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「寒い駐車場で話もなんですから」と、宿泊先のビジネスホテルに誘う不審者改めカイリ君を全力で断り、一人暮らしのアパートに帰ってきた。


 明日は朝から中村家のご葬儀。九時にはご遺族ご親戚の皆様が揃われるから、朝の八時前には出社しないといけない。それに意味不明な都市伝説に付き合う義理もない。


 ——公衆電話の太郎くんですよ。

 ——公衆電話の太郎くん? それってゆららさんが創作した都市伝説じゃない。

 ——それが創作じゃなく、実際に起こってるんです。僕の知り合いも被害に遭いました。

 ——馬鹿馬鹿しい。


 カイリ君との会話を思い出す。知り合いが被害にあった。そんな馬鹿な。あれはゆららさんが書いたホラー小説。そう思うけれど、美琴ちゃんの話。そして実際に亡くなった美琴ちゃんの友人二人。そういうことは信じないわたしでも少し気味が悪い。一応、明日のご葬儀が終わってからカイリ君とまた会う約束をして今日は終わりにした。明日は夕方にはシフトが終わる。お通夜も、ご葬儀も今のところ入っていない。


 一人暮らしのアパート。かちゃりと鍵を開け、部屋に入る。狭い玄関。電気をつけ、まずはと風呂場へ行きバスタブの蛇口を捻る。寒い駐車場、コート無しで身体が冷え切ってしまった。今日はシャワーで済ませようという気になれない。


 部屋に入りエアコンを起動しテレビをつける。機械音に混じるお笑い芸人のどうでもいい話。なにが面白いか分からないけれどハイテンションでツッコミを入れるMC芸人。くだらない深夜番組。でもあそこにいるのは特別な人達だとコートを脱ぎながら横目で見遣る。


 地方のMC派遣会社。それも弱小事務所では四角い箱の中で喋る仕事はこない。小さな液晶テレビ。その中で活躍するだけでも本当は凄いことで、あの人達は成功者の部類にきっと入る。


 特殊な声、声優になりたいと意気込んで専門学校に進んだ京子も結局は地元に帰ってきた。小さな町のその辺の高校の演劇部。普通じゃない声を持っていても井の中の蛙で、都会に行けば同じ夢を抱く人はごまんといる。それはわたしも同じこと——。


 テレビから流れる音声をBGMにして思い耽りながら洋服を着替える。


 農業高校の食品衛生科を出て、実家が飲食店だからという理由で調理学校へ進学。二年間学んで卒業後、製菓店勤務。たまたまスイーツのイベントで出会った先生に勧誘されてMC業界へ。流れ流されて今に至る。


 ——先生。


 思い出すだけで胸の奥が疼く。あのパワハラ女社長、花田をなぜ『先生』と呼ばなきゃいけないのか。今でも『先生』と自然に出てしまう自分はきっと、花田の呪いにかかっている。


 ——言葉使いがなってない!

 ——やり直し!

 ——プロ意識がなさすぎるでしょ!

 ——お金を貰って学べるのよ、わたしのことは先生と呼びなさい!


 ばさばさっとベッドに脱いだ服を投げ、スウェット姿に着替えると、小さなソファーにどさっと腰を下ろした。腕を背もたれに投げ出し白い天井を見上げ思う。もう二度とあの業界には戻りたくない。一見華やかに見えるけれど、どろどろとした人間関係。妬み、僻み、欲望に虚栄心。同業者はSNSで自分をアピールし、フォロワー数を競う。司会者なのに、仕事が終わればコンパニオン扱いな現場もあった。地方都市の小さなMC派遣会社。クライアントからのセクハラを容認するパワハラ女社長、花田。


 ——なんで今思い出したんだろ。最悪。ムカムカしてくる。


 あの当時、結婚式の司会もやりたくなかった。二十代前半の小娘が結婚式の司会。人生の深みなんて全く理解不能の小娘に、人生の一大イベントを任せなきゃいけないなんて。新郎新婦もお気の毒。


 そんなことを言ってしまったらお葬式もか——。


 母譲りの瓜実顔は昔から年齢よりも年上に見られる。だからきっと、葬儀会社でもやれている。二十八歳女性でご葬儀の司会者は珍しいかもしれない。だからこそ余計に意識している。ご喪家であるご遺族に寄り添うこと。心を込めて最後をお見送りしたいという気持ち。


 ——結婚式じゃなくって葬式?

