I need you
――セントラルタワー五十一階 コートヤード級クラスマスター専用室――
部屋に備え付けられている大型モニターには、現在最も危険な相手チーム、ノーバディーズの雨衣咲雫が勝利する瞬間が映し出されていた。今日の勝利で九連勝。クラスマスターへの挑戦権に、あと一歩の所まで詰め寄られた挙句、九勝の内の六つはHDWのお抱えチームによるもので、これではむざむざと敵チームの勝利に貢献したようなものだった。
パトリシアの横で目の前の光景を見ていたメイドのキーツとエルシーは、いつものように高価なティーカップが割れる音が聞こえてこないことを訝しみ、恐る恐る、主人の表情を視線だけで覗き見る。しかしそこには、予想に反し、落ち着いた表情でモニターを見るパトリシアの姿があった。
「……あの、お嬢様?」
「……フッ……こうまで圧勝されてしまうと、流石に笑えてきますわね。試合では可能な限り私兵をぶつけ、それ以外でも、毎日のようにゴロツキを差し向けているというのに。なのに倒すことはおろか、妨害にもなっていないとは。これでは、五年前と何も変わっていないではありませんか」
そう愚痴をこぼしたパトリシアの表情に怒りの色は無く、自嘲気味な笑顔を浮かべていた。
「……僭越ながらお嬢様、今日まで敗れた者たちは、所詮は子飼いの兵隊。言わば捨て駒の一つにしか過ぎません。今のお嬢様は五年前とは比較にならぬ程に成長されておりますし、今ならば――」
「雫雨衣咲を下した後で、あのバレル・プランダーとシャーロット・チョークスを相手にしても勝るとでも?」
「そ……それは……」
メイドのキーツが考えるに、雨衣咲雫だけを相手にするだけなら、自分かエルシー、或いはウィンソープとでならば、恐らく刺し違えられるだろうと考えていた。しかしそうなると、残された主人一人だけで後に控える二人を倒さなければならない。確かに主人のパトリシアの実力は五年前とは比較にならない程に成長してはいる。しかし正直に言えば、チームとして勝つことは不可能だろうと考えていたのだ。
「意地の悪いことを言いましたわ。まぁ、あの小娘はどうにかできても、残りの二人を倒すとなると、今のままではまず勝てないでしょうね」
メイドのキーツは違和感を覚える。程なくして、バレル・プランダーの手によって、チャンピオンの座を追われかねないこの状況に、主人の様子はと言えば、怒りも焦燥も見受けられない。それに今の言い方は――。
「……あの、お嬢様……もしや何か、連中を迎え撃つ方法をお考えになっているのではないでしょうか?」
「あぁ、それは――」
「遅くなりまして申し訳ございません。只今戻りました」
後方から、突如そう声が掛けられる。三人は驚いて振り向くと、そこには執事のウィンソープが佇んでいた。その腕には大型のスーツケースと、厳重に梱包された長い棒状の何かを抱えている。
「ウ、ウィンソープ‼ 失礼ですよ、お嬢様の許可無く、音も無く忍び寄るように入って来るなど――」
「構いませんわ、キーツ。これは
「ハハッ……」
「ウィンソープ、ご苦労様。それで、例の物は用意できたのかしら」
「はっ、こちらに用意してございます」
そう言うと、ウィンソープは手早くテーブルの食器類を片付け始め、持ち込んだスーツケースと棒状の何かをテーブルの上に乗せる。
「貴方に限って手抜かりがあるとは思いませんが、ちゃんと注文通りに仕上がっているのでしょうね?」
「勿論でございます。ただお嬢様が注文した機能に関しましては、使わないのであればその方が宜しいかとは思いますが」
「最早そんな悠長なことは言っていられませんわ。貴方も分かっているでしょう。私にはもう、これに頼る他無いのだと……」
そう言いながら、パトリシアはスーツケースを開け、棒の梱包を解く。中にあったのはバトルスーツとハルバート。そのどちらも普段パトリシアが使用している物と大きな違いは見受けられないものの、よく目を凝らすと、そのどちらからも瘴気に似た禍々しいレイジスが立ち昇っていることが視認できる。
「HDWが現在持てる全ての力を注いで開発いたしました。技術者曰く、現在お嬢様がお使いのロイヤルレディーⅢよりも、十五パーセント程機能を向上させたとこのことでございます」
「たったの十五パーセント……? それはまさか、アレを使った上で、その程度の性能強化しかできなかった、ということではありませんわね?」
「はい。十五パーセントというのは、あくまでも通常使用時の性能でございます」
