自惚れと才能

 ――セントラルタワー三十五、六階 コートヤード レンタルトレーニングセンター――


 様々なトレーニング器具に設備。果てはプールや小さな走路までが用意されているこの場所は、コートヤードの闘技者がトレーニングする為に用意された二階層打ち抜きの施設。そして私たちは今、模擬戦等の激しい用途で使うことのできるやや広めの個室ジムに来ていた。の、だけれど――。


「おいバレル! このクッソ忙しいときにアタシを呼びつけるなんて、いったい何様のつもりだよコラァ! こちとらお前に背負わされた借金の返済で大忙しなんだからな!」

「だから、無理なら別に断っても良いって言ったじゃねぇか。なんなら今から帰ってくれても良いんだぞ。帰りの足代くらいなら払ってやるから」

「ハ、ハァ⁉ お、お前なぁ‼ 忙しい中せっかくアタシがこうして来てやったってのに、言うに事欠いて帰れだと⁉ 絶対に帰ってやるもんか‼ バーカ‼」

「そうかい、そいつは助かるよ」


 この場所に現れたのは、空の上で私たちを強襲し、その後ストーンヒルの事務所を襲撃して来たクレアさんだった。そしてクレアさんの隣には例の部下のコジロウさんの姿が。


 クレアさんが現れたことににも驚いたけれど、それ以上に、コジロウさんの恰好が以前の侍スタイルではなく、紺のジーンズに白のパーカーを合わせるというスポーティーな格好なのが少し……いや、正直かなり気になる。それにしても、一体どうしてこの二人がこの場所に?


「久しぶりですね、クレアちゃん。アレ・・から元気にしていましたか? ウフフ」

「ヒッ……⁉ お、おぅいバレル‼ そ、そいつをアタシに近付けるんじゃない‼」

「こいつは素直に俺の言う事を聞くようなやつじゃないんだ。悪いが諦めてくれ」

「ま、まさか今回の仕事って……そ、そいつと、この前みたいなことをしろって言うんじゃないだろうな⁉ 聞いてないぞ、そんなの⁉」

「それは良いアイディアですわ」

「た、助けろ‼ コジロー‼」

「すまぬが、我が主を揶揄うのはそのくらいにしていただこう」

「だとさ。ほらシャロ、一向に話が進まないからその辺にしておけよ。悪かったな。サムライの……、あー……」

紗利小次郎さりこじろう。その節は世話になり申した」

「バレル・プランダーだ。別に俺は何もしちゃいないよ」

「命を取られなんだ。それだけで、拙者には十分でござる。機会があれば、いずれ再戦を申し入れたい」

「俺としては、そんな機会は絶対に無い方が良いね。真正面からやったって俺に勝ち目なんて無いし、同じことをやったって、あんたには通用しない。そうだろう?」

「拙者はそうは思わぬが」

「あんた、俺を買い被りすぎだよ。あのときは絶対に勝てないと思ったから、卑怯な手を使っただけのことさ」

「……掴みどころのない男よ」

「そいつはどうも。さて、それじゃあ早速で悪いが、そろそろ頼むよ」

「ん、あぁ。そこの新人の嬢ちゃんと戦えば良いのか?」

「そうだ。ちなみに、雫は今コートヤードで九連勝中だぞ」

「へぇ、そいつは楽しみじゃないか。なぁ、コジロー?」

しかり」

「あ、あの、まさか、私の戦う相手って……」


 数か月前、ストーンヒルで起こった光景が脳裏を過る。あのとき、二人の間で繰り広げられた凄まじい剣戟けんげき。結果だけを見るならば、小次郎さんはバレルさんの不意打ちによって敗れはしたけれど、彼の剣の実力は、素人目に見ても達人だと言い切れる。事実バレルさんも、剣の実力は小次郎さんの方が上だと認めているようだし。