 ——うちは飲食店なのよ! 縁起でもない! そんな仕事辞めてちょうだい!

 ——霊がついてきたらどうするの! 霊が!


『霊』


 母はそういう類のことを信じている。だから変な宗教にはまることも多い。とはいえ、移り気が激しいからどっぷり嵌る前に大体は抜け出す。そして次の宗教に嵌る。それはもう、宗教心がないのと同じだと常々思うけれど、母はそういう人だ。


 ——真矢、よく聞いて。今度のこれは本物なのよ。手をかざすだけで足の痛みが取れるんだから。


 実家の戸棚には今でも金色の変なシールが貼ってある。わたしが小学生の頃に嵌っていた宗教団体のそのシール。母の実家もそういう種類の人間で、その影響が母に染みついている——。


『都市伝説ってあるじゃないですか——』


 不意に耳朶に流れ込む男性の声。意識が切り替わり、自然と視線がテレビに向かう。


 ——都市伝説?


 青暗い照明のスタジオ。画面上には血塗られた赤いテロップで『恐怖・都市伝説芸人』と出ている。名前も知らない若手芸人。小太りな男性がドアップで画面に映り、眉根を顰めて続きを話す。


『最近噂になってる都市伝説なんすけどね。電話を自分にかけるんすよ。そうすると——』


 ——ザザザッ……ザザザザザッ


「ん?」テレビの液晶がバグったのか、映像が乱れている。珍しい放送事故だ。いや、電波の問題か——。


『……れで、……なんすよ。これ、やった先輩が……』


 ——ザザザッ……ザザザザザッ


 不快な雑音。

 乱れるテレビ画面。

 時折映る芸人さんの顔が歪み、小さな四角、緑、赤、黒と原色がちらつく。

 

『で、……さん、そっから飛ぶ鳥もお……じゃないっすかぁ〜。それ……』


 ——ザザザッ……ザザザザザッ……


「変なの……」と呟いた刹那。途切れ途切れに聞こえる男性の声がブツッと切れた。テレビの液晶も真っ黒に変わり、自分の部屋、自分の顔がぼんやり映っている。


「テレビが落ちた?」


 テレビのリモコンをお尻で踏んだ。そういうことかとソファを手で弄ると、お尻のすぐそばでリモコンを見つけた。


「やっぱりお尻で押したのか」


「さてと——」と立ち上がる。ちょうど湯船にお湯が溜まった頃かもしれない。明日はご葬儀がある。はやく身体を温めて、ナレーション原稿を見直してから就寝したい。でもと、消えたテレビ画面を見る。


 ——さっき、都市伝説って言ってた。


 真っ黒なテレビ画面にぼんやり映る自分の姿。白い部屋着が黒い画面に映っている。その後ろ、黒い物が動いた気がした——なわけ——でも。


 肺の奥がどくんと波打つ。

 都市伝説。

 公衆電話の太郎くん。


 今日はそういう話題が続いて神経が過敏に反応している。信じやすく騙されやすい母のようになりたくないと、頑なに信じていない心霊現象。いや、都市伝説となると心霊ではなく怪奇現象なのか——。


「馬鹿みたい。どっちでも一緒だし」


 口から溢れ落ちる独り言を飲み込んで、風呂場へ向かう。廊下に出ると外気温と同温な冷気に包まれ、ぶるぶるっと身震いがした。







 


 


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