第4話 たまには時計屋でも


 人類は自炊しなくてもいいように進化してきた。きっと太古の時代から自炊が面倒で、誰かご飯作ってくれないかなぁ~って思いながら料理をしてきたのだろう。昔の人も今の人も考えることはおおよそ同じということだ。

 ちなみに、自炊したくない=料理嫌いだと思ってもらっては困る。彼女は料理をすること自体は嫌いではないし、むしろ楽しいとさえ思う。では何故自炊をしたくないか? 理由は簡単。その後の洗い物が死ぬほどメンドくさいからである。

 料理後すぐに洗わないと汚れがこびりついて落ちなくなるから、出来立ての料理を一旦横に置いてまずフライパンなどの調理器具を洗う。その間にせっかく作った料理は多少なり冷める。自分で作っておいて出来立てが食べれないのだ。よっぽどの料理好き、もしくは掃除好きでもない限り、一人暮らしで自炊をしたい人なんて居ないのではないだろうか?

 食洗器を買えと思うだろうか? では買うお金を恵んでもらいたい。切羽詰まっているわけではないが、そんな嗜好品買うお金は親の仕送りで生活している大学生には無いのである。

 そんな自炊したくない人間の強い味方がこれ。テレレレッテレ~♪ カップ麵~♪ である。お湯を入れるだけでご飯ができるという何とも画期的な発明品。おまけに安いときた。一人暮らしの大いなる味方である。

 とはいえ彼女は花の女子大生。当然栄養バランスは気になるところだ。そこで、一緒にカット野菜も買ってきた。既に野菜が切ってあるというこれもまた画期的な物だ。袋から出してドレッシングをかけるだけでいい。お皿を洗いたくない人は袋の中に直接掛けてシェイキングしてもいい。鍋なんかにも使える。こういう便利なものがいっぱい出てきている辺り、やはりみんな自炊したくないんだなぁ~、と彼女なんかは思う。

 ピーッ! と。コンロで沸騰させていたやかんが鳴いた。今日日珍しいと言われるかもしれないが、彼女はやかんでお湯を沸かす派である。決してポットを買うのが勿体無いとかそういう話ではない。

 コンロからやかんを取ってきて、お湯をカップ麺に注ぎ、指定された時間をキッチンタイマーに入力してスタート。指定された時間より短く設定する人、逆に長く設定する人、様々居るらしいが、彼女はきっかり時間を守るタイプである。この間に音ゲーが一回できないかと画策したがやってる最中にタイマーが鳴ると困るので断念した。

 そんなに長い時間でもないし、大人しく待つか、と彼女は減っていくキッチンタイマーのカウントをじっと見つめることに。年越しのカウントダウンではないが、減っていくカウントというのは何となくテンションが上がるものである。

 カウントが秒読み段階に入ったため、彼女は指折りしながら小声でカウントを開始する。

 3,2,1,


 ピピピピピッ!(タイマーが鳴る音)

 ブーッ!(スマホが震えた音)


「………………」

 図ったようなタイミングでスマホがメッセージを受信した。誰だ? こんな間の悪い時間に連絡して来る奴は。送り主を確認すると、なるほど、納得した。彼である。いつもいつもよくも間の悪いタイミングに連絡して来るものである。

 まぁ、送り主が彼であるのであれば、とりあえず無視である。どうせ急ぎの連絡でもあるまい。そんなことよりお昼ご飯の方が大事である。何分以内に返信するのがマナーだ何だという人も居るが知ったことではない。こっちにはこっちの事情があるのである。

 100均グッズで作成した味玉も載せてちょっぴり豪華なカップ麺にした後、両手を合わせていただきますをして食べる。カップ麺と野菜、ちゃっかりデザートまで食べた後、そういえばメッセージ着てたな、と思い出し、チャットの画面を開いてみると、

『時計屋に行かない?』というメッセージが着ていた。時計屋? とは思ったが、特に予定も無いので『行きます』と返信し、支度を始める。



 というわけで彼女が連れて来られたのは『高級』時計店。高級、とは聞いていない。近所のデパートの時計コーナーの一角にでも行くものかと彼女は思っていたが、まさかこんな高そうなお店に連れて来られるとは思わなかった。大丈夫なんだろうか? これ。彼女は凄いラフな格好で来ているのだが。ドレスコードとか無いのだろうか? まぁ、横の彼もラフな格好だから問題無いのだろうが。

 慣れないお店に彼女はややビビりながら入店。入った瞬間、黒スーツを着たガタイのいい男たちに両脇を押さえられ、『貧乏人は帰れーっ!』と店の外に放り出されるものかと危惧したが、特に追い出されはしなそうなことに一安心した後、

「時計、好きなんでしたっけ?」

「好きだよ。休みの日に時計の秒針をじっと見つめることがあるくらい」

「それはちょっと休みの在り方を考え直した方がいい気がしますが……」

「ドラム洗濯機の中で洗濯物が回っているところをじっと見つめる人も居るじゃん? あれと似たようなもんだよ」

 似ている、のだろうか? 彼女としてはどっちも共感しかねる趣味なので何ともだが。焚火の炎をじっと見る的なあれなのだろうか?

