第2話 深夜のムシしたいSOS


 完成した。遂に完成した。彼女は大満足でスマホをテーブルへと置き、大きく伸びをする。

 何が完成したのかと言うと、夢の自動オートデッキである。

 彼女はスマホで音ゲーをやっている。音ゲーとは何ぞや、という人のためにざっくりと説明しておくと、選択した曲のリズムに合わせて画面をタッチするゲームである。この画面にタッチするタイミングが曲のリズムと違うとミスとなり、曲開始時に設定されているHPが減っていき、これが0になるとゲームオーバーとなる。

 慣れてしまえばどうということはないが、初めてやる人だと最初何をしていいのかもよく分からず、曲の前半でゲームオーバーになってしまうこともある。

 そんな初心者でも遊べるように、寛大なゲーム運営会社からの救済措置がある。それがこの減ったHPを回復してくれるスキルを持つキャラクターの存在である。このキャラクターはゲームに慣れていない人・苦手な人からは重宝される。

 聞いてて分かるように、この回復キャラというのは基本的には初心者向けのキャラで、彼女のように一番難しい楽曲の一番高い難易度をクリアできるような人が使うようなキャラではないのだが、それはあくまで本来の用途で使った場合の話。彼女のようなずる賢い人間が使うと別の用途としても使える。

 それが前述の『自動オートデッキ』。名前から察せられるかもしれないが、曲をスタートさえさせれば、後は自動で曲をクリアしてくれる、というデッキである。

 曲をスタートさせて画面を放置などすれば、リズムに合わせて画面をタッチできていない、と見なされHPがガンガン減っていくわけなのだが、その減らされるHPを回復スキルでガンガン回復させる。総ダメージ量よりも回復量が上回っていれば、結果として何もせずとも回復だけでクリアできる、ということになる。

 ただこれ、全ての楽曲でできるわけではない。基本的に画面をタッチしなければいけない回数というのは曲の難易度と時間に比例する。タッチする数が増えるとミスした際のダメージ量も増えるため、回復が間に合わなくなる。ダメージ量と回復量を計算した結果、これができるのは一番簡単な難易度かつ一番短い曲だけ、ということが分かったが、まぁ充分である。彼女が自動オートデッキを作った目的は音ゲーのスタミナを他のことをしながら消費したい、というだけなので、目的は達している。

 計算が間違っていなければ、後はスタートボタンを押すだけで勝手にクリアしてくれる。早速作ったデッキを試してみようと、彼女は曲をスタートする。本来はこの時間に別の作業をする予定だが、一回目なので上手くいくか画面を見守っていると、それを邪魔するかのようにスマホにメッセージの通知が入った。通知に即レスするタイプでもない彼女は後で適当に見ようかと思ったが、チラっと視界に入ったメッセージの文言が気になった。

「『助けて』……?」

 通知のメッセージを彼女は読み上げる。無視するにはあまりにも不穏な文言なので、彼女はデッキの実験を一旦中断して、メッセージを読むことにした。



「良かったー、来てくれたー」

 安堵の混じった満面の笑みで彼がドアを開けて彼女を迎える。『来てくれた』とまるでこちらの善意で来てくれた、みたいに言うが、よく言う。あれはほとんど脅迫だったと彼女は思う。

『助けて』という文言だけ送られてきたので、当然、『どうしたんですか?』と返すわけだが、『詳しくは来てくれたら話す。今は話せないんだ、ごめん』と返ってきた。なるほど、と彼女は『では頑張って』と会話を終わらせようとしたところ、『助けてー』とSOSのスタンプの連打。これ行くまで止まらねぇな、と察した彼女は電源を切ってやろうかと8割くらい本気で悩んだが、電源切っちゃうと音ゲーもできないなということに気付き、諦めて彼の部屋に行くことにした。

 とりあえず鬱憤晴らしに防寒対策で付けてきた、ニット帽、耳当て、マフラー、手袋を外しては彼に投げつけてを繰り返し、外すもの(投げるもの)が無くなったところで、

「で? どういったご用件です?」

 ひたすら物を投げつけて少しは留飲が下がったのか、彼女はいささかご機嫌斜めの様子ではあるが幾分スッキリした顔で、投げつけたものをロクに避けることもできなかったのか、顔が彼女の防寒具まみれになっている彼に聞く。

 彼は一個ずつ防寒具を取っては床に付けないよう腕に引っ掛けながら、

「実は、」

「くだらない用件だったらぶっ飛ばしますよ」

「………………」

 おい、黙り込みやがったぞ、こいつ。まさか本当にくだらない用件で呼び出したんじゃないだろうな? 彼女は有言実行の女。口先だけの女ではない。こんな時間にこんな寒空の中呼び出して大した用件でも無かったら本当にぶっ飛ばしてやるわけだが、一方で彼女はか弱き乙女。素手で殴ると手が痛いので、手を傷めないよう、とりあえず玄関に置いてあったある程度強度のありそうな殺虫スプレーを手に取ると、

「そう! それっ!!」

 彼が叫んだ。え? これで殴れってこと?



