第227話 奴隷、見守る

 しばし言葉を失っていたベネトナシュだが、それもすぐに自己解決したようだ。

 フェクダたちの意思を確認すると、矛先をセレティアへと向ける。


「セレティア様、ご説明いただければと存じます。先ほどのお話では、セレティア様の記憶は改竄されていないとのことですが、精霊を含む全ての人々の記憶が改竄されている中、どうしてセレティア様だけが元の記憶をお持ちなのでしょうか」


 ベネトナシュの責めるような態度は、およそ主に対して許されるべき類いのものではない。

 しかし、この場では誰もそれを咎めない。

 そんな中、「それはね……」と言いながらセレティアは俺の反応を確認してきた。

 この場で血契呪のことを教えるのは得策でないのは、セレティア自身もわかっているらしい。

 ならば、それ以外のことで納得させる必要がある。

 親指で胸を軽く“トントン”と叩く動作をすると、セレティアもこちらの意図を理解したように頷いた。


「……わたしは一度殺されたのよ」


「はっ?」


 ベネトナシュに限らず、全員の顔が同じように自分の耳を疑うように顔をかしげた。


「言葉どおりよ。でも、このウォルスが魔法で生き返らせてくれたの。それが原因で世界が変わってしまったのが始まり。そうよね、アイネス」


「……そういうことよ。神が作った理に干渉してしまった代償ね」


 アイネスが一瞬見せた間、それは記憶がないゆえに、セレティアに合わせるかどうか悩んだためではないだろうか。

 俺がアルスであった当時、死者蘇生魔法に取り組んだ俺を、アイネスは反対しなかった。

 それが無理だと思っていたためか、禁忌に触れないと判断したためかはわからない。


 これは憶測でしかないが、イグナーウスの力で並行世界へやってきた俺の魂について、水の精霊たちが白くないと言っていたことを考慮するならば、その状態で死者蘇生魔法を使ったことで禁忌に触れた状態、つまり黒に振り切ったというのが、最も有力だと見ている。

 次点で、血契呪の効力による死者蘇生が、イグナーウスやアイネスの予想を超えたものだったというものくらいか。



「そんなこと、信じられません! 死者蘇生魔法はアルスさまでさえ完成させることができなかった究極の魔法。それをこんな人が完成させるなんてありえません! ネイヤさんまでどうして信じられるんですか!」


 必死に訴えるフィーエルの声で胸が締め付けられる。

 ネイヤは俺を一瞥すると、すぐに口を開いた。


「私は以前の記憶を、自分宛てに書き残していたのです。最初は到底信じられるものではありませんでした。しかし、その尽くが真実だと突きつけられたのです。私は過去の自分を信じているに過ぎません」


 何とも表現し難い、重くて息苦しい空気。

 ネイヤとフィーエルの間ならいざしらず、ベネトナシュたちまでネイヤに壁を作り始めたのが感じられる。

 しかし、その空気はセレティアの大きなため息一つで消し飛んだ。


「勝手に話を進めないでもらえるかしら? 今日集まってもらったのは対立したいからじゃないの。この事実を知ったうえで、話を聞いてもらわなければいけないことがあるからよ。ねえウォルス」


