Ms. Vulcan
「絶対にこっちの店が良いですわ」
「いや、こっちの店で良いだろ! どうしてお前はそう高そうな面構えの店にばかり入ろうとするんだよ⁉」
「それは勿論、タダ酒が飲めるなら高い方の店に入った方が良いに決まっているからですよ」
「……どうしてもそっちの店に入ろうってんなら、今日の払いはお前がどうにかしろよな!」
「何を言っているのです、貴方はさっき言ったではありませんか、今日は俺の奢りだと。
クレアさんたちと別れてから暫し。私たちは食事の為セントラルタワー内のレストラン街へやって来たのだけれど、どの店に入るかでバレルさんとシャロが言い争いを始めてしまい、既に十数分以上もの間店の前で立ち尽くす羽目になっていた。私は恥ずかしくて仕方がなかったけれど、この時間、いつもならばもっと人通りが多い筈のこの場所が、今日に限ってやや
それにしても、いつになったら私たちは夕食にありつけるのだろう。今日は試合の後でクレアさんとの模擬戦を熟したからか、私のお腹はいつも以上に空腹を訴えている。と、そんなことを考えていると――。
「うぉぉぉ‼ すげぇぞ‼ また勝った‼」
「おいおいおい、これで何人抜きだよ⁉」
「七……いや、八人抜きだぜ‼」
「すげぇ‼ コートヤードのバルカン砲は酒の強さもチャンピオン級だ‼」
二人の会話を掻き消すように近くで歓声が上がる。声のする方を見ると、その歓声はテラス席へ座る二人へと向けられているようだった。いや、正確にはその一方、酒の飲み比べをしている勝者の方へ。歓声の中心にいるのは、浅黒い肌をした大柄な女性。その佇まいは、服の上からでも分かる程に筋肉質で、言葉では言い表せないような迫力を帯びていた。
「う~ん
そう言った女性の前には、大小様々な空のグラスと酒の瓶が並べられている。さらに辺りを見渡すと、何人もの男たちが酔いつぶれて床やテーブルに突っ伏していた。ギャラリーの会話の内容から察するに、あの女性との飲み比べで負けた人たちなのだろうか。
「うわぁ……凄いですね、あの人。八人抜きですって」
「……聞き覚えのある声だったな。それに、なんだ……どこかで、見たことのある顔のような……」
「何を気付かないフリをしているのですか。あれはどう見たってエラでしょうに。間違いようがありませんわ」
「えっ、エラって、確か……」
「おん? おぉ、そこにいるのはシャロ、と……所長、か? いやぁ、こんな場所で会うなんて奇遇だな」
こちらに気付いた女性は手を上げて気さくな様子で話しかけてきた。
「あー……、エラ、悪いがここじゃちょっと話し辛いな。どこか個室のある場所に移っても良いか?」
「あぁ良いよ。だけど、どうせなら酒の飲める場所が良い。ちょっと飲み足りないところだったんだ」
「エラ、何やら飲み比べをして、負けた相手に代金を支払わせていたようですね。どうせならそれ、これから私とやりませんか?」
「……所長、悪いけど、やっぱり酒の飲めない場所が良いな……。なんかちょっと、急に体調が悪くなっちゃって……」
「分かっていると思うが、そいつは俺の言うことを素直に聞くようなやつじゃないんだ。観念して二人でよろしくやってくれ」
「いや、でもさぁ……」
「エラ、今日はどれくらい飲んだのですか?」
「えっ、そうだな……ボトルでウィスキーを三本に、ジンが二本。それとウォッカを一本と、チェイサーにビールを少々だけど……」
「ならばハンデとして、私はその倍の量を飲んで差し上げますわ」
「……ハンデ、だって?」
「はい。それにその間暇だと言うなら、水でも飲んで酔いを醒ましていてはどうですか。そうすれば、少しは勝ち目も出て来るでしょう?」
「……いやいや、ハハハ……。いくら私だって、そんな安い挑発には乗らないよ……」
「そうですね。確かに、それくらいではハンデになりませんか。いえ、良いのです。聞き流してくれて構いませんわ」
「……フー……。同量で良いよ」
「なんですって?」
「最初に飲む量は私と同じで構わないと言ったんだ。やるからにはハンデは無しだ。フェアにやろう」