「な、殴られた……。それも殺虫スプレーで……。暴行罪だ……」

「では警察を呼んでどうぞ」

「警察なんて何もしてくれないじゃないか!」

「そりゃ部屋に虫が出たなんていう理由じゃ動かないでしょうね」

 そう。このクソ男。部屋に虫が出たなんていう理由でこんな夜中のこんな寒空の中呼び出しやがったのだ。

 これがまだ逆の立場なら分からんでもないが、何が悲しくて年下のこんなか弱き乙女が虫退治に呼び出されなければならないのか。ああ、思い出すだけで腹立たしい。腹立たしくスプレーが暴発するかもしれない。まぁ、暴発は事故だ。仕方ない、仕方ない。と、言うことで、

「(プシュー!)」

「危ないっ! 危なーいっ! 違うっ! 違うよっ! 僕は虫じゃないよっ!?」

「そうですね。悪意が無い分虫の方がまだマシかもしれないですね」

「おおっと、まさかの虫以下の評価だ。けど負けないぞー、泣かないぞー、僕は」

「その意気で虫にも勝ってくれませんかね」

「世の中、勝てない相手って居るよね」

 やっぱ虫以下じゃねーか、こいつ。頑なに差し出す殺虫スプレーを受け取ろうとしないので、強めにスプレーの缶の底でわき腹を押してやる。

「えーん、暴力はんたーい。いじめは犯罪なんだぞー」

 なるほど。確かに法律を犯すのは良くないな、と彼女は頷くと、

「では虫を殺したら殺虫剤(罪)になるので帰ります」

「上手い! 座布団一枚上げるからその座布団に座ってって! お願いよ~。このままじゃ寝れないのよ~」

 乙女か、と思いつつ、本当に寝れなそうな顔をしているので、彼女は深い深いため息は吐いてから、割と本気で帰ろうと思っていたので付け直した防寒具を改めて外してから彼に一通り投げつける。

 というか、彼女も虫が平気なわけではないのだが。むしろ見たら鳥肌が立つ程度にはダメなのだが。こういうの、心理学で何とか現象、みたいな言い方でもあるのだろうか。自分よりダメな奴が居ると何故か自分が頑張らなければいけないという気になってくる。

「で、どこに居るんです?」

 彼女は虫が出たという部屋に入り、殺虫スプレーを噴き掛ける相手を見つけるため、彼女が自分の背中にコソコソ隠れている彼に聞くと、

「分かんない」

「…………はっ?」

「怖くて廊下に出てたから」

「………………」

「てへっ」

「(プシュー!)」

「目がっ!? 目がぁぁぁっ!?」

 殺虫スプレーを噴き掛ける相手が見つかったので、彼女は彼の顔面にスプレーを噴き掛ける(良い子は真似しちゃいけません)。まったくなんと使えない男だ。百歩譲って退治できないで怯えているのはまだしも、見張っておくこともできないのか。

 というわけで、どこに隠れたかも分からない虫が出てくるのを待つ、という作業が始まった。



 どうせ部屋に居てもあれは役に立たないどころか虫が出た瞬間パニックになって邪魔さえしかねないので、小腹が空いた彼女のために食料調達に行かせた。

 虫が出てくるまでやることもないので、彼女は家主の居なくなった部屋の中心で胡坐をかく。そんな広い部屋でもないので、捜索すれば見つかるのだろうが、家具の裏なんかに入り込んでいた場合、家具を退かさなければならない。日中ならともかく、この時間ではご近所さんの迷惑になるので、大人しく出てくるのを待つことに。ちなみに、出てくるかは虫の気分次第なので、朝まで出てこない可能性も考慮して、1時間待って出なければ帰るぞ、という約束にした。

 しかしまぁ、彼女を部屋に呼ぶから片付けたのか知らないが、……いや、虫が出た後に彼女を呼んだのであれば、部屋を片付けるなんていう余裕、あの男にはないか。ということは普段から綺麗にしているのだろう。片付いている部屋である。

 散らかっているのは床に広げられたパズルくらいか。そう言えば部屋に飾りたい、とか言って、最近パズルを始めたとか言っていたような気がする。察するにパズルをやっている最中に虫と遭遇して慌てて避難した、というところか。

 食料も来ないし、虫も出ないしで暇なのでやろうかとも思ったが、5分でギブアップした。最近始めたにしては随分本格的な自然の風景のパズルである。ピースが小さくて多いのはまだしも、海・空・山、と同じような色のパズルが並べられているため、どれがどのピースなのかサッパリ分からない。

 一個ピースをはめるだけでもイライラして出来上がっている部分のパズルを『ああぁっ!!』と発狂して破壊しかねないためパズルは早々に断念。とはいえ手持ち無沙汰ではあるので、暇つぶしにこの手の『誰かの部屋に上がった時』の恒例行事でもありそうな、エッチな本探しでもしようかと思ったが、それは止めておいた。誰でも知られたくない性癖の一つや二つはあろうという聖母のような慈悲の心からである。

