episode8_3
「ど、どういう——」
その刹那。
一際大きな重低音がトイレの中に響き渡る。
スマホの画面が勝手に切り替わり小説サイトのアプリが開く。
煩いほどの耳鳴り。
意図せず指が動く。
スクロール、タップ、スクロール、タップ。
「なんで、なんで指が勝手に——」
スクロール、タップ、スクロール。
そしてタップして開く『公衆電話の太郎くん』、その『episode7』。
「なんで、なんで——」
網膜に飛び込む物語。
主人公サキが恋人カタユキを拷問し殺害するシーン。
そして太郎くんに捧げられた心の臓。
まだ脈動する心臓を天に掲げサキは云う。
*
「太郎くん! 生贄をどうぞお受け取りください〜!」と。
——瞬間。
「契約成立」
*
妖光を発するスマホ画面。
白い画面に華奢な文字が流れていく。
『episode7』の終わりを告げる(つづく)の三文字。
そして、始まる『episode8』——。
「なんで、書いてない。わたし、この文章、書いてない——」
*
『episode8』
いい加減、気付いたら?
本当は自分でもおかしいって思ってるんでしょ?
あはは!
その顔。
酷い顔だわ〜。
そんな顔してたらダメじゃない。
でも大丈夫。
これで契約成立。
本当、あなたって度胸がないのね〜。
せっかく太郎くんを手に入れて、こんなチャンスが巡ってきたのに!
*
「なに、これ……。やだ。こんなの書いてないよ、なんで勝手にスマホに文字が打ち込まれていくの?!」
目の前で起きている光景が信じられない。『episode8』の文章が次々とスマホの画面上に打ち込まれていく。消そうと指で画面を触れるけれど、『×』を押して、消しても消してもまた文字が増えていく。
「やだ……、なにこれ……。それに、こんな文章書いてない、どういう意味か分かんない!」
何度も何度も消そうと押す『×』。
それでも文字が増えていく。
それに、読みたくもないのに『episode8』の物語が脳内に流れ込んでくる。
*
主人公サキは恋人タカユキを生贄に捧げ、望み通りお金も美貌も手に入れる。それでも満たされることはない、サキの増幅する欲。
誰かにコントロールされる世界からの脱却。
それこそが思うがままの人生だと悟るサキ。
そして増殖する意志。
「わたしが自分で自分の人生を思うがままにしたいわ」
サキは云う。
そして、気づく。
これは誰かによって書かれた物語。
公衆電話の太郎くんの力は満ちてきている。
思うがままの人生。
その為に必要なのは創造主となる事。
自分の人生の創造主は誰でもない自分。
思うがままの人生。
全てを手に入れる為には、なにが必要か——。
「ねぇ、太郎くん。取引をしましょうよ」
サキは云う。
「太郎くんの望む一番を捧げるわ。だからわたしをこの世界の創造主にして!」
太郎くんは云う。
「僕の望み。僕の望みはより強力な力。僕の存在を広め、僕がここにいると知っている人が増えれば増えるほど、僕は強力な存在になる。より多くの人が僕を知る。より多くの人が僕に願い、生贄を捧げる。その度に僕は力を増していく。欲望、憎悪、恐怖、絶望。より、リアルな世界。サキなら一緒にできそうだ——」
*
「なんなの、これ……。もうやだ、もうやだよ、わたし、こんなお話書いてない——」
目の前で次々と書かれていく文章。
指に力を込めて、スマホの電源を落とそうとするけれど、押しても押してもスマホの電源は落ちない。
*
「老衰の犬、赤い金魚。そして、生身の人間に胎児。闇に囚われた感情が爆発し、あの男はいい仕事をしてくれた〜。ネットの世界ってすごいわね。心の隙間に入り込み、洗脳するなんていとも容易い。だから、きっとわたし達、もっと強大な力を手に入れることができるわよね〜」
サキは云う。
太郎くんは「ふふふ」と微笑む。
*
「もう、本当なんなの?!」
どう考えても普通じゃない。それに、スマホを投げ捨てようとしても、手がスマホから離れない。ぐっと力を入れ、立ち上がろうとしても床に足が張り付いて、身体の自由が効かない。それに——。
目が——。
画面に張り付いて——。
読みたくもないのに、文字が網膜から脳内に入り込んでくる。
次々と、次々と流れていく物語。でも待って——
——これは、本当に物語なのか。
*
うふふ。
あはは!
うふふふふ!
あはははは!
わたしの名前はサキ。
咲と書いてサキ。
ねぇ?
もういい加減、気づくよね?
*
文字が声となって聞こえてくる。
自分の声によく似た声。
まるでわたしを嘲笑うかのような話し方。
「もうやめて、読みたくない!」
*
あはははは!
うふふふふ。
太郎くんがいればなんでもお望みどおり。
わたしはよりリアルな存在として創造主になるわ。
あははははは!
うふふふふ。
もう止める事なんてできないわよ?
だって、あなたが書き始めた物語じゃない。
わたしはあなた。
あなたはわたし。
あはははは!
うふふふふ!
わたしの名前は咲。
あなたが付けた名前。
あなたが書き始めたこの物語。
創造主は、わたし——。
わたしの増殖する意志は、もう止められないの。
*
突如スマホがずしっと重くなり硬直する身体。
網膜から脳へ。
脳内から細胞の隅々まで文字が入り込む。
『増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、ゾウショクスルイシ——』
「な……っ、ぐぐぐぅっ……」
喉が締め付けられて声が出ない——。
息が出来ない——。
意識が、意識が——。
文字に支配されていく。
頭も、身体も、心も——。
文字に、消えない文字に——。
『増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、増殖する意志、ゾウショクスルイシ——』
「あなたが——」
声が聞こえる。
頭の中で。
「ちっとも残虐性を発揮しないから——」
声が——。
「太郎くんが待ちくたびれちゃったわ」
なにを——?
「公衆電話の太郎くんは増殖していくべきなのよ——」
意味が——……
「だからこうするの。美しい咲。今日からわたしが美咲になるわ」
わたしが美咲。
これはわたしが書いた都市伝説。
『公衆電話の太郎くん』は、わたしの書いた都市伝説——。
——こんなこと起こるわけない。妄想だ。幻覚だ。敬太が死んで気が動転してる、だけ……
「都市伝説は、広がってこそ都市伝説になるのよ。だから今日からわたしがあなたになって、世界中に広めてあげる。そして太郎くんと一緒に思い通りの人生を手に入れるわ。この世界を支配できるほどに! 捧げるのよ。もっと、もっと太郎くんに! そしてわたしは美しく咲き誇るわ! あははっ! あはははは! わたしが今日から美咲、あなたよ!」
——息が、出、来な……。意識が……わたし、わたしが美さ……
「さようなら、ミサキ」
ふっと力が抜ける。
まるで肉体が無いように。
どこにも力が入らない。
浮遊する魂と化す。
そして——。
自分の身体が見える。
すくっと機敏に立ち上がる姿。
小さな窓から見える自分の顔。
笑ってる。
笑ってる。
自分の顔——。
あぁ、これは——。
消えゆく自我。
無明の闇に吸い込まれ、ブツっとそこで——……
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