第231話 フィーエル、王女から告げられる

 王宮にヒールの甲高い靴音が響く。

 ウォルスに促されたフィーエルは、セレティアの部屋へと向かっていた。

 感謝の意を伝えるべきか。

 それとも記憶を改竄され、足を引っ張ったことを詫びるべきか。

 まだ心は整理できていなかったが、何よりもまず会うことを優先した。


「フィーエルです。お時間よろしいでしょうか」


「入ってちょうだい」


 扉を軽くノックをすると、中からセレティアの入室を促す声が響く。

 ドアノブを回して引いた瞬間、目の前が真っ白になるほどの強烈な光が、壁一面の窓から差し込む。

 セレティアはその光を背に、柔和なまなざしを向けて立っていた。


「セレティアさま、あの……」


「アイネスから聞いたわ。記憶が戻ったそうね」


「はいっ、改竄された記憶も残ってますけど」


「そうらしいわね。記憶が同時に二つ存在するっていうのが、一体どういう状態なのか想像もつかないけど、元気そうで何よりだわ」


 入り口まで歩いてきたセレティアの手が、フィーエルの背中に添えられる。


「わたしからも話があるの。聞いてもらえるかしら?」


「あっ、はい、大丈夫ですけど……」


 セレティアの表情はさっきまでとは違い、笑ってはいてもどこか重苦しい。

 フィーエルは普段とは違うセレティアの雰囲気に、言われるがまま中へと入ると、一番手前の席に腰を下ろした。

 巨大なテーブルの反対側へ回ったセレティアは椅子には座らず、そのまま窓辺へ行くと視線を窓の外へ向けて動かなくなった。

 そんな姿に、フィーエルも自然と体がこわばった。


「――――でも本当によかったわ、フィーエルの記憶が戻って。今から話すことは、記憶が戻る前に決めたことだけど、フィーエルにも話しておかなければいけなかったことだから」


「記憶が戻る前の私じゃダメだった、ということでしょうか?」


「そういうことになるわね。これは報告と同時に、フィーエルにお願いすることでもあるから」


「……お願い、ですか?」


 フィーエルは言葉を口に出したのと同時に唾を飲み込んだ。

 何かはわからないが、嫌な予感がして落ち着かない。


「もっとリラックスしていいわよ」とセレティアは徐に振り返る。「もう耳に入ってるとは思うけど、近隣国がユーレシア王国を警戒しはじめてるの。それで、お父さまが退位なさることになったのよ」


「それじゃあ、王位は……」


「私が次期女王ということになるわね」


「おめでとうございます」


 フィーエルは祝言を述べるのと同時に、胸を撫で下ろした。

 さっきまで抱いていた感情は無用のものだった、ただの思い過ごしだったと。

 お願いというのも、きっと女王になるに伴って補佐を頼まれるに違いない。


「それでね、お父さまと約束をしたのよ。王位に就く代わりに、結婚相手を私に選ばせてほしいって」


「ご結婚されるのですか……」


「各国から申し込みがかなりあってね、今は王位に就くだけで退けられるだろうけど、それも最初のうちだけだろうから。だから最も夫に相応しい者として、わたしはウォルスの名を挙げることにしたのよ。今のウォルスなら教会も力を認めてるし、誰もが認める存在でしょ」


