チェルノブイリ1986 ー2022.5.18.

監督:ダニーラ・コズロフスキー



「架空を通して観る現実」


チェルノブイリ原発事故(事実)を舞台に、

その終息に尽力した主人公たちの物語(架空)である。

すでに戦争が始まっていたため、上映中止になるかとやきもきしたが

無事観ることができて良かった一本でもある。

さかいに、今後新作は当分入ってこないのだなぁと思うと、

露語学習者としては生きた会話を聴くことができる貴重な機会を失ったようで悲しい。


さておき、この手の作品は二手に分かれる。

一つはヒーローとして称えまくる、で

もうひとつは悲劇を啓蒙する、だ。

自国の大事故だけに前例でくるのか、と思いきや

内容は後者に重きが置かれており、想像していた以上に公正、公平な内容だった。


面白いなと思えたのは、

事故の事実に沿いながらも、作り上げ混ぜ込んだ架空の人物の物語を追うことで、

事故が与えた影響より

ある一人の架空の人物が人生の中で遭遇した事故、

として描き出されている点だった。

そんなあったかもしれない誰かの物語を通し事故を観ることで、

事故を事故として単体で理解するよりも、

より身近な出来事、もしかすると自分の身にも起きていたかもしれない事故として感情移入、観ることができたように思う。


これは日本語訳のされ方によるものなのかどうかわからないが、

最後まで、主人公と相手役の彼女、そしてその子供の関係が明確と説明されず進むにもかかわらず三者の関係が理解でき、見せ方がとてもうまいなと感じている。

こうした繊細さにロシア映画ならではの雰囲気もまた味わえ、堪能できた。


HBOの「チェルノブイリ」も鑑賞済みだが、

主人公の最終ミッションはそこにもしっかり描かれている。

事故処理全体のどの部分を担った人物なのかを知りたい場合、

鑑賞するとなおよく作品が理解でき、ハラハラ感も増すので是非ともお勧めしたい。


また過去、他にもいくつかロシア映画を見てきたが、

ロシア映画に出てくる女性は強い。

めちゃんこ強い。

強がっているのではなく、単純に強い。

今回も申し分なく強かったので世は満足である。

ブラボー。



ロシア映画の「泥臭さ」は独特だと思うのはわたくしだけか。

それとも見てきた作品が偏っているからか。

乾燥したアメリカの雨がもたらすぬかるみとも、湿気た日本の栄養満点な田んぼのような泥んことも違い、

果てしない平地、そこに広がる深い森が凍てつく冬を越え、溶け出した氷にぬかるむねっとり、春はもうすぐそこで嬉しいんだけど、歩みを鈍らせるような重たい泥、ロシア映画にはそんなイメージを持っている。

なおかつ見上げれば曇天。

エンドレス、曇天。

一生すっきり、さっぱりしなさそうなあの風土がフィルムにも漂っているようで、観るたび異国情緒を思い知らされる。

書く物語に「気候」「風土」はどれくらい反映されるべきなのかわからないが、

設定として頭においておくだけで、登場人物らの服装や動きや風景描写が変わってくることは間違いないだろう。

ただし、「気候」「風土」こそ五感をフルに活用しなければならないカテゴリで、おそらく妄想だけでは補いにくいと思われる。

引き出しはつまり、映画だろうと実体験だろうとなるたけ一つの感覚に頼ることなく、幾つかの異なる感覚器で用意しておく方が、妄想も広がりやすいのではなかろうか。言い換えるなら、有効なのではなかろうか。

体験は重要。

五感をフル稼働させたものの。

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