第5話 たまには待ち合わせで飛び蹴りを


 立っている彼の元へ彼女が手を振りながら小走りで駆け寄っていく。

 その様子はさながら典型的なカップルの待ち合わせ。

 きっとこの後、

『ごめん~、待った~?』

『ううん~、今来たところ~』

『『うふふふふ~』』

 なんていうもはやテンプレートともなりつつある、甘酸っぱい展開が繰り広げられるものかと思っていたが、そんなテンプレートはもう古い。今時は、

「どりゃぁぁぁっ!!」

「ごっふぅぅぅっ!?」

 助走をめいいっぱいつけて飛び蹴りをかます。これが恋人の待ち合わせの新時代である。

 飛び蹴りをモロに受けた彼は背後にあった駐輪場へと吹っ飛んで、並べられていた自転車たちを根こそぎなぎ倒す。

「なっ、なっ、なっ、何すんのっ!?」

 自転車に埋もれながら彼が叫ぶ。何をするの? だと? 苛立った彼女は倒れている自転車を直すフリして持ち上げて彼の体に叩き付けようとしたが、

「あっ、すみませ~ん……。その自転車で今から私帰るんですけど~……」

「あ、すいません」

 横から自転車の持ち主に制止されたので、投げるのは中断して優しく地面へと置くことに。持ち主の制止を振り切って自転車を叩き付けるほど理性が飛んでない彼女だが、それでも自転車を叩きつけられなくなり、発散されなかったストレスから彼のことをゲシゲシ足蹴にしてやることにする。

 ちなみにこれ、彼女が待ち合わせに遅れた挙句、逆ギレして彼に飛び蹴りを食らわせた図、ではない。待ち合わせ場所に来なかったのが彼で、迎えに来たのが彼女である。



 事の発端は彼が待ち合わせ場所に待てど暮らせど現れないのが発端だった。

 帰ってやろうかな、と思い駅の改札前まで向かった彼女だったが、一応帰る前に電話くらいしてやるか、と彼に電話をしたところ、『実は迷子になりまして……』と回答が帰ってきた。誘った相手が何故迷子になっているのかよく分からない彼女だが、『地図アプリを使えばいいのでは?』と助言したところ、『もう既に使ってまして……』と返ってきた。紙の地図で迷子になるのは分かるが、ナビしてくれる地図アプリでどうやれば迷子になるのだろうか? 地図アプリのバグか、お前のバグだぞ?

 この段階でもうスマホを地面に投げ捨てたくなった彼女だが、スマホを地面に投げ捨てたら音ゲーできなくなるな、と慈悲深き寛容な心を持ってぐっと堪え、『今どこに居るんですか?』とこちらから迎えに行く姿勢を見せると、『……どこだろう? ここ』との返答が。いや、地図アプリ使って迷子になっているのは百歩譲って許容してもいいが、現在位置は地図アプリ上に表示されるだろうよ。

 コイツ何にも分かんねーじゃねーか、とイラっとした彼女だが、頑張って慈悲深いモードを維持すると、彼の場所を特定しようと、地図アプリ開いてますよねー? 自分の現在位置表示されてますよねー? と、下手すればアプリのコールセンターの人よりも懇切丁寧に説明してやったような気がするが、まったくこちらの話が通じない。画面操作でも要求しなければ無理そうである。

 彼も彼なりに居場所を伝える努力はしたようで、何かふにょふにょ喋っていたが、残念なことに、同じ国の言語喋ってる? と思うほど何を言っているか分からない。短くない通話時間で分かったことと言えば、右にも左にも建物があって日陰に居る、ということくらいである。

 この情報だけでどうやって見つけろと? 彼女は思ったが、とりあえずその場を一歩も動くなと彼に命じ、彼の捜索を開始することに。こんなことならGPS情報でも共有しておくべきだった。場所のヒントが一切無いため、彼女はこの駅の周辺を走り回るはめになった。

 つまり、先ほどの出会いのシーンは待ち合わせのシーンではなく、迷子を見つけた感動的なシーンなのである。大分走り回ったことが伺える彼女の髪は雨でも降ったの? と思うほどに濡れており、着ている服も色が変色するくらい汗が滲んでいる。それだけ走り回されたのだ。飛び蹴りの動機としては妥当なところであろう。

「いやもうホントにご迷惑をおかけしまして……」

 表面的には飛び蹴りを食らった被害者ではあるが、実質の加害者である、という自覚があるのか、彼は散らかった自転車をせっせと直しながら彼女に謝罪する。

「ホントにね」

 こういう時、大体謙遜するのが古き良き文化なのかもしれないが、そんなものは平然とぶっ壊す彼女は大きく肯定すると視界に、

「ああっ! こんな所にスーパーあるじゃんっ! スーパーの名前を言ってくれていればもっと簡単にっ、」

「喉乾いてませんっ? 奢りますよっ、奢りますよっ! あっ! 暑いですよねっ! アイスなんてどうですっ?」

 怒りの追及が来そうだったので速やかに会話を切り替える彼。その意図は理解しつつ、奢られたくらいで機嫌を直すような尻軽女じゃないぞ、と思った彼女だったが、機嫌を直すかは別として、今凄く体が熱く、喉も乾いており、冷たい物を体が欲しているのは事実なので、

