第4話
由布は急いで家に帰っておばあちゃんに泣きついた。けれどおばあちゃんは、季節外れな幽霊だねぇ、と言って笑うばかりだったし、お父さんは、からかわれたんじゃないのか、と相手にしてくれなかった。お母さんに至っては、傘を失くした言い訳でしょうと由布を叱りつけようとしたから、もう明季に頼るしかなかった。
「明季、聞いて!」
電話を掛けたら、どちら様ですか、ときた。それで、明季を怒らせてしまったままだったと気が付いた。
「それどころじゃないんだって。見たんだよ、本物を!」
「それどころじゃなくないです」
電話を切られた。
何度か掛け直したけれど、一向に出てくれなくて、結局由布はその夜、憑りつかれていたらどうしようとびくびくしながらおばあちゃんと一緒に眠った。
翌朝由布は、列車の中で明季の姿を見つけると急いで駆け寄った。
「ひどいじゃん!」
「ひどいのは由布でしょ。まずは謝りなさいよ」
大人しくごめんなさいをしたら、許してくれた。
「つまり由布は、その幽霊さんと密会したくて、昨日わたしを邪険にしたってこと?」
一から順番に話していったら、また明季にじろっと睨まれてしまった。由布はぱちんと手を合わせて、だからごめんって、と謝った。
「もうしない。二度と隠し事はしません。明季に一番に話します。神さま仏さま明季さま。だから助けて。どうしよう、わたし。死んでたら!」
「どー見ても生きてるから大丈夫じゃない?」
明季は全く、冷静だった。
「だって、都子さんだって生きてる人にしか見えなかったよ」
「だから、幽霊とかそういうのはみんなその人の嘘っぱちで、生きてる人だったんじゃないの。からかわれたんでしょ。由布はぼーっとしてるから」
「えー……。そうなのかな?」
由布は納得できなくて腕組みした。
「だって、消えたよ?」
「隠れたんじゃない」
「足跡、なかったし」
「足跡が隠れるくらい、そこにじっと立ってたんだって。カイロとかたくさん持ってさ」
「明季はうちのお父さんと同じこと言う」
ぎゅっと足を踏まれた。由布はぎゃっと飛び上がってしまって、列車内の視線を一身に集める羽目になった。
着いた先の駅のホームには、やっぱり都子の姿はなかった。都子が立っていた場所は雪で覆われていて、都子がいた痕跡など残っていない。由布は、これまでのことは全くの幻だったのだろうかと考えてしまった。
昨日はあんなに怖かったのに、朝の光の下ではもう、この場所で転げるほど驚いた気持ちは朧気になって、定かには思い出せないでいる。
都子にもう一度会ってみたいと思った気持ちも、このまま理由が分からないままなのかもしれないと思ったら、寂しくなった。
「どーん」
「わ」
プラットホームの一画に視線を向けたまま心細そうに身体を震わせた由布を見て、明季は軽く体当たりをかますようにして由布の腕に手を絡ませた。
「おうおう。元気出せよ、兄弟」
振り向いた由布に、明季はにかっと笑って見せた。こつんと由布の額に額を合わせて、ぐりぐりする。
「痛い、痛い。明季、痛いから」
「痛いってことは、ちゃんと生きてるってことじゃん。きっとその都子って女も、暇な役者志望で、きっと今度の舞台で幽霊の役をするんだわ。全く、純真で信じやすい由布を練習台に使うなんて、許せない。放課後、案内しなさいよ。わたしからきっぱり文句言ってやるから」
行こ、と明季は由布の手を引いて歩き出した。
由布としては、まだ都子幽霊説を推したい気持ちだったけれど、それより力強く手を握ってくれる明季のことが頼もしくて、嬉しくて、一向に由布の言うことを信じてくれないことに関しては、ひとまず置いておくことにした。
「二人で幽霊になっちゃうのなら、寂しくないねー!」
由布が能天気に言ったら、なりません!と言い返された。