 しかしまぁ高級店と言うだけあって、どれもこれもケースに入れられていてキラキラ光っていて、いかにも高そうな物ばかりである。試しに入り口近くにあったケースに近付いてみると、

「30万……。すっごいしますね……」

「ん?」

 横に居た彼がひょいっとショーケースを覗き込むと、

「0、一個間違ってるよ」

「えっ?」

「カンマの位置、よ~く見てごらん?」

「………………はっ?」

 本当だ。よく見たら300万である。思わずこちらもケンカ腰になる。何だ300万って。馬車馬のごとく働かされているうちの父親の年収がいくらだと思っている? こんな物を買う人間が居るのか。こわっ。

「こんなの買うんですか?」

 300万の代物を『こんなの』呼ばわりする彼女。こんなに高い物を、という意味が半分。300万も払って腕時計を買うんですか? という意味が半分。

 彼は『まさか』と手と首を振ると、

「買わないよ。ってか買えないよ」

「でしょうね」

 バイト代を溜めてどうこうできる金額ではないだろう。しかしでは一体何しに? と彼女が思っていると、

「僕は無料の時計の博物館、っていう感覚で来ているからね」

 なるほど。完全鑑賞目当てらしい。買う気の一切無い人間が時計を眺めるだけなのだから、無料の博物館、というのはいい表現かもしれない。展示されている時計を見て綺麗だよね、カッコイイよね、という気持ちは分かるが、

「冷やかしなら帰れって言われません?」

「少なくとも言われたことはないな。額も額だし、見るだけ見て買わないお客さんも少なくないだろうし」

 言われてみればそれもそうか。何度も何度も博物館気分で来るお客さんはそう多くもないだろうが、入店して気に入った物が無ければ買わないのは当たり前のこと。何か店員さんに迷惑をかけているわけでもなし、特に責められるような行為でもないか。どうも高級店という場所に不慣れなせいで、ビビりが抜けていないらしい。

「それと、一応全部が全部、〇百万ってわけじゃないよ。ほら、あっちのコーナーとか」

 言われて向かってみると、〇百万から〇十万まで金額設定が下がった。これなら頑張ればバイト代の射程圏内だろう。まぁ、彼女はバイトしていない仕送り生活なので、よっぽど生活を切り詰めて浮かせない限り無理だが。そうまでして浮かせた金額で腕時計を買うか、と聞かれると答えはNoではあるが。

 高級時計店に来ていて、あまり大きな声では言えないが、彼女は腕時計にそれほど興味が無い。それは彼女の何も付けていない手首を見ても明らかで、時間が知りたいならスマホを見ればいいと思う派だ。スマートウォッチが欲しい、というのであればまだ分からんでもないが。

 桁が一個減ったウィンドウを見ながら、ふ~ん、リーズナブルなのもあるんだなぁ~、と彼女は一瞬思ったのだが、

「………………」

 いや、待て、リーズナブル?

 いかん。高い物を見させられ過ぎて金銭感覚が狂い始めている。10万は普通に高級品である。もしやそれが狙いか? 高級時計店、侮れず。

「お~い」

 彼女が高級時計店の罠に気付いていると、買いもしない男が何故か年配の店員さんと話している場に彼女を呼んでいる。何だ? 時計店の作法でも間違ったか? 怒られるのか? と彼女が恐る恐る近付くと彼が、

「着けさせてくれるってさ」

 どうも腕時計の試着をさせてもらえることになったらしい。が、買う気も無いのに試着はいかがなものかと、彼女は遠慮して、

「いや、結構ですが……」

 と答えると、能天気な彼は、

「いいじゃんいいじゃん。付けるだけタダだし」

 それは確かにそうだが、さっきも言ったが彼女はそれほど腕時計に興味が無いので、試着した後に店員さんに感想を求められてもロクに感想も言えないのだが……、時計をケースから取り出して、ニコニコ微笑んでいるおじいちゃん店員を手前、何も言えずに腕を突き出して付けてもらう彼女。付けてもらって最初の感想は、とりあえず、重たい、ってことである。

