第232話 奴隷、将来を誓う
地下練兵場に、剣戟による激しい金属音が鳴り響く。
ここ最近はネイヤやベネトナシュたちを集め、一から鍛え直すことが日課となっている。
ベネトナシュたちは、ネイヤからアルス以外の俺に関することを聞かされているためか、素直に言うことを聞いてくれている。
しかしそれは表向きであり、以前よりも俺に対する好感度が低いためか、今までにないほどに本気で俺に挑んでくることが多くなった。
これが良いのか悪いのかわからない。
だがこれだけ遠慮のない鍛錬なら、想像を超える速度での成長が期待できるというものだ。
「今日はこのへんでやめておくか」
見るからに疲労困憊で片膝を突いているネイヤたちを前に、剣を鞘へと収める。
「あり、がとうございま、した……」
ベネトナシュたちはその返事すらできないようだが、ネイヤは息も絶え絶えながら応える。
「確か……セレティア様との、約束のお時間……でしたね……」
「俺を時間指定で呼び出すなんて初めてなんだがな」
今までこんなことはなかったんだが、今回は何か特別な話があるのかもしれない。
記憶が戻ったことで、カーリッツ王国が派遣していることになっている、フィーエルの身の処し方についてだろうか。
何にしてもあの何もない場所に呼び出しということは、あまり他人に聞かれたくない話なのだろう。
「私どもは休憩したのち、鍛錬を再開したいと思います」
「あとは頼んだぞ、ネイヤ」
俺とネイヤのやりとりを聞いて、絶望に打ちひしがれるベネトナシュたちを横目に、セレティアが待っているであろう場所を目指す。
教会との一件で力を認められた俺は、今は戦士団特別補佐役という職を与えられている。
戦士長ほど責任はないが、立場的には一目置かれる職のため、王宮の中でも比較的自由な行動が取れて便利な職でもある。
長い階段を上り、王宮の屋上ともいえる、初めてセレティアから魔法を見せられた場所へとやってきた。
先に到着していたセレティアは、冷たい風を浴びながら眼下に広がる王都を見つめていた。
「そんな薄着じゃ冷えるぞ」
「ついさっき来たばかりだから、まだ大丈夫よ」
ドレス姿のセレティアが真面目な顔つきで振り返る。
笑顔ではないということは、やはり重い内容ということか。
横に並んで王都を見渡すと、初めてここから見えた頃よりも一回り大きくなっているのがよくわかる。
錬金人形を受け入れたことで、リゲルたちが居住区を広げた結果だ。
「こんな場所に呼び出して、一体何の話だ? 面白い話だと嬉しいんだが」
「それじゃあ一つ話そうかしら」
セレティアはいたずらっぽい含みのある笑顔を見せ、俺の前に立つ。
体が触れそうな距離に、思わずのけぞった。
「次の誕生日に、戴冠式を行うことが決まったわ」
「急な話だな」
王の体調が悪いという話は聞いていないが、周辺国が活発に動き出しているというのは聞いている。
そこから考えると、セレティアに譲位することで逃げたとみるほうがしっくりくる。
「驚かないのね」
「いつかはそうなることだからな。予想より少し早いだけだ」
「じゃあもう一つ」とセレティアは腰に手を当て、俺を見上げてくる。「結婚の申し込みが多くてね、お父さまから結婚相手を選ぶ権利もいただいたの」
思わぬ言葉に、鼓動が一瞬にして強くなる。
王族貴族ともなれば政略結婚は日常茶飯事で、特に驚くことはない。
しかし、セレティアが相手を選ぶという積極的な姿勢を取っていることに、少なからぬ動揺があったようだ。
「ふふふっ、どうやらこれには驚いたようね」
「セレティアが乗り気になるとは思わなかったからな。そういうのは慎重になるかと思っていたんだが」
「国のためなら当然でしょ」
言われてみればそのとおりで、出会った時から一貫してその行動原理は変わっていない。
セレティアがクラウン制度に挑んだのも、全てはユーレシア王国のため。
奴隷制度をなくしたいという想いも、錬金人形を受け入れたことで労力も余るほどになり、結果として達成されつつある。
「なら、俺はセレティアを支えるまでだ」
錬金人形の行く末については、俺が責任を持って見届けねばならない。
セレティアが進むべき道を誤らないかぎり、俺が口を出すことではないだろう。
「それじゃあ全力で支えてもらうわよ、ウォルス。――――わたしの夫になりなさい」
思考が一瞬停止し、目の前が真っ白になった。
さっきの話から何の脈絡もない結論に、思わず「は?」とだけ零していた。
「だから、『は?』じゃないわよ。わたしと結婚して、ユーレシア王国を支えるのよ」
「……どうして俺になるんだ。俺は護衛奴隷だぞ」
「それを知ってるのは、わたしを含めても数人だけよ。今じゃ何の障害にもならない。ウォルスは教会にも認められるほどの力を証明したし、国で反対する者はいないと思うわ」
「しかし……」
