頼りにならない年上の彼と頼りになる年下の彼女

うたた寝

第1話 たまにはフレンチでも

 休日。お昼にはまだ少し早い時間帯だが、今から作ればちょうどいい時間になると、彼女は昼食の準備を始めていた。

 準備とは言ってもそんなに大層なことをするわけではない。ペットボトルの容器に保存してある出汁を鍋へと注いでいき、そこに適当な大きさに切った肉と野菜を入れて温めていくだけだ。

 万能出汁とまでは言わないが、この出汁は色々と応用が利く。ここにカレー粉を入れればカレーになるし、ここに味噌を入れれば味噌汁になる。専門家が聞いたら怒る所業かもしれないが、どうせ食べるのは自分だけなのでそんなに拘ることもない。

 お昼はうどんにしようと決めているので、鍋に注いだ出汁に麺つゆを入れていく。肉と野菜に火が通るまで温めたら後はうどんを入れて完成である。チラリと時計を見ると、まだお昼を食べるには早い時間帯だったため、彼女はまだ火はかけずにキッチンを後にする。

 自炊が好きか? と聞かれれば、彼女は別に好きではない。とはいえ、親の仕送りで一人暮らしをしている大学生の身分としては、毎日外食やお弁当を買うというわけにもいかない。以前口座残高を勘違いしてお金を使い過ぎてしまった時、母上様にそれとなく追加の仕送りをお願いできませんかお願いいたします、と、通話を無視されたので留守電にそっと残して打診してみたところ、『既に渡していますよね?』と、可愛い絵文字付きだったが得も言われぬ謎の圧力を感じる一文が送り付けられたことがある。なのでちゃんと決められた額でやりくりしないと、迂闊に使い過ぎてしまうと、家賃が払えなくなってしまう。

 バイトをしろよ、と思うだろうか? もちろん彼女も考えた。だが、近辺にあるバイトを募集しているお店のほとんどが、明らかに彼女みたいに、『親の仕送りだけだときつい』という人をターゲットにしていそうな、明らかにこちらの足元を見てきている時給設定だったため、こりゃ割に合わんと早々に諦めた。

 そもそも彼女は物欲がそんなに無い。同級生みたいに、季節ごとに新しい服などを買ったりだ、SNSで話題のお店に行ったりだ、仲間と一緒に海だ山だ行ったりなどもしない。出費のタイミング自体があまり無いため、毎日の食費さえ気を付けていれば、そうそうお金に困ることもない。

 早めにお昼を取ってもいいのだが、何となく毎日これぐらいの時間にお昼を取るという彼女の生活リズムがある。時間潰しにスマホを弄っていると、そのスマホがブーッと振動した。ゲーム中だった画面がメッセージの通知画面に隠される。音ゲー中にこれをやられると画面の半分が隠れるため、続行はほぼ不可能なのだが、その辺はもう慣れである。縛りプレイだと割り切ってゲームを続けていく。

 無事にフルコンを取った後、彼女は通知が来たメッセージを開きに行く。とは言っても、長い文章を送られたわけではないので、通知された段階で内容は分かっている。案の定、メッセージを開いてみると、そこには先ほど音ゲーをしている時にも確認できた『お昼ご飯一緒に食べに行かない?』という一文が表示されている。彼女は『行きます』とすぐに返信すると、身支度を始めた。



 彼女が呼び出し場所、もとい待ち合わせ場所に着いた時、呼び出した相手はまだ到着していなかった。呼び出しておいて何たることだ、と思わんでもないが、いつものことなのでいちいち気にしていられない。近くにベンチがあったので、彼女はそこに座って音ゲーに興じることにした。

 どれぐらい待っただろうか? とりあえず音ゲーのスタミナがそろそろ切れるぞ、というあたりまで同じ楽曲を周回した辺りで、

「ご、ごめん、待った?」

 と、彼女を呼び出した相手、もとい待ち人がやってきた。可愛い女の子であればここで、『ううん、今来たところ』などと平然と嘘を言ってのけるのだろうが、生憎彼女に虚言癖は無いので、