「別に私は構いませんが、本当に良いのですね?」
「……ッ、……あぁ、良い……」
「では行きましょうか。夜はこれからですわ」
「……シャロと飲み比べをさせられるなんてな~……。帰って来て早々ついてない……」
***
――セントラルタワー三十階
「お前ら、そんな飲み方をするなよ。酒が勿体ないだろう」
「……シャロ……所長も、こう言っているし……そろそろ、止めにしよう……? ここまでの払いは……その、折半ってことにしてさ……。これ以上は、絶対体に悪いって……」
「もうお終いですか? 私はようやく体が温まってきたというのに」
この場所を訪れてから二時間が経った頃。二人の前には、並々とウィスキーの注がれた大ジョッキが置かれていた。これは何杯目のジョッキだっただろうか。今と同じ注文を受けた際、最初の内は怪訝そうな顔をしていたウェイターも、回を増す毎に信じられない物を見るような表情へと変わり、今ではグラスの中身を干す二人の様子を心配そうに見守りながら部屋を出入りしていた。
「ということは、私の勝ちですね。ご馳走様でした、エラ」
「……いや、待ってくれ……。そもそも私は、十人と飲み比べをした後だったんだぞ……。こんなの、全然フェアじゃ、ない……」
「酔って記憶まで飛んだようですね。エラが飲み比べをしたのは八人ですわ。それに公平を期する為、私はエラの公言したのと同じ量のアルコールを摂取した筈ですが」
「……いや、だってさ……」
「ですが、それでも不服だと言うならば、もう二、三本ボトルを空けましょうか? 私が飲み干す間、エラは休んでいても構いませんし」
「…………、…………」
「次はジンが良いですわ。エラもそれで良いですよね?」
「…………、……もう、私の、負けで……良いよぉ……」
その言葉を聞くと、シャロは何も言わずに、自分と大柄な女性の分のジョッキに注がれたウィスキーを一気に飲み干してしまった。
「ふぅ、ご馳走様でした」
「……所長……あんた、折角買ってきた酒を飲まれて、いつもこんな気分だったのかい……?」
「あぁ。うちは半分バーみたいな装いをしちゃいるが、人に笑われるのを覚悟で、酒を置くのを止めて、それこそコーラとミルクだけを出す店にしようかって、何度も本気で考えたもんさ……」
「それはお気の毒ですわ」
「心配してくれてありがとうよ‼ 原因はお前だけどな‼」
「あ、あの……」
「あぁ、悪かったな雫。紹介が遅れたが、こいつが前に話したエラだ」
「あ~……エラドゥーラ・バルカニコだよ~よろしく~お嬢ちゃん~……。それで所長、この可愛らしいお嬢ちゃんは誰なのさ?」
「うちの新人だよ。お前がいない内にやって来たんだ。まぁ、今はまだ仮入社ってところだけどな」
「そうだったのか。いやぁ悪いね、こんな状態で……うっぷ……」
「い、いえ。私は雨衣咲雫と申します。よろしくお願いしますね。その、エラドゥーラさん、で良かったでしょうか?」
「エラで良いよ~。本名じゃ長ったらしくて、舌を噛んじゃいそうになるだろ」
「あっ、はい。それでは私のことは雫と呼んで下さい」
「シズク、シズクね……。頑張って覚えるようにするよ……。何せほら、今はこんな状態だから、明日まで覚えていられる自信が無くて……」
「いえ、その……大丈夫、ですか?」
「う~ん……頭に特大のスピーカーを突っ込まれたような気分だけれど、まぁ、大丈夫~……」
とてもそうは思えない。二人が今までに注文したのは、ウィスキーやウォッカ等の度数が高いお酒ばかりな上、それをチェイサーと称してビールで流し込むという、どう考えても非常識なことをやっていたのだから。だと言うのに、今まで一緒に飲み比べをしていたシャロはと言えば、グロッキーなエラさんを他所に再びウェイターを呼び、いつの間にか注文したお酒を涼しい顔で飲み始めていた。
「あ~……こんな勝負、受けるんじゃなかったよ……。それで所長、こんな場所へ、一体何をしに来たんだい?」
「こんな場所へ何をしにも無いだろう。当然、アリーナへ参加する為に来たのさ」