降り続く雪の切れ間に、柔らかな日差しが零れていた。町を覆う雪はゆっくりと融けだし、道を歩けばそこら中が水たまり。道路近くの雪は排気ガスに黒く汚れて、次第にその清浄さを失っていく。
シャーベット状になった雪を跳ね上げてしまわないように注意しながら、由布と明季は下校の道を歩いている。
学校近くの住宅街を抜ければ、やがて田んぼや畑の広がる地域に出る。雪かきのされていない広い平野は、少し太陽が覗いたくらいではびくともせずに、清廉にその白さを誇っている。
気温は低いはずだったけれど、太陽が出ているだけで随分温かい。歩いているうちに暑くなってきて、明季は雲のようにもこもこした毛糸のマフラーを解いて、軽く手団扇で風を送った。
由布と明季との付き合いは長い。一番初めに会ったのは幼稚園の頃。写真を見れば大抵隣同士で一緒にいた。
幼い頃の由布は少しばかり誕生日が早いおかげか身体が大きくて、ガキ大将のような役回りを請け負っていた。一方の明季は小柄で、気弱で、いつも由布の後を追ってきていたような印象だった。
今となっては、どちらかと言えば由布が明季に手を引かれる役回りになった。
「行くよ!」
明季はいつも少しばかり強引に由布の腕を掴んでさっさと先に進もうとする。少々せっかちなのか、由布がのんびり屋なのか。ともあれ、そんなに急ぐのなら先に行ってくれればいいのにと思うこともあって、でもそれを言うと明季がひどく悲しそうな顔になるから、なんだかずるいなぁ、と思っている。
「そんなに急いだって、いないって、都子さん。昨日だって、早めに着いた時、いなかったし」
「だから、早めに行って、隠れて監視してるの。目を離した隙に消えるのだって、足跡がないのだって、きっと由布が見てない間になにか仕込みをしてるんだから。なにかすごい、トリックなんだから!」
「ミステリ小説の読みすぎじゃ……」
意気込む明季を、なんだか楽しそうだなぁと由布は呆れ気味に眺めている。由布にとっては生きるか死ぬかの一大事なのに、まるで鳥打帽の名探偵気取りなんだから。
でも、由布も明季が楽しそうにしているのを見ていると気が晴れてくる。
もう一度都子に会うことが、実は少し気が重かった。昨日あんまり驚き過ぎて、都子のことを傷つけていやしないかと不安だったから。例えば自分が幽霊で、それを知った人にあれだけ怖がられてしまったら、きっと嫌な気持ちになるに違いないもの。悪霊系ならともかく!
「ねえ、明季」
「なに?」
「今、明季と繋いでる方の手でさ、昨日都子さんの手を握ったんだ」
は、と明季は急に不機嫌になった。だから?と唇を尖らせている。
「もしわたしの右手が呪われてたら……。明季ももう、手遅れかもね……」
明季は足を止めて由布の方を振り返った。くく……とおそろしげに笑う由布を見て、小さくため息を吐く。
「およそこの世に存在する怪しげな事象は、論理で解決ができるのだよ、島田くん」
「明季は怖がんなくてつまんない」
「ふふん。由布はいつまで経っても子どもなんだから」
「肝試し、めっちゃ泣いてたくせに」
公民館の夏のキャンプのことを思い出して由布が言ったら、得意気に胸を張っていた明季が一気に猫背になった。
「あれは……、暗いのが苦手なだけだもん」
「トイレ、付いて行ってあげたよね」
「だから、今回はわたしが付いて行ってあげてるでしょ」
「明季はなんだかんだ言うけどさ、本当に幽霊だったらどうする?」
そんなことありえないよ!と明季は言い張った。ふーん、と由布が明季の表情を眺めていたら、不意に自信を無くしたように由布の手を両手で握った。誰かに聞かれるのを恐れるようにして、こそこそ声で言う。
「もしも、本物だったら――」
「うん」
「逃げるよ」
あんまり頼り甲斐のある名探偵ぶりに、由布は思わず吹き出してしまった。
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