episode5_2
『episode5』は、サキのモノローグから始まっている。ベッドの中、隣で眠る恋人。サキはむくりと起き上がり彼を見ながら思う、と。なるほどそれで、と下にスクロールしながら読み進める。
ユイコにタカユキを寝取られ、二股状態だったサキ。その恋敵ユイコは会社に出勤せず、人伝に聞く話では精神を病み自宅に引き篭もっているという。サキは思った。これでもう、ユイコにタカユキを奪われることはない。とりあえずはタカユキを取り戻したのだと。
でも——。
だからといって、タカユキの心が自分の物になったかどうかは別の話。わたしを愛しているかは疑わしい。それに、と、自分の心の変化を感じとる。
一度でも浮気をした男。
曖昧な関係を続け二股状態を継続した男。
果たしてわたしはこの男を愛しているのだろうか——。
そこでふと、寝ているタカユキの頭部に目をやるサキ。
今年三十歳のタカユキの頭髪が、どことなく薄くなっている気がする。それに寝顔をよく見ると、さほど美男子でもない。どこにでもいるレベルの顔立ち。人から羨まれるような顔立ちの男ではない。それに——。
ユイコに寝取られ激しく燃えていた憎悪。絶対に渡してなるものかと煮え滾っていた熱情は冷めている。激しく交わった時に感じた、あの絶頂。突き上げるような快感。白く泡立ち弾け飛ぶ意識。あの時が頂点だった。
——サキは思った。
執拗に嫉妬し、奪い返したかっただけなのだ。わたしはもうこの男を愛してはいない。
「ふっ」と笑みが溢れるサキ。
公衆電話の太郎くんを手に入れたいま、望むものはなんでも手に入るのだ。地元中小企業の一社員であるタカユキ。もしもこの男と結婚したとして、その先。どうなるかは分かり切っている。そんな未来でいいのかと。
——そうだ。望むべきはこんなものじゃない。
地方都市の中小企業に勤める平社員。
なんて小さな存在か。
いまのわたしなら、もっと高みを目指せる。
公衆電話の太郎くんに願いさえすれば。
生贄を用意さえすれば。
もう一度寝ているタカユキを見るサキ。
そして心の中で呟く。
「クソ男」と。
「無価値なお前は必要ない」と。
ベッドから抜け出し、洋服を着るとサキはホテルのフロントに電話をかける。「先に一人出ます」と伝え、コートを羽織りラブホテルを後にする。クリスマスイブにラブホテル。そんなケチくさい男はもう要らない。夜景を一望できるような高級ホテル。公衆電話の太郎くんを手に入れたいま、そのスイートルームで朝を迎えることも夢ではない。
自宅に戻り、太郎くんを召喚したサキは問いかける。
「ねぇ、生贄を用意すれば、なんでも願いは叶うのよね?」と。「生贄の重さ、その重要性に比例して願いは叶う」と、太郎くんは答える。
都会でも田舎でもない街を抜け出して、リッチな生活がしたい。お金のあるいい男を見つけて、輝くような人生を手に入れたい。誰もが羨むようなそんな人生を。でも——。
二十八歳という年齢はどこか微妙に思える。だからといって、年齢を巻き戻すことは難しいだろう。「であれば、まずは——」と、サキは考える。「もっと綺麗な自分にならなくては」と。二十八歳。微妙な年齢であっても美しければ問題ない。
「美しくなりたいと願うならば、何を捧げればいいの?」とサキは訊く。「試してみればいい」と太郎くんは答える。
そして云う。
「例えばあの金魚を僕に頂戴」と。
サキは洋服ダンスの上、金魚鉢に泳ぐ金魚に視線を移す。真っ赤な尾鰭をひらひらさせて浮遊する金魚。あれはいつかの夏祭り、タカユキと一緒に掬ってきた金魚。名前は『マリン』。パチンコ好きなタカユキが付けた『マリン』という名前が愛しくて、名前を呼び、何年も飼ってきた。
そのタカユキが自分の中で不必要な存在となったいま、わたしの中で『マリン』は如何程の価値があるのだろうか。
——試してみたい。
欲望が衝動に突き動かされ、サキは云う。
「マリンを生贄に。わたしをもっと美しくしてほしい」と。
——刹那。
金魚鉢の水が一瞬にして煮えたぎり、真紅の金魚はこの世を去る。
白く濁った水。
その中で浮遊する燻んだ赤い破片。
「は……ハハハハハ……」
乾いた笑い声を出しながら、サキは恐々と鏡を見る。頬を手で触り、感触を確かめながらサキは思う。どことなく中途半端だった二重瞼はくっきりとし、肌は白く透明感が増している。胸は、と洋服の襟口を広げ覗き見ると、俯き掛けていた乳首は上を向き、乳房は張りのある膨らみへと変化しているような気がした。
「たかが金魚で、この変化」
——であれば、もっと色々試してみたい。
サキは欲を増幅させる。生贄の重要性に比例して叶う望みが違うのであれば、何を差し出せばいいのか。
都会でも田舎でもない中途半端な街を抜け出して、都会の高級マンションに住み、裕福に暮らす。ハイスペックな男性と結婚する為には何を差し出せばいいのかと。
『episode5』はそこまで話が流れ、終わっていた。
「はぁ〜」と、吐息が漏れる。画面に吸い込まれるように読み進めてしまった。
右下の文字カウンターをチラリと見る。
文字数的にも約三千文字。
この辺で書き終えたほうがいいだろう。
無意識で書いたとはいえ、なんとなくアイデアノートに書いた展開になっている。主人公サキは欲を出し、どんどん公衆電話の太郎くんに生贄を差し出す。と、確かに自分は書いていた。ホラー小説のつもりだからだ。
——それにしても。
金魚の
金魚を出してくるなんて当初の予定にはなかった。
はっと、パソコンから顔をあげ部屋の反対側、金魚鉢を急ぎ見る。
まさかあの犬のようにわたしの金魚も——。
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