「そうだったのか。いや、顔を変えているから、ギャンブルでもやりに来たのかと思ったよ」
「……おい待て、その言い方だと、俺は顔を変えなくちゃカジノに入れないって言ってるように聞こえるんだが?」
「そりゃあ、所長の顔じゃあ門前払いを喰らいかねないからね。その顔はシャロの仕事なんだろう? 大したもんだよ。まるで別人じゃないか」
「
「う~ん……だけどさ、折角なら、もう少し親しみやすい顔にすれば良かったんじゃないのかい? 確かに、普段よりはマイルドになったけれど、これでもまだかなり厳ついと思うけどねぇ」
「そんなことを言われたって、私の技術にだって限界はありますわ。無理なものは無理というものでしょう」
「ま、それもそうか」
「……一度聞いてみたかったんだが、お前たちには俺の顔がどう見えてるってんだよ?」
「エルム街の悪夢ですわ」
「十三日の金曜日だね」
「……なぁ雫、お前は俺の顔を、どう思う?」
「えっ⁉ いや、その……、……バ、バレルさん! 人は顔じゃないですよ! どれだけ顔が悪くたって、私はバレルさんが悪人じゃないってことくらい、ちゃんと分かっていますから!」
「ブフォッ‼」
「ハッハッハ! いや~面白い新人だね~。なぁシャロ、大事にしてやんなよ?」
「フッ……い、言われるまでもありませんわ……ク、クフフ……」
「……お前ら、雇い主である俺にこれだけ言いたい放題言っておきながら、今後給料がまともに支払われると思うなよな……?」
「おいおい、それは公私混同な上、職権乱用ってやつじゃないのか?」
「そもそも普段から大した金額はもらっていませんわ。この機会に待遇の改善を要求します」
「うるせぇ‼ 少しは遠慮して物を言いやがれ‼」
***
「ところで、所長にシャロと、それに有望な新人がアリーナへ来たからには、シーザーパレスか、ベラージオ辺りにでも挑戦しに来たのかい?」
「いや、コートヤードだよ。雫はまだリベレーター見習いでね。今回は試験を兼ねて、研修の為にここへやって来たって訳さ」
「あぁ、そういうことか。だがコートヤードの闘技者が相手じゃ退屈だろう。なぁ、新人のお嬢ちゃん?」
「いや、そんな……。ついさっきだって、私は自分の未熟さを教えられたばかりでして……」
「うんー? どうしたのさ、そんなに暗い顔をして。試合に負けでもしたのかね?」
「雫は今日まで九勝〇敗ですわ」
「凄いじゃないのさ。私は休暇を貰ってから三ヵ月コートヤードへ挑戦しているが、既に二敗しているからね」
「なんだって? コートヤードで、お前がか? 一体何があったんだよ?」
「ちょっと古い知り合いと合ってね。突如そいつの仕事を手伝うことになったんだが、コートヤードじゃ一ヵ月に一度はエントリーしなくちゃ戦績が抹消されちまうから、エントリーだけはしておいて、試合をすっぽかしていたんだよ。ここでの二敗はその分さ」
「なんだ、そういうことか。一体何の冗談かと思ったぞ」
「ですが、どうしてコートヤードを選んだのですか? 退屈だと言うなら、最初から上の階級を狙えば良かったでしょうに」
「一番下の階級から始めれば、それだけ戦える回数が増えるだろ。だからコートヤードを選んだのさ。だけどいざ戦ってみると、ここの闘技者はどいつもこいつも全然相手にならなくてねぇ。流石に、マンダレイ辺りから始めれば良かったって後悔しているよ……」
「そいつは気の毒だ」
「そうだろう? 所長なら分かってくれると思っていたよ」
「お前に言ったんじゃない。他の闘技者たちに同情したんだよ」
「うん? そうなのか?」
「相変わらずの戦闘狂ですわ」
「しかし、こいつは完全に想定外だったな……。なぁエラ、お前、試合にはいつエントリーするつもりなんだ?」
「試合かい? それなら――」
『ラストベガスアリーナTV‼ さぁ本日も、アリーナコロシアムのホットなニュースを、テレビの前の諸君にお届けするぞ‼』
エラさんの言葉を遮るように、個室に取り付けられていたモニターの映像が派手な演出と共に切り替わる。画面の中で司会者がアリーナ内で起こった出来事を陽気なテンポで読み上げて行くと、少しした後、突如モニターにエラさんの姿が映し出されて――。