「なるほど……それで済めば良いのですが……。いえ、それよりも、良くぞアレを手に入れてくれましたね、ウィンソープ」
「ありがとうございます。こちらブラックマーケットで手に入れて参りました、第三種危険指定トラペゾイド“サッドスカー”を焼結させております。ハルバートの
「それだけを聞くと、悪い所が見当たりませんわね。それで、どんなリスクが内包されているのですか?」
「被験者を募りましたところ、使用者の全てが全身に強い痛みを訴えておりました。また痛みを感じながらも実験を続行した場合、体表に
「なるほど。それで、性能は?」
「約二から三倍倍程度の身体能力強化が見込めます。しかもこちらのハルバートは、お嬢様専用に細かく微調整されておりますので、使用時にはより更なる強化が見込めるかと」
「妥当なリスク、妥当なリターンというところですわね」
「ウィンソープッ‼ そんなリスクがあることを知っていながら、こんな物をお嬢様の前に出したというのですか⁉」
「控えなさいキーツ、これは私が望んだことですわ」
「いいえお嬢様‼ いくらお嬢様が望んだこととは言え、自らのお体に傷を付けるようなことを、我々がどうして見過ごせましょうか⁉」
「……コートヤードのクラスマスターになるまでに三年半。それを防衛し続けて一年半。しかし今日まで、終ぞ“
「…………ッ」
「それに、もう一つ悪い知らせがありますわ。一ヵ月の間姿を消していた
「あの女……まさか、あのバルカニコが⁉ そ、それでは……」
「そうです。バレル・プランダーとの戦いの前に、あの女を迎え撃つ必要がありますわ。もう一度聞きますわキーツ、この二つの脅威を乗り越えるのに、私がこれを使う以外の方法があるならば教えてちょうだい」
「……あります……ありますよ、お嬢様。ウィンソープ、そのトラペゾイドを使った武器、私の分を用意するのにどれだけの時間が掛かりますか?」
「時間は掛かりません。我々従者の分は、全て用意しておりますので。無論、使う使わないは、個人の自由でございますが」
そう言うと、ウィンソープは何処からともなく二つの長い包みを取り出した。
「……これが、その方法です。お嬢様の前に立ちはだかる敵は、私が全てなぎ倒してみせます‼」
「キーツだけじゃない。私とキーツ、二人で倒す」
メイドのキーツとエルシーは、執事のウィンソープから各々の得物を受け取る。
「ウィンソープ、それは私の分だけ用意するようにと言った筈ですが?」
「差し出がましいことをいたしました。どのような罰も、謹んでお受けいたします」
「……良いですか、二人共。後には私が控えているのです。貴女たち二人は言わば、ただの前座。この私よりも目立とうとするなど、絶対にあってはなりませんわ。前座は前座らしく、私を引き立てる為だけに戦いなさい」
「勿論でございます、お嬢様‼」
「善処する」
***
一人になりたいと言ってから暫し。部屋の壁に立てかけられた斧槍を見ながら、私は一人思案を重ねる。考えていたのは、バレル・プランダーとバルカニコという、目前に迫った二つの脅威のことではなかった。私が思いを巡らせていたのは、かつて界統一アリーナチャンピオン決定戦マスターズの予選でのこと――。
世界各国に存在するアリーナコロシアム。それらの代表が一堂に会し、世界一の闘技者を決定する最大の大会、マスターズ。イルミナスからマスターズへ参加できるのは、選ばれた十名の闘技者の中から、僅か二名に絞られる。私はコートヤードのクラスマスターという立場が故、難なく予選の参加権を得ることができたものの、結果は一回戦敗退という屈辱的な結果に終わってしまった。それでも、他のクラスマスターに負けたというならば恰好も付いただろう。しかし相手は、上位階級の一般闘技者で、しかも私を倒したその闘技者もまた、二回戦で敗退するという始末だったのだ。
自分が惨めだった。そして何よりも、目の前の現実に絶望した。同じジニアンだというのに、どうしてこれ程までに差があるのかと。どれだけ強くなれば、これより上に届くのかと。
五年前、あの憎きバレル・プランダーとシャーロット・チョークスの実力を目の当たりにした際、その二人こそが例外で、これ程の実力者などそうそういるものではないと、自分に言い聞かせて来た。しかし――。
『――俺はリベレーターだが、どこにでもいる普通のリベレーターさ。こんなことで驚いていちゃ、この先の人生は波乱ばかりに感じるだろうぜ』