 まさか、そんな。小次郎さんと、私が? 確かに私もここへ来て、度重なる試合を経てそれなりには成長したかもしれない。だけど、あの小次郎さんの剣を受けるなんて……。


「……あの、バレルさん……その、私……流石に小次郎さんと戦う自信は、ちょっと……」

「勘違いするなって。これから雫が戦うのは、そこのクレアとだよ」

「えっ、クレアさんと……ですか?」

「あん? あんだよ、アタシとじゃ不満だってのかよ?」

「い、いい、いえ‼ めめ、滅相もありませんッ‼」

「はん、このアタシがこんな嬢ちゃんにまで舐められるなんてさ……。まぁ、良いけどよ。それで嬢ちゃん、あんた名前は?」

「あ、は、はい! 雨衣咲雫と申します!」

「アタシはクレア・シャトンだ。よろしくな、嬢ちゃん」

「よろしく、お願いします……」


 目の前でクレアさんが二対の剣を抜き、ダラリと構える。


 でも、私がクレアさんと戦う理由とは、一体なんだろう。以前バレルさんと戦ったときのことを思い返せば、剣の一撃、一撃は鋭かったものの、結局はバレルさんに全てあしらわれてしまっていた記憶しかない。あのときのクレアさんと今の私と比べてみても、決して負けることはないと思うのだけれど。


 ……………。


 いや、考えていたってしょうがない。今はただ、言われた通りに戦ってみよう。そうすればきっと、何かが分る筈。


「ルールはボディーアーマーに取り付けたエンブレムが割れた方の負け。アリーナでの試合と同じだ。まぁ今回は練習ってことで、エンブレムは一つで良いよな?」

「問題ねぇよ」

「はい、大丈夫です」

「よし。それじゃあ、弾いたコインが床に落ちたらスタートだ。行くぞ――」


 キン、と、バレルさんが指でコインを宙へ弾くと、放られたコインが回転しながら下へと落ちてゆく。タイミングを計り、私は右足を後方へ開き、左足で床を踏みしめて、相手との距離を一気に詰めて放つ“にわか”の構えを取る。試合で繰り返している内にどんどん精度が増し、今ではこれ一つで殆どの試合を決することのできる、最も信頼できる技。それにクレアさんはこの技を知らないから、まず躱されることはない。


 そんなことを考えながら、脳内で技のシミュレーションをしていると、幾度かの回転を経たコインが、地面に落ち、それと同時、私は力いっぱい床を蹴り、前へ、跳ぶ――。


 構えた二対の剣は、右と左でコンマ数秒のタイムラグを伴いながら、確実にクレアさんの正中線を交差し、分断するように捉えていた。そうして剣がクレアさんの体に触れる直前、私はあることに思い至る。


『練習ってことで、エンブレムは一つで――』


 試合開始前にバレルさんの言った言葉を思い出すと、クレアさんのボディーアーマーに取り付けられている、たった一つだけのエンブレムが、私の目に映る。普段アリーナの試合で使っているエンブレムは三つ――試合は毎回一撃で決着が付いている――エンブレムは今は一つしかない――このままの勢いでは――。


 一瞬で脳裏を駆け巡った咄嗟の思考が、全身の筋肉にブレーキを掛ける。けれど、それでも間に合わな――。しかし気付けば、視線の先にクレアさんの姿は無く、放った剣は交差するように宙空ちゅうくうを斬っていた。それとほぼ同時、私の視界の端に一瞬映った光景。それは私の足を引っ掻けるように足を差し出していたクレアさんの姿。それにつまずいた私は、勢い余って――。


「んがッ⁉ うぐっ‼ あ痛ぁ⁉」


 頭から床へダイブすると、私は床を何度もバウンドするように転げ回って、最後には壁へ激突してしまった。


「ハハッ! 飛んだ飛んだぁ! おーい嬢ちゃん、生きてるか? エンブレムは割れちゃいないようだが、無理なら降参しても良いんだぞ。降参するなら、追い打ちはしないでやるからさ~」