「はい、待ちました」

 と、ハッキリと肯定してやる。いつもの返しのハズなのだが、言われた彼もいつも通り『おぉ……』と狼狽している。が、話はまだ終わっていない。

「どれぐらい待ったかと言いますと」

「え? その話まだ続けるの?」

「楽曲時間2分14秒の楽曲。これをスタミナいっぱいである5回周回していました」

「お、おぉ……。よく分かんないけど、とりあえずごめん」

「秒数に直すと1曲134秒。単純計算でこれを掛ける5なので670秒。これを分に直すとおよそ11分。つまり貴方は人を呼び出しておいてその人の時間を11分も奪うという大罪を……、おや? 何故土下座しているんですか? 土下座されても止めませんよ?」

「止めないんかいっ!? こんな公衆の面前で土下座させても止めないんかいっ!?」

「土下座すれば許されると思っているのがそもそも、」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!! 火に油を注いでごめんなさいっ!! お詫びと言っては何ですが、お昼ご馳走するのでもう許してくださいっ!!」

 奢れば許されると思っているのがそもそも、と彼女は続けようかと思ったが、流石に周囲の人間が何事かと奇異な視線を注いできている。それぐらいであれば無視もできようが、近くの交番に居るお巡りさんまで何事かと顔を出してこちらを覗き込んできている。国家権力を相手取るのも面倒なので、

「で? どこに連れて行ってくれるんです?」

 遅刻問答を切り上げて本来の目的を聞いてやる。すると彼はよくぞ聞いてくれた、と土下座姿勢から跳ねるように立ち姿勢へと戻ると、

「実はだね」



 嫌味でも何でもないが、彼と食事に行くとなると大抵ファミレスか、大衆店だった。安くて美味しく食べられるので彼女はここを特に不満に思ったことはないし、不満が無いのだから文句を言った覚えも無い。

 にも関わらず、彼が今回連れていってくれたお店は少し高級感が漂うお店だった。いつの間に生意気にもそんなブルジョアな人間になったんだコイツ、と彼女は訝しんだのだが、来る最中何度かスマホを見ながら道に迷っていたので(道中、方向音痴特有の地図が表示されているスマホをグルグル回すという危険行為を始めたため、スマホを取り上げて彼女が案内)多分テレビか何かでお店を知って行ってみたくなった、というところだろう。

 正直店構えを見ただけでは何の料理のお店なのかも彼女には分からない。店内の壁にでかでかとフランスの国旗があったので、『店主の趣味で貼っているだけで、料理には関係ありません』みたいなトラップが無い限り、恐らくフランス料理のお店なのだろう。その特徴なのか定かではないが、店に入るなり高そうなスーツにその身を包んだ店員さんが席へと案内してくれた。

 慣れていないので彼女もどうすればいいのかいまいちよく分からないが、席に案内されて座ってダメということもないだろう。彼女は席に座ると、椅子の前でおどおどしている彼を座らせる。

 しばらくすると店員さんがメニューを持ってきてくれたので彼女はそれを受け取る。メニューを決めなければ話にならないと、彼女はメニュー表を開いてみるが、すぐ閉じた。自慢ではないが、何が書いてあるのか彼女にはサッパリ読めなかった。まず目に飛び込んで来たのがフランス語、と思われる文字で書いてあるメニュー名。こんなのは即ギブである。読めるわけがない。もっと言うと読ませる気が無い。

 その上に書いてある日本語。良心的なフリをしているが、書いてある単語がほとんどカタカナ。正しい翻訳なのか、翻訳を放棄したのか分からないが、馴染みの無いカタカナがズラズラと並べられている。写真も無いためどういう料理なのかサッパリ分からない。せいぜい肉料理なのか魚料理なのかが分かるくらいだ。

 渡された場所が場所であれば、黒魔術の呪文に使います、と言われても信じてしまいそうなメニューの解読は諦めた。しかし、フランス料理と聞いてパッと代表料理も思いつかないため、どうやってもメニューを見なければ料理の注文ができない。

