと思ったのさ」

「こちらの手の内が良いのを悟ったか? そんな状況でタイムをかけるなんて、マナー違反だとは思わないのか? ん?」

「ここから先、開くカードに変更は無いんだ。ならカッカしてないで、冷たい物でも飲んで、頭を冷やしてからゲームを楽しんだ方が良のさ。あんたの手札が良いって言うなら、尚更にな。そうだろう?」


 腹の立つ男だ。ここまで優勢だったからと言って、調子に乗りやがって。俺のカードはエースのスリーカードだぞ。こんな手札で負ける筈が無いではないか。現在ゲームが中断されている最中とは言え、それは向こうの都合によるものだ。いっそのこと今この場でレイズを宣言して、すぐに手札を公開してやろうか。そうすれば、その憎たらしい余裕の表情を保ってはいられまい。


「……レ――」

「お待たせいたしました」


 口が開きそうになったそのとき、ウェイターが男の注文したカクテルグラスを運んできた。全く、なんて間の悪い日だ。何もかも裏目に出る。


 間の悪さと男の態度に舌打ちをしてしまいそうになると、そのとき、傍のテーブルに置かれたカクテルグラスが目に入る。きめ細かい泡が立ち昇るロングカクテルグラス。ハーバルで爽やかな香りが鼻孔をくすぐると、俺はもう我慢ができなくて――。


「それじゃあ、ここまでの健闘を称えて」


 そう言うと、男はグラスを掲げて乾杯の姿勢を取る。それを俺は無視して、グラスの上に添えられたレモンピールごと一気に煽った。まず感じたのは、そのキリリとした冷たさと、炭酸の心地良い刺激。それを一気に口の中へ放り込んだものだから、俺は目の奥と歯の隙間に痺れるような鋭い痛みを覚える。続いてやって来るのは、ジンによる植物由来の爽やかな渋さと、アンゴスチュラ・ビターズのしっかりとした確かな苦み。その後フルーティーな甘やかさがやって来たかと思えば、それら全てをウォッカとレモンの清涼感が余韻よいんを拭い去るようにさっと消えて行く。


「……良い味だ」


 気付けばそうコメントした。他意は無い。思った通りを言葉にしていた。


「あぁ、良い味だ」


 目の前で男もそう答える。そちらへ目をやると、俺とは対照的にグラスの三分の一程を口に含んでいた。その様子は、まるで目の前のゲームよりも、ただ純粋に、本気でカクテルの方を楽しんでいるかのように見える。この男、今このゲームに二千万もの大金を上乗せをした自覚があるのか?


「だが、ビターズはワンダッシュでも良かったかな。これじゃあ少し苦すぎる」

「そうか? いや、私はこれでも良いと思うが」

「なるほど、状況が違うと味覚も違ってくるらしい」

「……どういうことだ?」

「あんたはゲームに負け続き。苦い思いをしている。だから、他の苦みが気にならなくなってしまったんだろう。もしも今後俺がこのカクテルを誰かに振舞うことになったなら、そのときは相手の心情を考慮してレシピを変えなくちゃならないようだ」

「――ッ‼」


 一瞬で沸点に達そうとした怒りは、思いのほかスッと奥へと引っ込んだ。どうやら今のカクテルで、頭が冷やされたらしい。


 一息ついた後、再び盤面を見据えて状況の整理を試みる。俺のカードはエースのスリーカード。普通に考えれば、そう負ける手では無い。だが、今の俺はスリーカードという役以前に、エースのというカードの強さに意識を囚われすぎていたのではないか。


 テキサス・ホールデムポーカーの役は、全部で九つ。スリーカードの強さと言えば、全体の中で四番目である。が、コミュニティーテーブルのカードを見る限り、強い順から上五つは取り除かれることになるのだ。よって俺のこのスリーカードという手は、今作られる役の中で上から二番目に強い手である上、エースで構成されているこのスリーカードに勝てる同役が出されることは無い。


 だがしかし、ここで一つ大きな問題が生じる。現在このスリーカードという役に勝つことのできる唯一の役、ストレートだ。悪いことに、コミュニティーテーブルには三、五、六と、ストレートが出来上がる可能性のあるカードが並んでいる。もし男の手札の一枚が四、もう一枚が二か七であった場合、ストレートが完成してしまう。


 危ない所だった。なるほどこの男の手札はストレートか。だからこの男は、こうもあっさりと勝負を仕掛けてきたのだ。なればこそ、この余裕も頷けるというもの。しかしまさか、この男の振舞いに冷静にさせられるとは。どうやら間が悪いのは俺ではなく、この男の方だったらしい。