 頭上から、上も下も分からないままそう声を掛けられる。そんな彼女の言葉にムッとした私は、どうにか床に手を突いてから体を起こして――。


「う……あ、い……だ、い、丈夫……で、す……」


 そう言いながら、態勢を立て直した。けれど視界はグルグルと回っている。レイズプロテクターのお蔭で、地面を転げ回った際の衝撃は随分と和らいだものの、まるで体の中身を掻き回されたようだった。


 いけない。すぐに、立て直さなくちゃ。


 頭を振って、視界を整えようと試みる。すると私は未だ視界がグラつく中、碌にプランの組み立てもせず、無理やり床を蹴って体を前へと運ぼうとしていた。しかし体はどうにか前に進みはしたものの、蹴り出しが弱かった分、“俄”を放つのに十分な推進力を生み出すことができなかった。それでも、体は徐々にクレアさんとの距離を縮めてゆく。それならば――。


 “雨衣咲二刀流 水斬みずきり”。


 右脚を軸にして、反時計回りに回転しながら斬撃を繰り出す斬撃。技の威力は落ちるけど、この距離、このタイミングでならば、クレアさんを傷付けることなく勝負を決められる。そう思っていた。なのに、私の剣の太刀筋の範囲から、またもやクレアさんの姿が消えていた。そして次の瞬間、気が付くと私の剣の内側に、もう目と鼻の先に、クレアさんが、居た。


「どうし――」


 疑問を挟む間もなく、感じたのは何かが脇腹を引っ掻くような感覚。それと同時に、ギィーっと、ガラスを引っ掻くような不快な音が鳴る。の後、パンッという乾いた音が響いた。


「ほら終わりだよ。アタシの勝ち」


 訳も分からないまま音のした方へ視線を向けると、私の肩口、ボディーアーマーに取り付けられたエンブレムが割れていた。


「……えっ?」

「動けるか? 今のはプロテクターの上を軽く撫でただけだから、怪我は無ぇだろうが、さっき転んだときに散々頭が揺れただろ?」


 そう言いながら、クレアさんは膝を付いた私に手を差し伸べてくれていた。未だ目の前の状況を飲み込めないままその手を取ると、その小柄な体形からは想像もできないような力で引っ張り上げられる。


「あ、ありがとう、ございます……。怪我は、ありません……」

「お前、最初の一撃は攻撃するのを躊躇ためらって、しかも今のは手を抜いただろ」

「えっ、な、なんで……」

「アホか。あんだけ露骨ろこつにやられたら、アタシじゃなくたって分かる。一気に距離を詰めるあの技、最初の踏み込みは、確かに目じゃ追えなかったさ。だがアタシとお前の距離があと二歩くらいの辺りだよ。そこでお前、急ブレーキを掛けただろ。何を考えてたか当ててやろうか? 「クレアさんを殺しちゃったらどうしよう。威力を落とさなきゃ」。とか、そんなことを考えていたんだ。違うか?」

「……そう、です……」

「舐めんな。あんなんでこのアタシがやられるか。でもな、それでお前は命拾いしたんだぜ。もしもあそこでお前がブレーキを掛けてなければ、あのままアタシに足を引っかけられて、歩幅二歩分の勢いが乗ったまま吹っ飛んでいたんだからな」

「……でも、どうしてあんな風に回避して、しかも足を引っかけられたんですか? 私の踏み込みは、見えていなかったんですよね?」

「最初の構えだよ」

「えっ……最初の構え、ですか?」

「あんな丸分かりな突撃姿勢を取ってりゃ、一直線にこっちへ向かって来ることくらい想像できるだろ。それさえ分かっちまえば、初撃が見えなくたって、開始の合図と当時に右か左に適当にでも避けたなら、な、結果はあの通りだ」

