第32話 お風呂
日は落ち空は夕闇の深い紺色。明かりはホースを通すためにドアを開けっ放しにしたトイレとその奥のシャワールームの照明、そして搭乗口の下を照らすライトだけになった。それだけでもコンテナボックス周辺は見えている。
湯舟に手を入れて湯温を確かめてみるとちょっと熱め。入っていれば温くなるからこれでいい。姉妹も指先をお湯の中に入れて確かめている。
マットレスの一つをコンテナボックスに寄せ、
「この上に脱いだ服を置いて、さっき説明したけどこのボウルでお湯を汲んで体を洗ってから入るんだよ。サンダルを履いたまま体を洗って、入るときにサンダルを脱いで。ちょっと熱いけど入っているうちにちょうど良くなるから」
と、一応の説明をして俺はもう一つのマットレスを持ち、トラックに戻ろうと搭乗口のリフトに回ると背後に姉妹もついて来ていた。
「お風呂、入らないの?」
『着替えとタオル』
そうですね。それは必要ですね。
俺はシャワールームに入ってホースを片付ける。外とトイレ、トイレとシャワールームのドアは開けておき、照明をつけっぱなしにしておいた。
片づけ終わると俺は通路に敷いたマットレスの上で横になった。姉妹はもう着替えを持って降りている。
ギャレットにリラクゼーション音楽をヘッドセットから流してもらい、
『カイヤ、一緒に入って。お湯が少ないからもう一人入らないと肩が寒い』
「いや、男の俺がそこに行っちゃまずいでしょ」
『大丈夫、お姉ちゃんもいいって言ってる』
ホントかよー。順番が変わってしまうが…… ま、いっか。
「わかった。行く」
んー、内心うれしいが色々大丈夫か? 体の一部が余計な反応を見せなければいいが。
俺は通路で全裸になった。外に出てコンテナボックスのそばで脱ぎ始めたら何かのショーみたいになりそうだからだ。もちろんカリョは見ないだろうがマーツェにがっつり見られそうな気がした。
タオルで前を隠し、TCと替えのパンツを持って搭乗口のリフトから降りる。
『おー、きたきた。兄さん、いい体してるねー』
マーツェさん、そのセリフはオッサンみたいですよ。
トラックの陰から三分の一ほど出ているコンテナボックスからマーツェが顔だけ出していた。カリョはトラックの陰で見えない。
「マーツェ、こっち見ないで背を向けて」
『恥ずかしがることないでしょ』
「俺がそっちに近づいたらそっちが見えちゃうんだよ」
ちょっと考えてマーツェは背を向けた。俺はマットレスに近づきパンツとTCを置いてそばにあったボウルを拾う。
ギャレットにトイレの照明を消してもらうと奥のシャワールームの明かりが残っているがだいぶ暗くなった。
ボウルでお湯をすくい体を洗って姉妹を見ないようにして湯舟に入る。二人入ったら温くなっているかなと思ったが四百リットルもあるのでまだ少し熱い。
奥にカリョ、真ん中にマーツェだ。三人入ると流石に狭く、入るとき俺の左腕がマーツェの(たぶん)肩に触れた。
見えていないけど裸の女子に触れたという意識が脳内で膨らむ。
深呼吸、深呼吸。
深呼吸と遠くの闇を凝視してその意識を消し払う。
心が落ち着くとヘッドセットが邪魔に感じてきた。風呂に入ってまでヘッドセットはしていられない。
「カリョ、マーツェ、ヘッドセットは邪魔じゃない? 取った方がいいよ」
『そうする。お姉ちゃんはもう取ってる』
俺も取ってマットレスに放り投げ、身を乗り出しTCを拾ってコンテナボックスの
「ギャレット、通訳頼むね」
「了解です」
「カイヤ、こっち見ないで背を向けて」
「ん? わかった」
俺が背を向けるとザザーと水の音がした。カリョが立ち上がったようだ。熱かったのかな。続けてマーツェも立ち上がると水位がだいぶ下がった。
見てはいないけどコンテナボックスの縁に座っているようだ。そっちを向いても大事なところは暗くて見えないはずだけど向きませんよ。
「はー、冷たい風が気持ちいい」
TCから出る通訳された音声を聞いて俺の中で強くこの世界の言葉を覚えたいという気持ちが沸き起こってきた。
AIの通訳はどうしても遅れるし、ヘッドセットはほぼ同じ意味を伝えているが同じではない。そして今のようなときはヘッドセットをつけたくない。
「カリョ、俺に言葉を教えてくれないかな?」
「いいけど…… 急にどうしたの?」
「ヘッドセット無しで話がしたいから」
「お姉ちゃん、いいの? カイヤが言葉を覚えたら通訳が不要になっちゃうよ?」
「いや、そんなにすぐに覚えられないから」
「教えるよ。私もヘッドセットなしで話したいし」
振り向きたい……
「じゃあ明日から頼むね」
「わかった」
そこに風で雲が流され月が出てきた。輝く湖の
”ドボンッ”
二人とも慌ててお湯に入った。勢いでマーツェの膝が俺のふくらはぎに当たる。見てはいないけど月明かりに体が照らされたのを気にしたのかな?