 このタイミングで俺に注意を向けたということ、それは本題に入る以外ありえない。

 全員に見えるように、例の薬を取り出した。


「ウォルスが持っているものは、記憶を取り戻せる唯一の薬よ。世界に一つしかないから、この場にいる一人しか飲むことはできない。それを決めてもらいたいのよ」


 当然のことだろうが、誰も手を挙げない。

 薬の信用がないこともさることながら、一つしかないものを進んで飲もうとする者などいるわけがない。

 それでも今の境遇に不満があるのなら手を挙げる選択肢もありうるが、この中に不満を持っている者がいないことも要因の一つだろう。

 フィーエルもベネトナシュたちも、一切表情が変わらない。


「私は最初に辞退させていただきます」とネイヤが最初に表明する。「以前の記憶に関し、ある程度知識を有しているので、今から得るものはないかと」


「ネイヤ様が辞退するのでしたら、我々も辞退でなんら問題ありません。一人だけその記憶とやらが戻ったとしても、何も意味がありませんから」


 ベネトナシュが淡々と話し、横に並んでいたフェクダたちも一様に頷く。

 それに倣うように、フィーエルも動いた。


「私もそんなものは必要ありません」


 しかし、この答えに誰よりも早く動いたのはネイヤだった。


「私は薬を必要としていませんが、私が書き残した記録によれば、以前の記憶を最も必要としているのはフィーエル、あなたです。辞退するのは早計かと思いますよ」


 窘めるように言われたフィーエルは不満顔を隠そうともせず、両拳を強く握っている。


「どういうことですか? ネイヤさんやセレティアさまは私に何を隠しているんですか」


 ネイヤが困った表情を俺とセレティアへと向けてくる。

 フィーエルとアルスとの関係を知っている以上、俺のことをどこまで話していいものか判断できないのだろう。


「この件はウォルス様にお任せし、私やベネトナシュたちは席を外したほうがいいと思うのですが」


「本当に辞退でいいんだな?」


「はい、たとえ記憶が戻ったとしても、全員の記憶が戻らないのなら意味はありませんから」


「そうか、ならあとは俺たちだけで話をつけよう」


 ネイヤが申し訳無さそうにベネトナシュたちを廊下へと連れだす。

 その場に一人残されたフィーエルは不安な顔すら見せず、全員が出ていくのをただじっと待っているように見える。


「説明はしてもらえるのですよね」


 扉が閉まるのと同時に、怒気が含まれた声が放たれた。

 だが、その言葉にもセレティアは動じずフィーエルを見据える。

 空気を読んでか、アイネスがフィーエルの目の前まで飛んでいった。


「説明はできないわね。ただ、薬を飲むのも飲まないのもフィーエルの自由。この薬は記憶は戻るけど、今の記憶が残るかもわからないって代物だから」


「アイネスは自分が何を言っているのか理解してますか? 今の私の記憶が全然違うみたいな言い方ですよ」


「そうね……ある意味一番記憶が変わってるのがアンタよ。記憶を取り戻して誰より悲しむのも、誰よりも喜ぶのもアンタ。今の記憶が綺麗さっぱりなくなったほうがアンタのためかもしれない」


「私の記憶の何がよくないんですか……こんなことをしなくとも、教えてくれればいいじゃないですか。どうしてアイネスは教えてくれないんですか」


「…………アルスに関することだからよ」


 思ってもいなかった名前だったのだろう。

 フィーエルは息を呑み、呼吸をするのも忘れているように見える。

 アイネスもこれ以上言う気はないのか、俺の前まで飛んでくる。


「ウォルス、アンタからも何か言うことはないの?」


 アイネスの瞳はどこか悲しげで、憂いを帯びている。

 今のフィーエルに全てを話したところで、アルスが自分を殺そうとしたことなど信じるはずがない。

 逆に、今以上に警戒されるのがオチだろう。

 ならばできることは一つしかない。


「記憶にあるアルスとの思い出が大切なら、これは破棄してくれて構わない。記憶がなくなる可能性がある以上、たとえ過去のフィーエルが望んだとしても、今のフィーエルの想いを尊重するまでだ」


「……過去の私が望んでいると言いたいんですか」


「あくまで可能性の話だよ」


「私はあなたのことを知りませんし、何かを隠している以上信用できません。私の過去について教えていただければ、この場で判断がつくと思うのですが」


 フィーエルの挑発的な態度が心をえぐってくる。

 アルスのこととわかったうえで、どうにかして聞き出したいのだろう。

 その勢いに押された結果、一瞬躊躇してしまった。


「その選択肢はないの」


 その一瞬を感じさせないタイミングで、セレティアが返事をした。


「記憶に関することを話せば、その薬を飲む飲まないに関わらず苦しむことになるからよ。そして、きっと飲まない。今こうして話してるだけでも、わたしやアイネス、ウォルスを怪しんで飲まない選択を選ぶだろうけどね」


「本当はこんなことを話すべきではなかったんだろう。疑念を抱かせることにしかなっていないのも重々承知している。しかし、以前のお前も尊重してやらなきゃならないんだ」


 そう言って、フィーエルの手に薬を無理やり握らせる。


「……だから私は……」


「すまない。あとは自由にしてくれていい」


 手のひらの薬を見つめ、フィーエルはしばらく動かない。

 何を考えているのか見当がつかないが、それでも受け取ってくれただけでいい。

 今の俺にできるのはここまでで、あとは今の記憶を胸に生きていくのか、それでも過去の記憶を知る選択を取るのかはフィーエル次第だ。


 無言のまま背を向け、扉へと歩いていくフィーエル。

 アイネスは黙ってその肩へと座る。

 その後ろ姿を、俺はただ見送ることしかできなかった。

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