3 Transaction.

Win-Win

 ――セントラルタワー五十一階 コートヤード級クラスマスター専用室――


Bienvenidosビエンベニードス。ようこそ、私の新たな新居へ。どうだい、広くて良い部屋だろう?」

「広いなんて言葉で済むような広さじゃねぇだろ、こいつは。入口からここまで何分歩いたと思っていやがる」

「あのエレベーターホール、家具を持ち込めば三人くらいは余裕で住めそうでしたね。バスルームが無いのは残念でしたが」

「おい、トイレだって必要だろ」

「あぁ、それは失念していましたわ」

「私も、エレベーターホールで尿意を催したらトイレまで間に合わないと思ったていたんだ。今度アリーナ協会に頼んで、エレベーターホール付近にも取り付けてもらうとするよ。JAJAJAハハハ!」


 目の前で間の抜けた談笑する三人を他所に、私はまるで頭が付いていかなかった。


 パトリシアさんとエラさんとの試合から数日後。今日私たちが訪れたこの場所、セントラルタワー五十一階のクラスマスター専用ルームは、どこを見ても歩いても、何もかもが規格外としか言いようがないのだ。


 まずこの部屋を来る為には、セントラルタワーのフロントで入室許可証を発行してもらう必要があり、それを使わなければ、このフロアに辿り着くことさえできないというセキュリティ面の徹底ぶり。更に、各フロアに備え付けられているクラスマスタールームへ直通の専用エレベーターに乗って五十一階で降りると、そこには私たちの寝泊りしている宿泊部屋が三つか四つはすっぽりと収まってしまいそうな程の広さを誇るエントランスルームに出迎えられる。それは今二人が話していたように、その場所から部屋に入るまでちょっとした散歩気分が味わえると言っても大げさではない程に広かった。


 入口が広いならば、当然それ以外の部屋だって広いに決まっている。スポーツでもできそうなくらい広いリビングに、広すぎて落ち着かないトイレ。まるで競技用プールかと思う程に広いバスルームに、天蓋付きベッドが備え付けの寝室。当然ベッドはキングサイズ。そして今私たちが腰かけている、超、超幅広なソファーは、その気になれば余裕で生活できそうな程に悠々ゆうゆう広々としている。加えて、どこを見たって広くない場所が見つからない部屋の随所ずいしょには、等身大の石膏像せっこうぞうや絵画の数々といった、見るからに高そうな調度品の数々が置かれていた。


 約束を破られた上、パトリシアさんと戦うという目標を失った私は、ここへ来るまでは間違いなくふて腐れていたし、エラさんに会ったら、文句の一つも言ってやろうと考えていた。だけど、こうも規格外な部屋に放り込まれてしまっては、まず頭が追い付かず、そんなことを覚えていられる筈もなかった。


 ………………。


 いや、だけど、もしも私がパトリシアさんに勝って、もしも私がクラスマスターになっていたのなら、この部屋全てが私の物になっていたのか。そう考えると、あぁ、なんだかまた胸の辺りがモヤモヤしてきたような気が。


「さて、折角来たんだから、皆で他の部屋も探検しよう。まだ私もどこに何があるのかを把握していないんだ。それとも先にルームサービスでも頼もうか?」

「そんなことよりエラ、お前、どうして約束を破ったんだよ?」

「約束、って……なんだっけ?」

「クラスマスターへの挑戦を俺たちに譲るって話だっただろうが。それに、お前はパトリシアを倒したら、マンダレイに上がるつもりだったんじゃないのか?」

「あー……あぁうん、その話か。SíSíはいはい、思い出した。いや、悪かったとは思ってる。でもさ、私が約束を破ってマンダレイに上がらなかったのには、ちゃんとした理由があるんだよ」

「一応、その理由ってやつを聞いてやるよ」

「その方が楽しそうだったから」

「……なんだって?」

「私がコートヤードのクラスマスターになれば、いずれは所長たちと戦えるだろう。それとマンダレイに上がることを天秤てんびんに掛けたなら、前者の方がスリリングで楽しそうだと思ったのさ」

「……エラ、お前は二つ勘違いをしている。まず、俺たちはチームを組んじゃいるが、俺とシャロが試合に出るつもりは無いし、ここでの試合は全て雫が戦うことになっているんだよ。言っただろう、試験を兼ねた研修で来たんだって。それに、雫の課題はアリーナ戦で十勝することであって、クラスマスターになることが目標って訳じゃない」

「えぇ、そうなのかい? それは、困ったなぁ……」

「ったく、色々と台無しにしやがって。一体どうしてくれるんだよ。雫なんて、今朝までずっとふて腐れていたんだぞ」

「えっ、あっ……いや、まぁ……」

「そういうことなら簡単だよ。お嬢ちゃんの合格条件を変更して、私を倒すってことにすれば良い。それなら私は戦うことができてGanarガナール。お嬢ちゃんは課題をクリアすることができてGanar。これはまさしくGanar-Ganarガナガナーってやつじゃないか!」