「カイヤ、こっち向いていいよ」
カリョの声。湯につかっていれば大丈夫のはず。ゆっくりと振り向きカリョと顔を合わせる。セーフです。顔以外は見えません。チラッとマーツェをも見たが二人とも髪の毛を後ろで団子にしていることにこのとき初めて気が付いた。
月明かりの下、水に濡れたカリョがとても綺麗だ。
チラッチラッと目が合う。
言葉はいらない――
そこにマーツェの顔が割って入ってきて俺をニヤケ顔で睨んでくる。俺も”邪魔しやがって”の気持ちを込めてニヤケ顔で睨み返してやった。
俺は少し温まると月明かりで出るに出られなくなった姉妹を気にして先に風呂を出た。
タオルで股間を隠しながらパンツとTCとヘッドセットを拾ってトラックに戻ったがパンツを持って行ったのは無駄だった。
トラックの通路でパンツを履く。まだ熱いのでシャツはあとで着ることにした。処置室からコーヒーカップとウィスキーと水のボトルを持って荷室へ移動。
荷室に入るとトラック前方のハッチが開けたままになっていた。昼間コンテナボックスの水ボトルをぶちまけたときそのままにしていたのだが、月明かりで照らされた地面の照り返しが荷室内を少しだけ明るくしていた。これくらいなら照明をつけなくてもいい。
荷室の前方にはばらまかれた水のボトルが転がっている。前輪のフェンダーに座りコーヒーカップにウィスキーと水を注いで飲む。
今日俺は幸せだった。カリョが言ったようにずっと幸せでいたい。それには
明日はメゼズに行くのか…… 行きたくね――
軽く酔い、ぼんやり考え事をしていると、
『カイヤ、どこにいるの?』
ヘッドセットにカリョからの会話イメージと音声が飛んできた。
「荷室にいるよ」
荷室の自動ドアが開き、カリョが入ってきたので俺はギャレットに照明をつけてもらった。
パジャマを着たカリョはまだ体がほてっているようで顔が少し赤い。
『何しているの?』
「体を冷ますついでに酒を飲んでいたよ」
もう体は冷めてシャツを着たけどそう答えた。
『そう、お風呂、気持ちよかったよ。また入らせてね』
「わかった。でも毎日は無理だよ。精霊の力をたくさん使うんで使いすぎるとトラックも動かなくなってしまうんだ」
姉妹には電力を精霊の力と言ってある。
『うん、毎日じゃなくていいから。じゃ、おやすみ』
「え? ああ、おやすみ」
それだけ言うとカリョは戻っていった。何か肩透かしだった。もう少し何かあっても良かったんじゃないかな?
いやいや、俺が欲張りだった。反省。
翌朝六時、誰にも起こされずに目が覚めた。歯ブラシを咥えてコックピットに入る。
「ギャレット、電力量表示」
「はい」
モニターに残電力量と使用グラフが出てきた。残り七十二パーセント。やはり昨日の風呂が大きかった。それだけで十三パーセントの消費だ。
トラックの屋根はソーラーパネルになっていて天気のいい日ならバッテリーの四パーセント相当の発電する。
何も使わなければそれだけ充電できるがトラックはコンピュータや空調・照明・モニター・リフト・自動ドア・冷蔵庫・シャワーにトイレと移動しなくても結構な電力を使っているので残電量を増やすことはできない。
移動せず空調やシャワーを使わないなどの節電をすれば屋根のソーラーパネルだけで一日の電力は賄えるのだが。
この先何が起きるかわからない。戦いの前にはできるだけ電力は溜めておきたい。
昨日転移したものの中にソーラーシート三枚がある。今は畳まれているが外で広げて太陽の光を当ててやれば発電するシートだ。
電気のない世界で電力で動く装置が電力をなくしたらアウト。充電は必ず必要になるので転移したわけだ。
そのソーラーシートを使って充電したいのだが、メゼズに入って街外れにでも広い場所があればトラックを止めてソーラーシートを広げて充電できるのではないだろうか? よし、覚悟を決めて今日はメゼズに行こう。
コックピットでそんなことを考えていたら姉妹が起きてきた。
朝食はゼリーパックで簡単に済ませ、姉妹に今日の予定を説明する。
昨日出しっぱなしにしていたテーブルや椅子、湯舟にしたコンテナボックスなどは全員(俺と姉妹と重神兵を操るギャレット)で手分けをして片付けた。
片付け終わるとロボドッグを回収し俺たちはトラックに乗り込んで王都メゼズに向けて出発。メゼズまでの距離は約百キロ。徐行で約五時間。昼過ぎには到着すると思われる。それまで洗濯機を回しながらカリョに言葉を教わるか。
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