「それではゲームを再開します。マーチン様、どうされますか?」

「…………、……降りる……」


 そう言って、俺はカードを返した状態でテーブルに放る。今のゲームで失ったのは七百万。痛手ではあるが、無茶な勝負を受けて、二千万以上の損失を出すよりはずっと良い。


「良かったのか? 良い手が来ていたんだろう?」

「白々しいことを言うなよ。私にはお前の手が読めているぞ」

「そうかい? なら、ゲームを降りたのは失敗だったんじゃないのかな」

「……なんだと?」


 男は自分の伏せていたカードを開いて見せる。そこにあったのは、スペードの九とハートのクィーン。つまりその手は――。


「役無し……だと……?」

「あんたの手はストレートだろうと考えていたんだが、まさかこんな手で勝てるとは思わなかったよ。こいつは、フッ……ラッキーだったな」

「……ラッキー、だと……? ふ、ふざけるなッ‼ ブタだと⁉ お、お前⁉ そんな手に、に、二千万も乗せたっていうのか⁉」

「あぁ、そうだ」

「何を考えている⁉ これはポーカーなんだぞ⁉ 碌にルールも知らないズブの素人が、ひ、人のことを馬鹿にしやがって‼」

「その通り、こいつはポーカーだ。だからあんたは負けたんだよ」

「なんだと⁉」

「あんたがやっているのは運否天賦うんぷてんぷを競うギャンブル。対して俺がやっていたのは、どうやって対戦相手を降ろしてやろうかっていう駆け引き有りきの心理戦。どっちが優れているかなんて生涯誰にも、神にだって分かることじゃないが、今の結果だけを見るなら、どうやら最後に勝てるのは度胸があって、頭を使った方ってことになるらしい」

「……度胸……? 頭、だと……? この俺が腰抜けのマヌケだとでも言いたいのか⁉」

「いや、そんなことを言ったつもりは無いんだ。だが、そう聞こえたなら謝るよ。なんならもう一杯奢ろうか? 今度はビターズをスリーダッシュくらいにして」

「そんな物はいらん‼ お前、そこまで言っておきながらタダで帰れると思うなよ⁉ この俺とサシで勝負しろ‼」

「あー……、別に俺は、構わないんだが……」


 男が周囲に目配せをすると、他のプレイヤーたちはテーブルを立ち始めた。


「全く、悪いことをしたな。ウェイター、悪いが、今立ったプレイヤーの皆に何か一杯振舞ってやってくれないか。勿論、俺の奢りで」


 男がそう言いならがテーブルの上のチップをバーテンダーに渡すと、周囲から拍手と歓声が上がった。またその態度が、より一層俺のことを苛つかせる。許さない。その表情、絶対に歪ませてやるぞ。



 ***



「…………ッ、オールイン……」


 俺の宣言と共に周囲から上がる感嘆の声。しかしダレン・バレットとサシでの勝負が始まってからというもの、俺は着実に負けを重ね続けていた。既に財産の全てをチップに替え、俺に残されているのは、今オールインした五千万を残すのみ。ただそれも、当初の負け分から考えると、風前の灯のような金額ではあるのだが。


 幾度も引き返す機会はあった筈だ。だがここまで来て、ここまで負け続きの状態で、プロである俺が引き下がれる訳がない。いや、それ以前に、もしもこんな醜態しゅうたいを晒して負けようものなら、雇い主・・・である彼女が俺を許す筈がないのだから。


「……あぁ、まいったな……」


 そう小さく口にして、ダレン・バレットの表情が曇るのを、俺は見逃さなかった。すると、即座にコミュニティーテーブルと伏せられた二枚の手札を改めて確認する。俺の手はエースと三のフルハウス。まず負ける筈の無い手札だ。そして今のゲームの掛け金は一千万。仮にここでこの男を降ろせば、無条件で一千万が返って来る。が――。


「……どうした、バレット君。手札が悪いなら、今までのように早々にゲームを降りたらどうなのだ?」

「いや、手が悪い訳じゃないさ。気を使ってくれてありがとう」


 どのゲームでも変わらず不敵な笑みを浮かべていた男は、ここへ来て明らかに具合の悪そうな表情をしていた。余程手が悪いのだろう。しかしここまでに積み上がったチップの額は二千万。それをただ捨てるのは惜しいと見える。