 一縷の望みを持って彼の方を見てみるが彼も彼でメニュー表を開いたまま分かりやすく固まっている。何かを参考にしてこの店に来たのであれば、お店のおすすめ料理くらい覚えてきてほしいものだが、そんなことは今言い出しても仕方がない。

 ネットで今居るお店のメニューでも調べようかと思ったが、その必要も無いなと思い直し、彼女は、

「すみませーん」

 手を挙げて店員さんを呼ぶ。大衆料理店のテンションで声を掛けたため、あまりこういうお店に似つかわしくない行動だったのだろう。店内に居るお客さんが怪訝な顔をしてこちらを見ているが、悪いことはしていないので彼女は気にしない。呼ばれた店員さんの方は流石に接客のプロなのか、嫌な顔一つせずにこちらに近付いてくる。

「いかがいたしました?」

「すみません。ちょっとメニュー表に書かれている料理についてお聞きしたいんですけど」

 ネットの記事を否定するわけではないが、折角お店に来ているのだ。そのお店のメニューのことなど、そのお店の店員に聞く方が話が早い。ちょっと高級なお店の店員ということもあってか、内心は分からないが笑顔のまま接客を続けてくる。

「かしこまりました。どの料理についてご説明いたしましょう?」

「えぇっと、正直メニューが全く読めなくてですね……」

 強がっても仕方ないので彼女が正直にそう伝えると、こちらの知識レベルを理解した店員さんは『なるほど』と一回頷くと、こっちのレベルに合わせた『肉と魚どっちが好き?』から始まり、『苦手な食べ物ある?』『辛いの平気?』など、簡単な質問を重ねてくれ、結果3つくらいまでに絞り込まれることになった。最後まで絞り込まなかったのもプロとしてのこちら側への配慮だろう。

『では決まりましたらまたお呼びください』と言い残し、店員さんはテーブルを離れて行った。彼女はそれを見送ってから、

「ですって」

「お手数おかけしました……」

 こういう時、目の前の彼は人見知り全面発揮で何の役にも立たないため、店員と交渉するのは彼女の役目である。何で連れてきてもらった店でこちら側が店員にメニューのあれこれを聞かなきゃならんのだ、とは思いつつ、メニューも読めない中、適当に訳の分からんものを注文するよりはマシである。

 3択くらいまで絞り込んでくれたとはいえ、去り際に何となく強めに推していったメニューがあったので、恐らくそれがこのお店の推しなのだろう。反抗する理由も無いので彼女はメニューをそれに決めることにした。

 一方、普段から優柔不断でメニューを決めるのにただでさえ時間が掛かるこの男は、3択まで絞り込んでもらったのに未だにう~ん、う~ん、と悩んでおり、終いには、

「……どれがいいと思う?」

 知らねぇよ、とは思ったが、面倒なので同じメニューにすることにした。



 高級感漂うお店というだけあって、出てきた料理はそこそこ美味しかった。ファミレスの料理と比較して爆発的に美味しいかと言われるとそこには議論の余地があるにはあるが、その辺は各々の好みもあれば、彼女の舌がそんなに肥えていないというのもある。

 自他共に認めるほどに今日何の役にも立っていない彼にも彼氏としての僅かながらのプライドでもあるのか、僕が払うよ、と財布を持って会計に向かっていった。まぁ、プライド云々の前に待ち合わせ時間に遅れた詫びだったような気もしたが、奢ってもらうことに変わりはないので、『ご馳走様です』とお礼を言うと、お店の入り口前で彼の会計を待つことにする。

 その時ふと、お店に入った時にチラっとだけ見たメニュー表を思い出した。

 そういえば、このお店のメニュー表、値段が書いていないという恐ろしいメニュー表だったが、お金大丈夫なのだろうか?

 会計している彼の背中を眺めていると、彼は何度か店員さんにすまなそうに会釈した後、彼女の方に小走りで近付いてくると、

「あのぉ……」

 とってもすまなそうに話し掛けてくるので、とっても嫌な予感がした。

「お金って、持ってます?」

「………………」

 何でこんなのと付き合っているんだろうと疑問に思うことは数あれど、別れようと思ったことが無いのが不思議なものである。

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