第186話 フィーエル、悩む
フィーエルは自室に引きこもり、窓を伝ってゆく雨粒を、じっと見つめていた。
アイネスが言い残した言葉を思い出しながら。
「……奇跡は起きないから奇跡なのに」
アイネスが言っていた「奇跡は起きるから、楽しみにしてなさい」という言葉の意味を、何日も考えていたフィーエルだったが、結局その答えは出なかった。
アルスが死んでから、涙が枯れ果てるまで泣いた日々。
不幸は続かないと自分に言い聞かせ、ユーレシア王国の魔法師団に入団した矢先、今度はセレティアが姿を消した。
「どうして、アイネスまでいなくなったのかな……」
脳裏に浮かぶ姿は、今までになかったくらい明るい表情のアイネス。
その理由もさっぱりわからなかった。
フィーエルが唯一引っかかっていたもの、それはネイヤが報告していた、セレティアと行動をともにしているウォルスという男だった。
ネイヤの実力でも勝てず、セレティア自ら帯同させているという謎の人物。
「セレティア様を連れ戻しにいったんじゃないようだし……」
雨音しか響かない部屋に、扉をノックする柔らかい音が混ざる。
「話があります。ここを開けてもらえますか」
重苦しいネイヤの声に、フィーエルは鍵がかかっていない扉を自ら開いた。
「ネイヤさん、どうかしたんですか?」
普段より数段厳しい表情のネイヤを前に、フィーエルは一瞬言葉を失った。
とりあえず部屋へ入れると、さっきまで虚無が支配していた空間を、今度は肌を刺すような鋭い空気が埋め尽くした。
「その顔は、何かあったんですね」
フィーエルは二人分のティーカップをテーブルに並べ、ネイヤの向かいの席に腰をおろした。
「二日後に、デルク・サイ、それにあなたの兄である、リゲルの三人でセレティア様を連れ戻すことになりました。その間、ユーレシア王国を頼みます」
「……それはわかりましたけど、どうしてそんな浮かない顔なんですか?」
「フィーエルには伝えておきますが、この任務は失敗します。私とデルク、リゲルの三人をもってしてもウォルス様には敵いません」
「以前にも言っていましたが、ネイヤさんは……そのウォルスという方を本当にご存知なのですか? いくら何でも、兄さんまで加えて勝てないなんてことはないと思います」
リゲルは三属性扱えるフィーエルとは違い、水属性と風属性の二属性しか使えない。
それでも魔法力はフィーエルと同等であり、二属性同時行使に至ってはフィーエルよりも上である。
当然、並の魔法師では相手にすらならない。
フィーエルの発言は身内贔屓したわけではなく、客観的に判断しただけにすぎなかった。
「そんなことは問題ではありません。私が知る限り、あの方に勝てる者は存在しません」
フィーエルの眼光が鋭くなり、ネイヤを睨みつける。
ネイヤの発言は、アルスに認められたリゲル、引いては魔法師団長にまでなった自分をも否定するものなのだ。
とどのつまり、アルスを否定したことにほかならない。
フィーエルにとって、ネイヤの言葉は到底受け入れられるものではなかった。
「聞き捨てなりません。ネイヤさんは、エルフを侮りすぎています」
「落ち着いてください。私はそんなつもりで言ったのではないのですから」
「無理です。ネイヤさんがそこまで言うのなら、私も同行したほうがいいようです」
王の命令を無視して同行することなど許されない。
たとえそれが、カーリッツ王国の客人であっても。
フィーエル自身理解していたが、アルスのことに関しては話が別で、勢いよく立ち上がっていた。
「あなたがユーレシア王国の魔法師団の団員である以上、それは叶いません。それよりも、精霊アイネスがどこへ行ったか、気にはなりませんか?」
淡々とネイヤに諌められたうえ、今一番気にしている話題を振られたことで、フィーエルの頭は一気に冷えていった。
再び腰を下ろし、訝しげにネイヤを見つめる。
「何か知ってるんですか? アイネスは、私にも行き先を告げずに出ていったんですよ」
「知りません。ですが、大方の予想はついています」
「どこですか! 教えてください!」
迫るフィーエルを前に、ネイヤは落ち着いた様子でティーカップを手に取り、一口だけ口に含んだ。
「その前に、アイネスは何か言っていませんでしたか?」
「…………言ってましたけど……それが何か関係あるとでも?」
「ありますよ。私の予想が正しいものかどうか、それでわかるのですから」
フィーエルは逡巡したあと、覚悟を決めたように息を呑み込んだ。
誰にも教えていなかった、アイネスの言葉を口にするために。
「『奇跡は起きるから、楽しみにしてなさい』、これがアイネスが残した言葉です」
「やはり、そうですか」とネイヤの頬が緩む。
それを見たフィーエルは頬を膨らませ、納得がいかない顔でネイヤを睨みつけた。
アイネスのことを、自分以上に知っている者などいない。
それがたとえエルフであっても。
しかし、目の前のネイヤは自信に満ちた笑みを浮かべ、あまつさえ誰よりもアイネスの気持ちがわかるといった空気を出していた。
「アイネスですが、間違いなくセレティア様の下にいるでしょう」
「どうしてそんなことがわかるんですか。当然教えてくれるんですよね?」
「――――残念ですが、まだその時ではありません。アイネスはどうか知りませんが、私は確信しているわけではなく、信念に基づいて行動しているだけですから」
「言ってることが、全然わからないですよ……」
「理解されようとは思いません。ですが、アイネスが言っているとおり、奇跡を信じて待つのが、今のフィーエルの仕事です。そのためにも、私どもが留守の間、ユーレシア王国を頼みます」
ネイヤはティーカップの残りを一気に飲み終え、そっとテーブルに置いた。
「正直なところ、任務が失敗したあと、どういう事態になるのか予想がつきません。今回の任務の指揮官はフレア様ですから……」
「フレアさま、ですか……」
言葉に詰まったフィーエルは、それ以上会話を続けられない。
二人ともフレアという王女に好意的でないのは明らかであり、かといって、不敬なことを言うのは憚られるため、自然と会話は終わりを告げる。
「くれぐれも先走らないように。アイネスがやろうとしていることの妨害にもなりかねませんし、私もその”奇跡”を見たい一人ですから」
「ネイヤさんは、その奇跡について何か知ってるんでしょ。不公平です」
「ふふふっ、それはどうでしょうか」
ネイヤは「ごちそうさま」と一言だけ告げ、席を立った。
フィーエルは頬を膨らませたまま、部屋を出ていくネイヤの後ろ姿を見送った。
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