「ウォルスの好みの四十歳じゃなくて残念だったわね」とセレティアはくつくつ笑う。
「あの時は、間違って自分の年齢を言おうとしただけだ。それよりも、中身は三十歳以上離れているんだぞ。セレティアはそれでいいのか」
いくら見た目が若くとも、中身は親と子ほど離れている事実。
たとえ国のためであっても、セレティアには俺よりももっと相応しい人物がいるはずだ。
「良くも悪くも、ウォルスが最適なの。これは命令だから拒否権はないわよ。それとも、何か心配事でもあるのかしら?」
「いや、特にないが……」
本当に俺でいいのか、という思いだけが心の中で燻る。
血契呪で縛っている以上、俺と結婚しなくともこの力は維持できるのだ。
何だったら他国の血が入らず、警戒され続けるというデメリットだけが残ることも考えられる。
そんなことを今のセレティアが理解していないとは思えない。
「フィーエルが気になる?」
「どうしてその名が出るんだ」
「気になっただけよ」
薄々気づいてはいた。
最初は肉親に対する愛情と、そう変わらないものだと思っていた。
しかし、転生してからフィーエルから向けられる感情は、そういう類いのものとは違っていることに気づかされた。
過去を思い返してみても、転生前のフィーエルにはこんな兆候はなかったように思う。
転生したこの世界のフィーエルだからなのか、俺の世界のフィーエルが隠していただけなのかはわからない。
それでも俺は、フィーエルをそういう目で見ることを拒絶していた。
妹のような存在として見ていたからなのか。
俺の立場が奴隷だったからなのか。
それとも単純に、今の関係を壊したくなかったからなのか。
たとえどのような理由であろうと、気持ちに気づいてからあまりに時間がなさすぎたのも事実だ。
「何にしても、既にフィーエルには話して了解は得てあるから、ウォルスが気にすることでもないんだけどね」
「そうか……フィーエルには伝えているのか……」
フィーエルが何も言わないのなら、俺が口を挟むことではない……。
だというのに、セレティアから漂う物寂しさは何なのだろうか。
どうしてこんな話を俺にする必要があったのか。
それよりも、当事者である俺より先にフィーエルに伝えていたことに違和感を覚える。
「それとも、血契呪の解呪法が気になるの? わたしと結婚すれば、お父さまから聞き出せるかもしれないわよ。もし他国の王子と結婚して血契呪のことが知られでもしたら、解呪を妨害されるんじゃないかしら」
他国の王族と繋がり、もし俺が血契呪で縛られている事実を知ったならば、間違いなく解呪はさせないほうへ動くだろう。
だとしてもフィーエルのことといい、この手回しのよさはなんだ?
「やけに先手を打つじゃないか」
「それだけわたしが本気ってことよ」
「だったら血契……」
そこまで言葉に出したところで止まる。
最初に命令と言っていたはずだが、血契呪の力が働いた形跡はなかった。
本気と言いながら、今ですら何の変化もない。
あくまで俺の意思を尊重するということだろう。
セレティアは出会った頃から変わらず、無闇にその力を使ってこなかった。
真っ直ぐ俺を見つめるセレティアの瞳、それは俺からの答えを待っているだけだ。
「答えは決まっている」
出会った当初は、己の力を、現実を直視できていない田舎の王女だと思っていた。
しかし、俺のそんな評価を覆すほどの才能を開花させ、常に努力し続ける姿がそこにあった。
為政者としての資質も十分。
記憶の改竄では、逆に俺が支えられた面すらある。
禁忌を犯すことになり、道を過った俺にはもったいないほどの女性には違いないだろう。
今にも泣き出しそうな表情で待っているセレティアの前で、静かに片膝を突いた。
「……ありがとう」
「礼を言うのは俺のほうだ。俺を選んでくれたことに感謝する」
セレティアが差し出した右手の甲に、誓いの口づけをする。
すると堰を切ったように、セレティアの目尻から零れた涙が足元を濡らし始めた。
「らしくないじゃないか」
「だって、断られるんじゃないかって……いろいろ不安だったのよ」
為政者として、魔法師として、どれほどの才能があろうと、セレティアはまだ十六歳でしかない。
側で誰かが支えてやらなねば、いつ心が折れてもおかしくない存在なのだ。
俺の過ちで負荷が大きい魔法を使わせ、結果的に魔法力に蝕まれてしまったセレティアは、謂わば片翼を失っている鳥も同然。
俺がその片翼となりセレティアを支えることができるのなら、これ以上望むものはない。
「一生をかけてセレティアを支えることを誓う。だからもう泣くな」
立ち上がり、小刻みに震えるその肩を抱き寄せる。
震えが消えるその時まで、いつまでも抱きしめ続けた。
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