「…………ッ、…………」

「あーあー、その顔、辛気臭ぇなぁ。そもそもお前、どうしてアタシに負けたのか、ちゃんと分かってんのか?」

「……それは……私が、弱かったから、です……」

「なんだそりゃ、アホか。弱い方が負けるなんて、一体誰がそんなことを決めたってんだよ」

「だ、だって……現に私は、こうして、負けて……」

「今お前がアタシに負けたのはな、お前が単純で単調な上、何よりもアホだったからだ」

「単調で、アホって……! なんなんですか、それ……」

「試合開始前から何をするのか相手に教えるような構えに、直線的な勢いだけの攻撃。誰に言わせたって、これはもうアホとしか言いようが無ぇって」

「だ、だって‼ …………ッ、……でも、アリーナでは、それで通用していたんです……」

「そりゃあまぁ、三つばかりただ幸運が重なっただけだ」

「……幸運?」

「まずこのアリーナって環境だが、基本的に三つのエンブレムを一撃で全部割ろうなんて発想の戦い方をしてるやつは、圧倒的に少数だろ。だがお前の踏み込んで放つあの一撃は、偶然それが出来ちまう技だった。それが一つ目の幸運ってやつだ」


 確かに、私は今日までの九戦の殆ど全てを“俄”の一撃で決めてしまっていた。だけど、それが敗因になるなんて言われたって、そんなの、納得できる筈がない。


「そして次にこの場所の性質。アリーナコロシアムって場所の関係上、誰もが無意識にまず逃げるって発想を頭から廃してステージへ立っている。だからどいつもこいつも、お前の一撃必殺の踏み込みを、避けるでも躱すでもなく、真正面から受けようって考えを深層心理に植え付けられているんだよ」

「……無意識……深層、心理……?」

「……おい、バレル?」

「クレア、悪いがもう少し具体的な例を挙げて砕けた説明してやってくれ。その、頼むよ」

「あー……、んあー……つまりだ、闘技者ってのは、戦う姿を客に見せて金を稼ぐ稼業な訳だろ? そんなやつらがさ、逃げ腰な姿勢を取っていると、ブーイングを浴びせられて腰抜け扱いされちまう。ファンが離れるなんて闘技者にとっちゃ死活問題だし、しかも相手は自分よりも年下の若い姉ちゃんだ。避ける、イコール、逃げるって考えが、意図せず回避するって選択肢を奪っていたのさ」

「あ、あぁ! それならなんとなく分かる気がします!」

「…………」

「言いたいことは分かるが、クレア、今はその言葉を飲み込んで話を続けてくれないか」

「いや、まぁ、良いけどよ……。んんッ! で、最大の幸運が、試合に参加するスパンが短かったってこと。聞けばお前、一ヵ月の内に九回もの試合を熟したんだろ?」

「は、はい、そうですけど……。でも、どうしてそれが幸運ってことに繋がるんですか?」

「人によってまちまちだが、闘技者がアリーナコロシアムへ参加する平均スパンは、一ヵ月に一試合程度だ。どんなに速くとも、一週間から二週間に一試合。そう言ってやったなら、お前がどれだけハイペースで試合を熟していたのかが分かる筈だ。そうなると、他の闘技者たちはじっくりお前を研究している暇なんて無かっただろう。そいつが三つ目の幸運ってやつさ。その上お前は超短期決戦で試合を決めちまうんだから、尚更にな」

「……いや、でも、戦い方を研究っていうのは、いくらなんでもちょっと、大げさなんじゃないですか?」

「へぇ、どうしてそう思ったんだ」

「えっ、いや……どうしてって、言われても、その、なんて言えば良いのか……」

「ほら、どもる・・・な。考えたことはちゃんと自分の言葉で口に出してみろ。どんなに外から情報を取り入れたって、外に出そうとしなけりゃ、一生自分のものにはなりゃしねぇぞ」

「は、はい! …………、えっと、さっき私がクレアさんに負けたのだって、私が途中で変なブレーキの掛け方をしただとか、クレアさんがアリーナの特性の隙を衝いたからであって、実際に私たちが戦ったのは、今日が初めてだった訳じゃないですか。なら、戦い方の研究なんてしなくても、勝敗には関係無かったんじゃないかなって……。なんて言うか、突発的なもの……と言うか……。つまり、そう、思ったんですけど……」

