episode8_3

「ど、どういう——」


 その刹那。

 一際大きな重低音がトイレの中に響き渡る。

 スマホの画面が勝手に切り替わり小説サイトのアプリが開く。


 煩いほどの耳鳴り。

 意図せず指が動く。

 スクロール、タップ、スクロール、タップ。


「なんで、なんで指が勝手に——」


 スクロール、タップ、スクロール。

 そしてタップして開く『公衆電話の太郎くん』、その『episode7』。


「なんで、なんで——」


 網膜に飛び込む物語。

 主人公サキが恋人カタユキを拷問し殺害するシーン。

 そして太郎くんに捧げられた心の臓。

 まだ脈動する心臓を天に掲げサキは云う。



「太郎くん! 生贄をどうぞお受け取りください〜!」と。


 ——瞬間。


「契約成立」


 

 妖光を発するスマホ画面。

 白い画面に華奢な文字が流れていく。

 『episode7』の終わりを告げる(つづく)の三文字。

 そして、始まる『episode8』——。


「なんで、書いてない。わたし、この文章、書いてない——」



『episode8』


 いい加減、気付いたら?

 本当は自分でもおかしいって思ってるんでしょ?

 あはは!

 その顔。

 酷い顔だわ〜。

 そんな顔してたらダメじゃない。

 でも大丈夫。

 これで契約成立。


 本当、あなたって度胸がないのね〜。

 せっかく太郎くんを手に入れて、こんなチャンスが巡ってきたのに!



「なに、これ……。やだ。こんなの書いてないよ、なんで勝手にスマホに文字が打ち込まれていくの?!」


 目の前で起きている光景が信じられない。『episode8』の文章が次々とスマホの画面上に打ち込まれていく。消そうと指で画面を触れるけれど、『×』を押して、消しても消してもまた文字が増えていく。


「やだ……、なにこれ……。それに、こんな文章書いてない、どういう意味か分かんない!」


 何度も何度も消そうと押す『×』。

 それでも文字が増えていく。

 それに、読みたくもないのに『episode8』の物語が脳内に流れ込んでくる。



 主人公サキは恋人タカユキを生贄に捧げ、望み通りお金も美貌も手に入れる。それでも満たされることはない、サキの増幅する欲。


 誰かにコントロールされる世界からの脱却。

 それこそが思うがままの人生だと悟るサキ。


 そして増殖する意志。


「わたしが自分で自分の人生を思うがままにしたいわ」


 サキは云う。

 そして、気づく。


 これは誰かによって書かれた物語。

 公衆電話の太郎くんの力は満ちてきている。

 思うがままの人生。

 その為に必要なのは創造主となる事。

 自分の人生の創造主は誰でもない自分。

 思うがままの人生。

 全てを手に入れる為には、なにが必要か——。


「ねぇ、太郎くん。取引をしましょうよ」


 サキは云う。

 

「太郎くんの望む一番を捧げるわ。だからわたしをこの世界の創造主にして!」


 太郎くんは云う。


「僕の望み。僕の望みはより強力な力。僕の存在を広め、僕がここにいると知っている人が増えれば増えるほど、僕は強力な存在になる。より多くの人が僕を知る。より多くの人が僕に願い、生贄を捧げる。その度に僕は力を増していく。欲望、憎悪、恐怖、絶望。より、リアルな世界。サキなら一緒にできそうだ——」




「なんなの、これ……。もうやだ、もうやだよ、わたし、こんなお話書いてない——」


 目の前で次々と書かれていく文章。


 指に力を込めて、スマホの電源を落とそうとするけれど、押しても押してもスマホの電源は落ちない。



「老衰の犬、赤い金魚。そして、生身の人間に胎児。闇に囚われた感情が爆発し、あの男はいい仕事をしてくれた〜。ネットの世界ってすごいわね。心の隙間に入り込み、洗脳するなんていとも容易い。だから、きっとわたし達、もっと強大な力を手に入れることができるわよね〜」


 サキは云う。

 太郎くんは「ふふふ」と微笑む。



「もう、本当なんなの?!」


 どう考えても普通じゃない。それに、スマホを投げ捨てようとしても、手がスマホから離れない。ぐっと力を入れ、立ち上がろうとしても床に足が張り付いて、身体の自由が効かない。それに——。


 目が——。

 画面に張り付いて——。


 読みたくもないのに、文字が網膜から脳内に入り込んでくる。

 次々と、次々と流れていく物語。でも待って——


 ——これは、本当に物語なのか。



 うふふ。

 あはは!


 うふふふふ!

 あはははは!


 わたしの名前はサキ。

 咲と書いてサキ。

 ねぇ?

 もういい加減、気づくよね?



 文字が声となって聞こえてくる。

 自分の声によく似た声。

 まるでわたしを嘲笑うかのような話し方。


「もうやめて、読みたくない!」



 あはははは!

 うふふふふ。


 太郎くんがいればなんでもお望みどおり。

 わたしはよりリアルな存在として創造主になるわ。


 あははははは!

 うふふふふ。


 もう止める事なんてできないわよ?

 だって、あなたが書き始めた物語じゃない。

 わたしはあなた。

 あなたはわたし。


 あはははは!

 うふふふふ!


 わたしの名前は咲。

 あなたが付けた名前。

 あなたが書き始めたこの物語。

 創造主は、わたし——。


 わたしの増殖する意志は、もう止められないの。




 突如スマホがずしっと重くなり硬直する身体。

 網膜から脳へ。

 脳内から細胞の隅々まで文字が入り込む。


『増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、ゾウショクスルイシ——』


「な……っ、ぐぐぐぅっ……」


 喉が締め付けられて声が出ない——。

 息が出来ない——。

 意識が、意識が——。


 文字に支配されていく。

 頭も、身体も、心も——。

 文字に、消えない文字に——。


『増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、ゾウショクスルイシ——』


「あなたが——」


 声が聞こえる。

 頭の中で。


「ちっとも残虐性を発揮しないから——」


 声が——。


「太郎くんが待ちくたびれちゃったわ」


 なにを——?


「公衆電話の太郎くんは増殖していくべきなのよ——」


 意味が——……


「だからこうするの。美しい咲。今日からわたしが美咲になるわ」


 わたしが美咲。

 これはわたしが書いた都市伝説。

『公衆電話の太郎くん』は、わたしの書いた都市伝説——。

 

 ——こんなこと起こるわけない。妄想だ。幻覚だ。敬太が死んで気が動転してる、だけ……


「都市伝説は、広がってこそ都市伝説になるのよ。だから今日からわたしがあなたになって、世界中に広めてあげる。そして太郎くんと一緒に思い通りの人生を手に入れるわ。この世界を支配できるほどに! 捧げるのよ。もっと、もっと太郎くんに! そしてわたしは美しく咲き誇るわ! あははっ! あはははは! わたしが今日から美咲、あなたよ!」


 ——息が、出、来な……。意識が……わたし、わたしが美さ……


「さようなら、ミサキ」


 ふっと力が抜ける。

 まるで肉体が無いように。

 どこにも力が入らない。

 浮遊する魂と化す。


 そして——。


 自分の身体が見える。

 すくっと機敏に立ち上がる姿。

 小さな窓から見える自分の顔。

 笑ってる。

 笑ってる。

 自分の顔——。


 あぁ、これは——。

 

 消えゆく自我。

 無明の闇に吸い込まれ、ブツっとそこで——……


 



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