『さて、本日最後のニュース。あの女が帰って来た‼ コートヤードへ参戦してから、僅か二週間で十勝を勝ち取り、チャンピオンへの挑戦権を獲得するも、突如姿を消し、失踪の噂が
そう締めくくった。
「そういうことだな」
「……おい、お前が十勝していたなんて聞いていないぞ?」
「そりゃあ、聞かれなかったからね」
「……まさかとは思うが、お前、クラスマスターに挑戦するつもりじゃないだろうな?」
「そりゃあするさ。セントラルタワーの最下級とは言え、一応はクラスマスターだからね。ここまでつまらない試合ばかりだったから、少しくらいは楽しめると期待しているんだ」
「……それで、いつ挑戦するつもりなんだ?」
「明後日だよ」
「……フー……。なぁエラ、無理を承知で言うが、こっちに順番を譲ってくれるつもりは無いか?」
「無いね」
「即答かよ……」
「何故先に戦いたいんだ? 私はコートヤードなんかに留まるつもりは無いから、別に私の後で戦ったって構わないだろ?」
「簡単に決着が付いちまうことが問題なんだよ。それにお前と戦ったなら、相手は暫くの間、ベストな状態ではいられなくなるだろう?」
「それはまぁ、そうかもしれない。でも無理だね。だって、私はもうエントリーを済ませてしまったからさ。ここで辞退でもしようものなら、もう一度十勝してこなくちゃいけなくなる」
「どうしても、駄目か?」
「代わりに所長が私と戦ってくれるなら、それでも良いよ」
「…………、……他の条件は無いのか?」
「え~……う~ん、そう、だなぁ……。……いや、待てよ……。うん、やっぱり気が変わった。なら、順番はそっちに譲ってあげるよ」
「……なんだって?」
「順番を譲っても良いと言ったのさ」
「なぁエラ、どうして突然気が変わった? 要求は何だ?」
「ただの気まぐれだよ。別に要求なんて無いって。いけないかい?」
「あぁ、気に入らないね。一体何を企んでいやがる?」
「なんだよ、そっちが順番を譲れって言ったんじゃないか。考えすぎだよ、所長。人の好意は、素直に受け取るべきだと思うぞ」
「…………」
「あーらら、そんな疑り深い顔をしちゃって。ま、今日の所はお開きにしよう。悪いけど、私は先に帰らせてもらうよ。流石に飲み過ぎたからね」
「エラ、ここの払いをお忘れなく」
「……あぁ、そうだった……。早く今日の出費分を取り返さないとな……」
そう言いながら、気を落とした様子でエラさんは個室を後にする。
「……あの、エラさんって、良い人、ですよね?」
「どうしてそう思ったんだ?」
「いやだって、順番を譲ってくれましたし……」
「シャロ、エラのやつ、一体何を考えていると思う?」
「さぁ、なんとも。今のは裏で何かを考えていながらも、口を滑らせないよう私たちから離れたようにしか見せませんでした。何せ、隠し事が得意なタイプではありませんから。ただ一つ言えるのは、人生で戦うことを最も楽しみにしているあのエラが、何の理由も無く自分の対戦相手を譲るとは、どうしても思えませんわ」
「そうだよな。あいつ、一体何を考えていやがる……」
「……あの、普通に好意で順番を譲ってくれたとは考えられないんですか?」
「「ない
「えぇ~……」
「例えばだ、クラスマスターへの挑戦権を放棄して、通常の試合で俺たちと戦おうとするっていうのは?」
「どうでしょうか。アリーナ戦は試合を行う日の選手同士がランダムにマッチングされるのであって、例えエラが私たちと同日にエントリーしたところで、確実に戦える保証なんて無い訳ですから」
「あいつがそこまで頭を働かせていなかったとしたら?」
「それを言い出したならキリがありませんよ」
「まぁ、あいつを俺たちの物差しで測ったって碌なことが無いからな……」
「いずれにせよ、何が起こっても驚かないよう心構えをしておくとしましょう」
「ま、そうだな」
「は、はぁ……」
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