「ハーン。つまりお前は、今の勝負の結果はただの成り行きで、考察や研究が介入する余地が一切無かったって、そう言いたいんだな?」

「は、はい……そう、ですけど……」

「それは間違っている。何故ならアタシはここへ来る前、お前がアリーナで戦っている映像を何度も何度も見直したし、バレルからお前の戦い方や傾向、癖なんかを事細かに聞いて、事前に、それこそ散々シミュレーションしていた。そうすりゃ後は簡単だ。戦う前からお前の動きを予想して、こっちが有利になるようにすれば良かったんだから」

「私のことを、調べて……? そ、そんな……そんなのってズルじゃないですか⁉」

「あん? アタシのやったことの、何がズルいってんだよ」

「だって、前もって相手のことを調べておくなんて……」

「何一つ文句を言われる筋合いは無ぇよ。むしろこの場所でそれをしないなんて、そんなのアタシに言わせれば、愚図ぐずでマヌケの怠慢たいまんってやつさ」

「そ、そんな……」

「良いか、ここは良くも悪くも、ある意味実戦とは違う戦いをする場所だ。プロテクターとルールに命が保証されている、言うならただの見世物エキシビションだ。死なないから次がある。次があるから今に活かせる。その為に相手を徹底的に分析する。そういうのが許されている場所なんだよ、ここは」

「……ッ、…………」

「ま、なまじここまで負けなしで来ちまったもんだから、そんな風に考えられなかったのも無理は無い。だからバレルはアタシのことを呼んだんだろ」

「……分からないです。だって、それを教えるなら、バレルさんやシャロだって良かった筈じゃないですか……」

「お前、仮にバレルやチョークスに負けたとしても、納得しちまっていただろ。仕方が無いとか、負けて当たり前だとかって、割り切ってさ。対して今はどうだ。格下に見ていたアタシに負けたお前は納得なんかできなくて、今は普段使わない頭を散々悩ませている筈だ。違うか?」


 全部その通りだ。言い返すこともできない。ほんの数分戦っただけで、初めて言葉を交わしたばかりのクレアさんに、行動も、考えも、全てを見透かされてしまった。


 この一ヵ月、いったい私は何をやってきたのだろう。未だ負けなし? 九連勝? そんな風におだてられて、自惚うぬぼれて。パトリシアさんに勝つなんて言っておきながら、その方法については何一つ考えもしなかったじゃないか。クレアさんが言ったように、今日まで私が勝ち続けられたのはただの幸運で、偶然が重なっただけなんだ。本当にそれだけ。


 私は、こんなにも弱い――。


「それにしたって、お前は本当に異質なやつだよ」

「……異質って……まだ他にも、何かあるんですか?」

「いや、なんつうのかな……お前は前提が間違っているんだよ」

「えっ、あの……ご、ごめんなさい。それは、どう言う……」

「聞けばお前、ジニアンとして覚醒してまだ間もないらしいじゃねぇか。それを早々にアリーナへ参加して、しかも負けなしの九連勝だと? なんだそりゃ。普通はな、どんなことがあろうとも負けるんだよ。負けるから考えるんだろ。お前は何もかも順序が逆転しちまっているんだ。だからお前が今直面しているのは……その、言いたか無ぇけど……それはつまり、強者故の悩みってやつなんだよ!」

「強者……って、私が、ですか⁉ いや、だって、そんな……」

「ったく、自覚も嫌味も無いってのが余計に腹が立つな。運動能力、動体視力、その他ジニアンとしての素質、それらは全てお前が上だ。さっきも言ったが、アタシはここへ来るまでに何百回とお前と戦う為のイメージトレーニングを繰り返してきた。お前に警戒されないように弱者として振舞ったし、突発で戦う風を装ったのもアタシの策だ。つまり今の勝負は、それだけのことをやった上での勝ちだったんだよ」