 パズルもエロ本探しも断念した彼女はヒマなので飲み物でも飲みながら食料が来るか、虫が出てくるのを待つことにした。冷蔵庫は好きに開けていいとの許可は得ているので、立ちあがって何か飲み物でも物色してこようと立ち上がった瞬間、

「うおっ!?」

 接近に気付いていなかったのか、今物陰から出てきたのか、視界の端に映った床の影がそのまま彼女の方に向かってササササッ! と高速で移動してきたため、彼女は悲鳴とともに反射的に一歩後ろに下がったが、その際に何かを踏んで足を取られ、後ろに盛大にスッ転ぶ。

 受け身も取れずに背中から倒れていったが、倒れた場所が良かった。畳まれていた彼の洗濯物の上に倒れ込んだため、それがクッションとなってくれたおかげで痛みはない。代わりに綺麗に畳まれていた洗濯物のタワーは崩れ落ちて床に散らばる。

 散らばった洗濯物は一旦無視して彼女は慌てて立ち上がり自分の体の周りを確認する。虫が床を走ってきて、その床に倒れ込んだので、体に上がってきたりしていないかと危惧したのが、どうやらその心配は無さそうだ。そのことに一安心した後、彼女は床に置いておいた殺虫スプレーを手に取り、どこ行った? と探してみるが見当たらない。また物陰にでも隠れられてしまったか、とも思ったのだが、

「………………」

 床に散らばっている彼の服が気になった。散らばった服の下に隠れてるんじゃね? というのを気にしたのではない。いや、まぁ、隠れている可能性はあるのだが、それ以上にちょっと怖い可能性がないか? と。

 床を走る虫。床に倒れ込む彼女。崩れる洗濯物。

 位置関係としては、虫が最初に床に居て、その次に服が床に散り、その上に彼女が服越しに床に倒れ込んだ形。

 チーン! と。何かが名探偵のように彼女の頭の中で閃いたような気がする。

 いやいや、まさかまさか、そんなそんな、と思いつつ、これは片付け、これは散らばった服を片付けてるだけよ? と彼女は自分に言い聞かせながら、一枚、また一枚、と床に散らばっている服をめくっていったところ、

「………………」

 当たりを引いたため、そっと元に戻して見なかったことにした。

 ヤバい、これはヤバい。彼女がどうしたものかと焦っていると、そこに追い打ちをかけるようにある物が視界に入る。服とは別に床に散らかっている物があったのだ。そして思い出す。そういえば、さっき何か踏んで転んだんだったな、と。そうか、あれを踏んだのか……。

 服だけであれば最悪証拠の隠滅もできた。洗ってもいいし、こっそり持ち帰ってもいいし、何なら今すぐコンロで焼いたっていいし。しかしこっちは無理だ。復元は不可能。いや、一週間くれればできるかもしれないが、彼が戻って来るまではどうやったって無理だ。

 証拠隠滅は無理だと悟った彼女はそーっとその場で立ち上がると、着ている時間も勿体無いとばかりに防寒具を手に持ち、そのままそーっと玄関に向かいドアを開けて外に出たところ、

「あれ? どうしたの?」

 食料を買ってきた彼と遭遇する。

 タイミングの悪いやつだな、とは思いつつ、彼女は動揺など微塵も出さない。

「虫退治が終わったので帰ろうかと」

「えっ? ホントッ!? ありがとう~っ!!」

「いえいえ、ホントホント、お礼なんて要らないんで」

「いやいや、本当にありがとう~っ!!」

「いえいえ、本当にっ、お礼なんて要らないんで」

「ん?」

 普段ならこれでもか、と恩着せがましく言ってきそうな彼女のずいぶんと謙虚な姿勢が彼は気になったらしい。まずい、と彼女は早々に会話を切り上げることに。

「では、私はこれで」

「えっ? 帰っちゃうの? せっかく買ってきたのに」

「それはごめんなさい。後日お金払いますので、それはご自分で食べてください」

「あ、いや、別にお金はいいけど」

「いえ、払います、絶対」

「ん?」

 普段なら『奢り』という言葉に容赦なく甘える彼女のずいぶんと殊勝な態度が彼は気になったらしい。いかん、と彼女は強制的に話を終了して踵を返す。

「明日早いので私帰りますね、おやすみなさい」

「えっ? ああ、うん。おやすみなさい?」

 明日早い、と言われた手前、引き留めるのも憚られたのだろう。彼はイマイチ不思議そうな顔はしつつも返事をする。走る、とまではいかないものの、彼女は速足で去っていく。

 そんなに明日早いのかなぁ? なんて彼は思いながらドアを開けて自宅へと入っていく。それを確認した瞬間、彼女は猛ダッシュでその場を後にする。


 その後、彼女の背後から聞こえた甲高い悲鳴については、彼女は聞かなかったことにした。

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