「とりあえず何か買ってきます。話は買い終わった後で」

「は、はーい。謹んでお受け致します……」

「ん」

 彼女が手のひらを彼に突き出してくる。ここで、え? 何? なんて火に油をぶっかけるようなことは流石の彼でもしない。財布ごとすっと差し出すことに。事情を知らずに端から見ていると、飛び蹴りされて財布を差し出しているわけだから、カツアゲに見えないこともない。

 財布を受け取った彼女がスーパーへと入っていくのを見送った後、ふぅー、怒られるぞこれ……、と彼がお説教の覚悟をしていると、

「ん?」

 外国人だろうか? 髪の毛が自然な金色に染まっている女性がこちらに近付いてきた。ファッションなのか、暑いからなのか、結構大胆に露出をしていて目のやり場に困って彼が縮こまっていると、女性はニコォッ! と人懐っこい笑顔を浮かべた後、

『~~~~~~?』

「………………はい?」

 語尾が上がっているから何か質問されたんだな、ということしか分からない何かの言葉で話し掛けられた。



 ちゃっかりアイスを箱で買い、家に持って帰るようにドライアイスまで貰った彼女は、箱からアイスを一本取り出して、アイスを口に咥えながらスーパーを出ると、

『~~。~~~~。……~~~~?』

「………………………………………」

 彼が金髪の女性に話し掛けられていた。女性と話している現場を見て、浮気だ何だと騒ぐようなタイプでは彼女はない。むしろ、おっ? 逆ナンか? と興味津々に近付いていくと、彼の方が分かりやすくカチンコチンに固まっていた。美女に話し掛けられて固まっている初心な男の子なのかと思ったらそれも違うようで、

『~~~~~~?』

「………………」

 外国で話し掛けられ、理解することを放棄し、なす術なく固まっているらしい。面白そうなのでもう少し眺めていても良かったが、話し掛けている女性の方に迷惑が掛かっても良くないので、

『コレが何かしました?』

 と、会話に割って入ることに。彼女の声を聞いて彼の方はぎょっ! とした顔を浮かべたが、女性の方はぱぁっ! と笑顔になり、

『貴女喋れるの?』

『ちょっとですけど』

 彼女が親指と人差し指で隙間を作って肯定する。ちょっとだろうと、ようやく会話が通じたのが嬉しいらしい女性は彼女に握手を求めてくる。

『良かったぁ~。困ってたのよ~』

『コレにいやらしい目で見られでもしましたか?』

『いやらしい目で見るどころか、彼さっきから全然目合わせてくれないのよ? 嫌われちゃったかしら?』

『いや、単純に貴女が綺麗で照れてるんじゃないですかね?』

『あらそうなの? 可愛い子ね!』

 女性が何か小さい男の子に向けるような笑顔を彼に向けてきたので、彼は彼女に、

「……何か分かんないけど、僕バカにされてない?」

「バカにはされてないですが、目も合わせてくれなかったと文句は言われてます」

「…………すみませんでした」

 自覚があるらしく、深々と謝る彼。それに女性は手を振って応える。

『それで? どうしたんです?』

 彼女が聞くと、女性は本題を思い出したらしく、

『実は駅の方に行きたくて、道を聞きたかったんだけど……』

『ああ、ダメですよ、コレに道聞いても。日本語でさえロクに案内できないんですから』

『あらま……』

 女性が今度は残念なものを見つめる目で彼を見てきたので、彼は彼女に、

「……もう一回聞くけど、僕バカにされてない?」

「壊滅的な方向音痴に道聞いても仕方ないでしょ、っていう事実を伝えました。……文句でも?」

「無いです……。本当に申し訳ない……」

 謝っている彼はとりあえず放っておいて彼女は、

『近いのは細道を通っていく方ですけど、大通りに一回出た方が分かりやすいと思いますね』

『ふんふん』

 彼女が一通り駅への行き方を説明し終わると、

『ありがとう! とっても分かりやすかったわっ!!』

 笑顔で彼女たちに手を振って去っていく女性。それにこちらも手を振りながら見送り、女性の姿が見えなくなると、彼は彼女に向かって、

「…………喋れるの?」

「ちょっとですけど」

 ちょっと、ってレベルじゃなさそうだったけどなぁ……、と彼が疑っていると、

「アイス食べます?」

 彼女が箱のアイスを差し出してきた。

「あ、ありがとう。頂きます」

 ありがとうって、貴方の金だが……、まぁ言わないでおこう、と彼女は彼に財布を返すタイミングを計っていると、先ほど女性と全く会話できなかったことがショックなのか、彼はため息を吐き、

「英語だったらもうちょっと話せたんだけどなぁ……」

「………………そうですかー」

「何今の間? あ? さては疑ってる? こう見えても英語の成績は良かったんだよ?」

「そうですかー」

 バリバリの英語だったぞ、というのは英語の成績が良かった、という彼の名誉のためにも言わないでおくことにした。

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