第5話 天童荒太『悼む人』上巻より 

 仏様の生まれ変わり、と呼ばれていた人間を殺した。

 夫だった。だから、夫殺しの罪となった。

 奈儀倖世は弁解するつもりはなく、死刑で構わなかった。

 最初の結婚相手から暴力を受け、偶然訪れた寺が家庭内暴力の被害者を支えるシェルターであると知り、かくまってもらった。その寺の長男が、甲水朔也と言った。彼の尽力で、倖世は離婚することができ、その後、彼の求婚を受けて再婚した。そして一年後、彼を殺した。


 (ここまで引用  天童荒太『悼む人』上巻 文春文庫 2011年 124P)



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 第三章の冒頭。すごいね、章のメイン人物のキャラや相関性、辿ってきた人生とその結末を一瞬で知らしめる。ただよう濃密な妖しさで読者を一気に呑み込んでしまう。

 ほんの数行でこれだけの雰囲気を構築できるのは、「仏様」「夫殺しの罪」「死刑」などメッセージ性が強い言葉の効果か。それとも救ってくれたはずの男を殺し、弁解もなく死刑でも構わないという「倖世」のどこか倒錯めいた印象が誘うのか。とにもかくにも、お手本という言葉じゃ足りないぐらいうまい。

 こういう文章を読むと「拙作の〜君はですね、実は〜なところがありまして」みたいな作者自身でのキャラ解説とかが、どれほど無粋でみっともない事かよく教えてくれるね。それは小説内で読者にわからせる事だって。

 しかし天童さんも寡作だね。「謝辞」に書かれていたんだけど、この作品を書き上げるのに要した時間は、諸々の事情で何と7年。それを呑んで見守った編集者と出版社もすごいわ。

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