ドント・ルック・アップ ー2022.2.23.

監督:アダム・マッケイ



「見上げるな、と囁く罠」


ある日、彗星が発見された。

それはどんどん地球へ向かってくる。

ぶつかれば間違いなく人類滅亡。

果たしてどうなる、というドタバタ劇。

やたらめったら推す茂木健一郎さんに影響され、どんなものかと鑑賞。

コメディーとも聞いており、もっとあからさまに笑えるナンセンスものかと思っていたが、ナンセンスではなくメタファがブラック極まる「ハイセンス」作だった。


ゆえに見ながら心の中でツッコミを入れること幾たび。

ニヤリ、とさせられたり、オー、ノー、で首を振って肩をすくめてみたり。

そんな愛すべき人間臭さと、あきれるべき醜聞の波状攻撃がこのドタバタ劇を加速させてゆく。

うちにも終盤、哀愁漂う無力感にむしろ、ディープインパクトにも似た感動を覚えてみたり。

「見上げるな」

先導する政治家の演説シーンにはとにかく、

ああこれがトランプ政権のもたらしたアメリカの悲劇なのね、と思ってしまった。


さて、ポジティブシンキングとかもてはやされるが、

乗せて操られるだけの幻影なら

残酷な現実に対抗すべくネガティブシンキングも同等に大事にされるべきよな、と思ってみたり。



メタファを使用するにあたっての勘所としては、

はやりそこに勘付かれようと、まったく気づくことなくスルーされようと、

破綻することなく物語が続く造りに仕立てる所だと思っている。

いわゆる楽屋ネタ、楽屋オチ、として分かる人だけが楽しい、

にならないようにすることは重要だろう。

本作はその点、日本でそれほど話題に取り上げられていない。

なぜならベースにアメリカを中心としたワールドワイドなネタが仕込まれているためで、そこに気づく、気付かないで面白味が全く変わるからだろう。


(その点、作中、日本と思しきメタファは登場せず、物語は日本人、日本文化視点で見る限り、ほぼ他人事で進んでいると鑑賞した。まさに日本国内においてメタファは機能せず、そこが本作のオイシイ所だったなら裏目に出たのではなかろうか)


ふまえてさらに難しいのは、果たして書き手が「それは楽屋ネタ」である、と気づけるかどうかでもある、と思っている。

自身の周りの出来事なら、本人にとってはそれが世界全てとなりかねず、

思い込みが全く切り離された場所にいる人の視点を忘れさせかねないからだ。

そして存在しない者らへの配慮など、出来るはずがない。


こうした失敗は「適切な描写とは」にも通じるハナシだと考える。

自分にとっては当然と書いたものの、読み手には不足で伝わり切っていない、もしくは誤読させかねない、というアレだ。


作り手と受け手の認識をなるべく同じに近づける。


メタファの使い方に描写の精緻と、まるで違う物事の様に思えるが、根底にある障害は同じものだと感じている。

そして、何かを表現し、伝えて初めて成立する創作において

これは無視できまいと考えるのである。


で、ちなみにこの文章がより正確に私の考えを伝えきっているかと言えば、

まだまだ修行あるのみと自覚しかないのだ。

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