「え、えぇ⁉ そ、そんな……だって、うぇへへ……いやぁ、そんなに褒められても……」

「ハンッ、単純なやつめ。だが、頭の出来はずっと、遥かにアタシの方が上だ。つうか、比較にもならねぇ。逆に考えれば、そのたった一つの巨大な弱点が、今のこの結果なんだぞ」

「うっ……は、はい。私の頭が悪いのは、ちゃんと分かっています……」

「お前、コートヤードのクラスマスターとやるんだって? アタシも直にパトリシア・ハンバートの試合を見た訳じゃないから正確なことは言えないが、総合的な身体能力に関しては殆ど五分か、やや向こうの方が上だろう。向こうもちゃんと考えを働かせて戦うってタイプじゃなく、どっちかっつうと直情的ちょくじょうてきで、力でねじ伏せるって感じだ。それでも、経験の差は言うまでもなく、お前よりは頭を使うだろう。このまま戦えば、負けはほぼ確実だろうな」

「そう、ですよね……。あ、あのあの、私はどうすれば⁉」

「さっき言ったじゃねぇか、相手を観察して、ちゃんと対策を立てろって。ここではそれが許されているんだって」

「あっ、そうか! パトリシアさんの試合を見れば良いんですね! だって、ここはアリーナコロシアムなんだから!」

「今更その発想に辿り着くのかよ……。お前、雫って言ったっけ? 良いか、最後にこれだけは覚えておけよ。目の前の相手に力や技で負けていたとしても、だからって絶対に勝てない訳じゃない。勝つ為の方法なんて他に幾らでもあるんだってな。一番大事なのは、思考を放棄しないこと。その為には常日頃からインプットとアウトプットをするように心がけろ」

「インプット、と……アウトプッ……、…………」

「……えぇい! その辺は後でバレルにでも聞け! それともう一つ、最後の最後には根性だからな! それくらいは、お前にも分かるだろ?」

「は、はい! 分かりました! クレア先生、ありがとうございます!」

「……ったく、調子狂うぜ。おいバレル、これで良かったのか?」

「あぁ、完璧だよ。何一つ文句は無い。技術指導だけじゃなく、俺たちが言わなくちゃいけないことまで、全部言われちまった。こいつは別料金を支払わなくちゃいけないかな」

「フン、いらねぇよ。お前たちにはうちの部下の教育を手伝ってもらったからな」

「そうだったか? 別に俺は何かをしてやった覚えは無いがね」

「この間そっちの事務所を襲撃したとき、部下たちをコテンパンにしてくれただろう。うちの連中はどいつもこいつも脳筋ばかりだからよ。この間の件で、ちったぁ自分で頭を使わなくちゃいけないって、そう身に沁みただろうぜ」

「流石はあれだけの人数を纏めるボスだ。転んでもタダでは起き上がらないらしい」

「まぁな。あとは試合で雫に掛けておいて、試合で勝ってもらえさえすれば、博打で勝って大儲けって算段さ」

「抜け目の無いやつめ。だがそういうことなら、こいつはいよいよ負ける訳にはいかないぞ。なぁ、雫?」

「はい! 頑張ります!」

「さぁ、今日はもうこの辺で良いだろう。雫の九連勝達成とクラスマスターへの挑戦へ王手を掛けたってことで、盛大に前祝いと行こうぜ」

「当然それは?」

「俺の奢りだよ。何せ今日は、気分が良いからな」

「や、やったぁ!」

「わーい、タダ酒ですわ」

「クレアに小次郎、お前たちも一緒にどうだ?」

「あー、そうしたいところだが、うちの部下たちが下の賭場とばで遊んでいてな。放っておくと何をやらかすか分からねぇから、そろそろ回収しに行かなくちゃさ」

「そうかい。それなら、次は祝賀会をやるときにでも呼んでやるよ」

「あぁ、そのときはアタシらも参加するからよ。豪華な飯と高い酒をたんまり用意しておけよな」

「任せろ。盛大なパーティーに招待してやるよ」

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