 ここでこの男をゲームから降ろして二千万を得るのは簡単だ。しかし、ここまで失った金額のことを考えるなら、それだけでは到底取り返したと言えよう筈も無い。ならば――。


「なぁバレット君、突然だが、車は好きかね?」

「嫌いじゃないよ。だが、どうしてだ?」

「いやなに、ちょっと、こんなものを提案したいのだが――」


 そう言うと、俺はポケットから車のキーを取り出して、たった今オールインしたチップの上に乗せる。


「こいつは、フェラーリか」

「あぁ、フェラーリだ。それも今年発売されたスパイダー型の最新モデル。当然内装は全てハイグレードにカスタムしてある」

「色は?」

「上質で目の覚めるような赤。今の時期は難しいだろうが、屋根を開放してドライブをするのに、これ以上の車は無いだろう。きっとガールフレンドも喜ぶと思うよ」

「それは良い、フェラーリは赤に限る。乗せるガールフレンドには、残念ながら心当たりは無いけどな」

「勿論君のチップとで吊り合う金額でないことは十分理解しているつもりだ。だがもしも、君がこの条件をオールインで受けてくれるのなら、こちらとしてはとても助かるのだが……」

「マーチン様、そういった行為は規則上、ご遠慮いただきませんと……」

「これは私とバレット君の問題だぞ。横から口を挟むんじゃない」

「しかし……」

「良いじゃないか。彼がここから負け分を取り返すには、大きく賭けなくちゃいけない。だから、今回だけの特例ってことでさ」


 ディーラーは我々を一瞥した後に、一瞬逡巡しゅんじゅんするも、双方の合意の上とあってか、小さくため息を吐いた後、俺の提案を承認する。


「分かりました。但しこの件について、当カジノでは、如何なることがあろうと一切の責任を負えませんが、よろしいですね?」

「勿論だよ。こちらから提案したことなのだからね」

「それではバレット様」

「あぁ、オールインだ」


 オールインの宣言と共に、バレットは堆く積み上げられたチップを前へと押し出した。ギャラリーから上がる称賛と驚愕の声。しかしそれは、こちらのものとは比較にならない。


 シャカシャカと軽やかな音を立てながら滝のように崩れるチップ。その大半は、この俺から掠め取った物だ。後悔させてやるぞ。その余裕そうな表情は絶対に歪ませてやる。


 …………、…………?


 いや待て、何かがおかしい。いや、一体何がおかしい? あぁそうだ、この男、いつの間に表情が、元に――。


「それではショーダウンを。マーチン様」

「……えっ、あ、あぁ……」

「フルハウス、三とエース」


 俺の出した最後の手に、会場中が驚愕する。それと同時に、目の前の男、バレットへ憐憫れんびんの感情が飛び交っているのが分かる。事実、こうしてバレットは顔を伏せ、項垂れているのだから。


 思い過ごしか。まぁ、当然と言えば当然だろう。フルハウスに勝てる手など、そうそう出る筈が――。


「バレット様、ショーダウンを」


 ディーラーに呼びかけられると、バレットはゆっくりと頭をもたげた。そこにあったのは、鋭くも悦楽えつらくを含んだ表情。その視線は手元のカードにではなく、一直線にこちらを向き、その目に射抜かれた俺は、形容しがたい悪寒のようなものを覚える。そして、男の出したカードは――。


「……三のフォーカード。バレット様の勝ちです」

「…………はっ?」


 呆然とする俺に対して、ディーラーは淡々とその残酷な現実を突きつける。しかし会場中から沸き起こる拍手喝采と、たった今目の前で獲得したばかりのチップを積み直しているバレットの姿が、俺の冷え切った思考を激しく泡立てて、無理やり現実へと引き戻して行く。


「…………ッ、こ、こんなゲームはッ‼ 無効だ‼ やり直せ‼ 今すぐにだ‼」


 気が付けば、自分で自分が惨めだと思える程に喚き立てていた。


 次から次へと出る罵倒の言葉。それは対戦相手のダレン・バレットや、周囲のギャラリーに向けられていて、次第に怒りの矛先は俺の仕事場であり、依頼主の所有物でもあるカジノへと方向を変える。すると次の瞬間――。


「貴方、一体誰の所有物に対してそんなことを言っているのか、ちゃんと理解しているのかしら?」

「えっ――」


 こめかみに感じる激しい衝撃と鈍い痛み。それはまるで、スレッジハンマーか何かで殴られたかのようで、吹き飛ばされた俺は幾つもの椅子やテーブルをなぎ倒しながら壁へと激突した。


「カッ……な……カハッ……」


 今にも切れてしまいそうな意識の中、俺の目に映ったのは、雇い主であるパトリシア・ハンバートが中指を突き出すようにしている姿。またその視線は、まるで無価値な物を見るかのようにどこまでも冷たくて。


「おじょ……さ……ど、して……」

「つまらない男。気安く呼ばないでくれるかしら。こんなモノを転がしていては床が汚れますわ。誰か、早く外へ放り出して下さる?」


 解雇を言い渡すその言葉を聞き終えるのと同時、俺の意識はそこで途切れた。

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