「……あのな、雫はDクラスリベレーターの試験でここへ来ているんだって。そんなの、どう考えたって新人が乗り越えられる難易度じゃないだろうが。勝手なことばかり言いやがって。全部お前に都合が良いだけじゃねぇか」

「そうかい? なら、この際試験の合否はどうでも良いから、それとは別に私と戦ってくれよ。なぁ良いだろ、所長?」

「絶対に嫌だね。大体、話をすり替えるなよな」

「困った所長だな~。それならさ――」


 それから暫くの間、バレルさんとエラさんは押し問答を始めてしまった。だけど二人の会話はなんとも噛み合っていないようで、一向に話が進んでいない。


「ねぇシャロ、今更だけど、エラさんって一体どんな人なの?」

「前にも話したように、戦闘狂ですわ。彼女の欲求は全て、戦いという行為へ向いています。しかも天然でエゴイストですから、今回のことも、恐らく悪意があってのことではないのでしょう。とは言え、悪意が無い分余計に質が悪いのですが」

「あぁ、うん……そう、なんだね……」

「ですがまさか、バレルと戦いたいが為に、雫の妨げになるとは考えもしませんでしたよ。本当にごめんなさい、雫」

「い、いや、シャロが謝ることじゃないよ……」


 シャロの言った通り、バレルさんに交渉を持ちかけるエラさんの様子は、無邪気そのものだった。私も色々と思う所があった筈なのだけれど、こうして毒気の無いエラさんを見ている内に、なんだか振り上げた拳のやり場が無くなってしまったような気にさせられてしまう。


「――おいおい、その条件でも駄目なのか? 本当に困った所長だな~。なぁ、どうすれば私と戦ってくれるんだい?」

「何を言われてもお前とは戦わねぇよ。ったく……もう良い。俺たちは当初の予定通り、適当にアリーナで戦って――」

「あっ、そうだ。もしも所長が私と戦ってくれたなら、私の知っている“SVO”の情報を教えるってことでどうだい?」


 エラさんのその言葉で、部屋の空気が突如張り詰めたような感覚を覚える。すると、静かに、しかし重苦しい口調で、バレルさんが話し始めた。


「お前があの連中の、一体何を知っているってんだ?」

「それを今言っちゃ交渉にならないだろう。大丈夫だって、所長が私と戦ってくれたなら、勝敗に関わらず、ちゃんと情報は教えるから」

「その話、俺が信用すると思うのか? 平気で約束を破る、お前の話をさ」

「昨日私が言ったこと、覚えているかい? 古い知り合いと仕事をしたって話をさ。その知り合いが“狂信者殺しピュリフィケイショナーオルター”だって言ったら、信じる?」

「――ッ、狂信者殺し、だと……? エラ、それはゼニス位階序列二位の、あの“オルター・ハーラン”のことを言っているのか?」

「あぁ、そのオルター・ハーランで間違いないよ。ちなみにまだどこにも公表されてはいないけれど、今は諸事情あって、序列位階は暫定一位ってことになってるんだってさ。あっ、これって言っちゃいけないんだったっけ……」

「何故、お前にあんな大物リベレーターとの接点があるんだ?」

「昔ちょっと、一緒に仕事をしたってだけのことだよ。接点とは言っても、別にそんな大層なもんじゃないけどね」

「ならお前の言ったSVOの情報っていうのは、そのオルターと直近でやった仕事に関する内容ってことで良いんだな?」

「まぁ、そうなるんだけど……これ以上先を知りたいなら、私の出した条件を飲んでくれないかな。私は所長やシャロと違って、嘘を吐くのが得意じゃないんだからさ。このまま質問されていちゃ、いつの間にか全部喋ってしまいかねないよ」

「…………、最後に一つ聞くが、どうして俺に拘る? ゼニスに知り合いがいるお前なら、俺なんかに拘らなくても、相手には困らない筈だ。そうだろう?」

「所長、謙遜けんそんしないでくれよ。私は常々思うんだが、あんたは自分のことを過小評価しすぎているんだ。少なくとも、戦闘狂なんて呼ばれている私がそう認めているんだから、間違いないとは思わないか?」

「……少し、考える時間をくれ……」

「良いともさ。所長がその気になるまでは、この退屈なコートヤードで退屈な挑戦者たちを遊び相手にして、ゆっくり待つとするよ」


 そのエラさんの言葉を聞くと、バレルさんは何も言わずに私たちを残して部屋を出て行ってしまった。

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