あの男の言った言葉、そんなものはただの冗談だと思っていた。しかしそれは、事実として私の目の前に立ちはだかった。
あの男の凶悪な顔が脳裏を過る。憎たらしい顔に、口を開く度に気に障るような言葉を吐き散らかすあの男の顔が。
本当に、そうだろうか。本当は、あの男のことを憎んでいることにしたいだけではないのか。とっくに限界を感じ、先に進むことは疎か、また一からやり直すことさえできない今の私は、ただあの男に固執するフリをしているだけではないのか。本当はこの場所にしがみついているのがやっとで、何か理由が無ければ、今すぐにでも転げ落ちてしまいそうだから、私はあの男を求めて――。
考えを巡らせていると、突如部屋のドアが控えめにノックされ、その後――。
『お嬢様、一つよろしいでしょうか』
ドア越しに、執事のウィンソープがそう声を掛けて来る。
「ウ、ウィンソープ⁉ 下がるように言った筈でしょう⁉」
『はい。ただ、重要なことをお伝えし忘れておりましたので』
「……入りなさい」
『はっ、失礼いたします』
間を置かず、静かにウィンソープが部屋へと入る。入口に佇むウィンソープの方へ視線を向けると、全体の輪郭がぼやけたように目に映った。これは、私がウィンソープに指示したものだ。いずれあのシャーロット・チョークスと対面した折、ステルスによる不意打ちにも対応できるようにと。良くも五年ばかりでここまでステルスを磨き上げたものだ。これならば、並みのジニアンならば横を通り抜けられても気付かれることは無いだろう。しかし――。
「それで、伝え忘れたこととは、一体何なのですか?」
「はい。実は今日までバレル・プランダーのことについて調べておりましたところ、あの男がアリーナ協会の運営する全てから、一切の参加権を
「……参加権を、剥奪? ある程度ならば、協会の権限で犯罪の経歴や手配書でさえも取り下げさせるという、このアリーナから、ですか?」
「はい。ただ、それがどのような理由によるものなのかまでは調べることができませんでした。申し訳ございません」
「……なるほど、顔と名前を変えていたのには、そんな理由があった、ということなのですね。…………、それでウィンソープ、一体私に何を言いたいの?」
「この情報をアリーナ側へリークすれば、バレル・プランダーの在籍するチームノーバディーズは出場停止となるでしょう。ですので――」
バンッ、と、衝撃で部屋が揺れる程に強く私はウィンソープの頬を引っ叩いていた。ウィンソープの口元からは血が流れ出し、叩かれた場所は真っ赤に染まっている。しかしその表情だけは、叩かれる前と一切変わっていない。
「……ウィンソープ、それはこの私に対して、最大の侮辱ですわ……。理由は、ちゃんとお分かり……?」
「承知しております。ですが、お嬢様――」
「お前は‼ こんな物まで用意しておいて‼ それでも私にはあの男を倒せないと、そう言ったのよ‼」
「……お嬢さ――」
「――ッ‼ 下がりなさい‼ 顔も見たくはありませんわ‼」
「……はっ、失礼いたしました」
そう言うと、ウィンソープは静かにドアを閉めて部屋を後にした。
………………。
分かっている。本当は先ほど、キーツとエルシーが同席している場で言うことだってできた筈なのだ。そしてもしもあの二人が今の話を聞いたならば、有無を言わさず情報をアリーナへリークしていたに違いない。それをしなかったのは、私への最大限の配慮が故。あの執事はいつもそうだ。いつも私に逃げ道を用意する。それを私が選ばないことを知っていたとしても。
優秀で、嫌な男。
そんなことを考えながらも、私はウィンソープに私の心根までは悟られていなかったことに安堵する。
私はもう随分前から、自らの限界を悟っていた。アリーナコロシアムではこれより先に進むどころか、最下級のコートヤードにしがみつくのがやっとで、それも些細なことで、下の者に追い落とされるであろうということも。だから今の私にはあの男が、バレル・プランダーが必要なのだ。自分を騙す為の、憎しみの矛先が、縋りつく為の拠り所が。
そんな卑屈な思いを噛み潰すような思いで、憎くて仕方がない筈のあの男を欲している今の自分に、私は眩暈を覚えそうな程の嫌悪感を抱きながら寝室へと向かう。ただこんな気持ちを抱えていては、今日もまともに睡眠がとれるとは思えないのだけれど。
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