「いくらだと思う?」

 彼が聞いてくる。時計の相場なんて分かりもしないし、ブランドもよく分からない彼女は装飾の雰囲気とお店で見て回った金額の相場を考えて、

「100?」

 と聞いてみる。すると彼は首を横に振り、

「ううん」

「……200?」

 ちょっと上げてみるが、彼は相変わらず首を振り、

「ううん」

「…………500?」

 上げ過ぎたか? と思ったが、彼はなおも首を振る。

「もっと思い切って上げていいよ?」

 言ったな、と思った彼女はもうやけくそ気味に、

「1000万?」

 流石に上げ過ぎたろ、と彼女は思ったのだが、彼はフッと微笑むと、

「1億」

「ふぁっ!?」

 何だ一億って。意味が分からない。というか、

「やだやだやだぁ~っ!! 取って取って取ってぇ~っ!!」

「虫じゃないんだから……」

 服に着いた虫を取ってくれとねだるように腕を差し出す彼女。ブンブン腕を振り回したいところだが、単純に重たいのと、一億の腕時計を付けた状態でそんな危険行為をするほどアホではない。

 一億だぞ。一億の腕時計だぞ。傷一つでも付けてみろ。一体いくらの賠償金を請求されるか分かったものではない。買い取り、なんて言われたら我が家は終わりだ。ズシリと感じた異様な重みは値段の重みであったか? いい感覚をしていたかもしれない。

 手錠を取ってもらった後みたいな感じで彼女は自由になった手首を擦りながら、

「ってか、そんな時計、気軽に着けさせていいんですか?」

「いいのいいの。腕時計は着けられてナンボなんだから」

 彼が答えるが、お前に聞いてねー、と彼女はキッと睨むが、店員さんもニコニコしながら、

「最近若い人がめっきり来なくなっちゃったからねぇ。来てくれるだけで嬉しいんですよ」

 そういうものなのか。まぁ、誰も来ないで閑古鳥が鳴いているよりは、冷やかしでもお客さんが居た方がいいものなのかもしれない。

「スマホとかで時間見ればいいやって若い方は腕時計に興味無かったりしますからねぇ」

 ついさっき同じことを考えた彼女はサッと目を逸らす。エスパーか? エスパーなのか? 高級時計店の店員さんはエスパーなのか?

「まぁ、確かに、同じ腕時計でも、スマートウォッチとかの方が便利ですがね? それは中にCPUが入っている分当たり前と言いますかね」

 腕時計を大事にしまいながら店員さんは言う。

「ただ、技術的な意味でどっちが凄いかと言われると、いい勝負だと思いますがね。先ほどお嬢さんが巻いた腕時計、あれ電池を使って動いていないんですよ」

「電池を使ってない……?」

 電池を使ってないのにどうやって動いているんだ? この腕時計。と彼女が思っていると、彼が補足してくる。

「ぜんまいの力で動いててね。定期的なメンテナンスは必要だけど、基本的には半永久的に動くんだよ。そうやって、親の世代から子供へ、その子供からさらに子供へ、って引き継がれていくこともあってね」

 彼の手首には腕時計がある。それが機械式なのかどうかは彼女には分からない。

「自分の子供や孫が腕時計を引き継いでいって、同じ腕時計が時を刻んでいくって、なんかちょっとロマン感じない?」

 言われて思う。確かに、スマートウォッチだとそうはいかないだろう。寿命という観点もあるし、性能の観点もある。新しく買い替える、という発想になるだろう。引き継げる、というのは確かに、機械式の腕時計のメリットかもしれない。

「不便なところもあるし、メンテナンス大変だったりもするけど、そうやって一生懸命、世代を超えて秒針を刻んでいく姿が、何か僕は好きなんだよね」

 先ほど微塵たりとて共感できなかった、彼の秒針を眺める趣味というものが、少し分かったような気がした。



 今日も今日とてカップ麺。え? 食べ過ぎは体に良くないって? 大丈夫だ。カット野菜も買っている。

 お湯を入れてから時間を計る必要があるが、今日はキッチンタイマーを用意していない。ついに時間さえ計らなくなるほど横着しだしたのか、と思うかもしれないが、そうではない。最近はちょっと違うものを使って時間を計っている。

 影響されやすい、と言われてしまうと返す言葉も無いが、あの後ちょっと腕時計を買ってみた。そんな〇十万もするような物は買えないので、千円くらいで買える物にした。興味の無かった腕時計ではあるが、付けてみると人とは現金なもので、ちょっと愛着も沸いて来た。

 分かりづらくなるので、秒針が12に来るちょっと前にお湯を入れる。それからカップ麺ができるまでの数分間、腕時計が時間を刻んでいくのを眺めるのが、彼女の最近のちょっとしたブームとなっていた。

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