「えっ?」


 フィーエルは言葉に詰まり、耳を疑った。

 冗談に違いない、ここでウォルスの名が出てくること自体がおかしいのだ。

 しかし、窓辺に立つセレティアは笑っていなかった。


「聞こえなかったかしら? わたしはウォルスを夫として迎えると言ったの。これに関してフィーエルの忌憚のない意見がほしいのよ」


「……いいんじゃないかと、思います。記憶の改竄についてもウォルスさんを支えたのは、セレティアさまですし……ウォルスさんなら、きっと…………きっと……」


 最後は言葉にならなかった。

 泣くつもりもなかった。

 それでも、突然のことで感情を抑えられなかった。

 嗚咽を止めることができず、テーブルがフィーエルの大粒の涙で濡れてゆく。


「意地悪をしてごめんなさい。フィーエルの気持ちが知りたかったのよ。でも本当にウォルスが好きなのね……ううん、愛していると言ったほうが適切かしら」


「……はい……ずっとずっと……」


 俯いて泣きじゃくるだけのフィーエル。

 ただ泣くことしかできなかった。

 肝心な時に何もできなかった自分に、何も言う資格はない。

 セレティアにウォルスが相応しいのも、ユーレシア王国にウォルスが必要なのも理解できた。

 それでも、言葉に出すことはできなかった。

 悔しいのではない、ただただ自分の無力さが許せなかった。


「わたしもウォルスが好きだけど、きっとフィーエルには敵わないわね」


 セレティアはフィーエルの隣の席に移動すると、そのまま話を続ける。


「勘違いしないでほしいのは、これはわたしや国のためだけじゃなく、ウォルスの命を助けるためにするってことよ」


「…………?」


「アイネスに確認は取ったんだけどね、わたしの命は十年しか保証できないんだって、笑っちゃうわよね。二十年は無理だって断言されたわ」


 ショックと同時に“ウォルスの命を助けるため”という言葉がフィーエルの頭をグルグルと駆け巡る。

 血契呪で縛られているウォルスは、セレティアが亡くなればその生命も共についえる。

 一体どういうことなのか。

 フィーエルが顔を上げると、悲哀に満ちた顔を向けるセレティアがいた。


「お父さまから聞いたのよ。ウォルスの一族を縛り付けている血契呪を解呪する方法を」


「それは……」


「主である王族が護衛奴隷と婚姻を結び、その子を産むこと。遥か昔、サイ一族を助けたご先祖様は、そういう契約を結んだらしいわ。それも今じゃ王族の一部にしか伝わってないようだけど」


 セレティアは自嘲気味な笑顔を見せる。


「通常なら立場上、この解呪に至ることはほぼない最悪の解呪法よね。王族と奴隷が結婚するなんて。でも、今のわたしとウォルスなら何も問題はないわ。誰もウォルスが護衛奴隷だって知らないんだから」


 理解できない。

 それがフィーエルが出した答えだった。

 セレティアが言っている内容と表情は相反するもので、好きだと言ったウォルスと結婚できるというのに、この辛そうな顔はどういうことなのかと。


「わたしは主として、命令してでも結婚するつもりだから、自分の本当の気持ちは伝えない。当然この解呪法についても教えないわ。ウォルスならそんな理由で子供を産ませないでしょうし」


「だったら、好きって伝えればいいじゃないですか」


「そんなの無理よ。記憶を取り戻すためにウォルスと旅をして、フィーエルをどれだけ大切にしてるかわかったから。無駄に感情を引っ掻き回すつもりはないし、必要もないでしょ」


「ウォルスさんは、私をそんな風には見てないですよ。肉親のような感じですし……」


 フィーエルも自嘲気味に返事をすると、セレティアはくすりと笑う。


「それはウォルスが鈍感だから自分でもわかってないだけよ。それに転生魔法まで使って死者蘇生魔法にこだわったウォルスなら、わたしが好きなんて伝えて死んじゃったら、一生重荷になっちゃうかもしれないじゃない? また死者蘇生魔法に手を出しちゃうかもしれないし……そうならないように、フィーエルにはわたしが死んだあと、ウォルスを支えてあげてほしいのよ」


「セレティアさま……」


「そんな顔しないの。まだ十年は生きるんだし、子供も産まないとダメなんだから」


「はい……」


 今度は嗚咽を漏らしながら、セレティアの胸にしがみつく。


「これは二人だけの秘密よ。あとのことは頼むわね、フィーエル」


 声にならない返事をし、フィーエルは何度も何度も首を縦に振ってみせた。

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