第184話 奴隷、逃亡者となる
大通り見渡し、教会に通っていそうな者を探していると、目の前をそれらしい女性が横切る。
中肉中背で、明らかに他の者より品が良く、いかにも敬虔な信者といった風貌だ。
これなら教会の場所も問題ないだろう。
しかし、声をかけて最初は愛想がよかった女性が、教会の場所を尋ねた瞬間眉をひそめ、不審な者を見るような目で俺たちを見てきた。
「どうかしたのか?」
「いえ……教会はそこの路地を真っ直ぐ抜けた先を右に曲がれば……」
一応教えてくれはしたが、その目は確実に俺たちを警戒している。
女の後ろ姿を見送りながら、セレティアは「変な感じね」と呟いた。
「行けばわかるだろう。さっきの様子からも、教会が普通じゃないのがわかる」
なぜあのような態度を取ったのかわからなかったが、路地を抜けて教会が近づいたところで、その答えが姿を現した。
妖しい香の香りが立ち込め、淫靡な空気が漂うそこは、男たちが女を侍らせ、女たちは店の前で客引きをしている、まさに娼館街そのものだった。
「な、何よここ……」
セレティアは、さっき声をかけた女と同じような困惑した表情を見せ、俺の腕にしがみついてくる。
「どうみても娼館街だな。こんなものが教会周辺にあるとは……」
クロリナ教は男女ともに、体を売ること自体は禁止してはいない。
だが、ここまで露骨に接している場所など見たことがない。
あくまで目を瞑るという姿勢で、決して教会関係者の目の届くところではやらないという不文律がある。
「何かの間違いじゃないの? こんな場所に教会があるなんて思えないわ。あの女の人、嘘を教えたんじゃ……」
「それはないだろう。あの場面で嘘をつく必要がないからな」
このまま進めば教会があるはず、そう思いながら歩いていると、あちこちから客引きの女たちから声がかかる。
どれもこれも隣の乳臭い女より、自分たちのほうが楽しめるという、セレティアを子供扱いするものばかりで、不快なことこの上ない。
「おっ、兄ちゃんかわいい娘を連れてるじゃねえか。次は俺に回してくれねえか」
正面から歩いてきた猫背の男が、何の前触れもなく、突然セレティアへ向け右手を伸ばしてきた。
見た目はただの酔っ払いで、敵意のようなものは感じられない。
「やめてもらおうか」
「イテテテテッ! 放せって! 何ケチケチしてんだよ」
男の手を捻り上げるが、男はその口を閉じることなく睨みつけてくる。
「少しくらい俺に回せよ。兄ちゃんも
腕が折れる寸前まで捻ると、男が観念したように悲鳴を上げる。
「ウォルス、それくらいにしてあげれば?」
手を放した瞬間、男がセレティアの顔をマジマジと見つめ始めた。
「もしかして、あんた生身の女なのか?」
「生身の女? 何を言ってるのよ」
「やっぱりそうか、こんな場所に生身の女がいるなんて思わねえよ」
「どういうことだ、聞かせてもらうぞ」
男の胸ぐらを掴み、足を大地から離れさせる。
足を多少バタつかせてはいるが、抵抗する気はないようだ。
「わかったから暴力はやめてくれ! ほら、その辺に立ってる女、あれ全部人じゃねえんだよ」と男はこちらを見ている女たちを指差した。「なんでも、傷を負ってもすぐに治るし血も出ないんだよ。あれは人の形をしてるだけで、人じゃねえんだよ」
「ここにいる女たち、全員がそれだというのか」
「そ、そうだよ。だからその娘を見てよ、新しいのが入ったのかと思ったってわけよ。偶には若い娘もいいなぁなんてよ! わかったんなら、さっさと手を放してくれって」
「教会はなぜ放置しているんだ」
「教会? し、司祭なら、ほら、そこにいるじゃねえか」
男はさっきとは反対側を指差す。
そこには黒い修道服を着た男が、それらしい建物から出てきたところだった。
服に乱れはなく、威厳のある佇まいだが、女が三階の窓から顔を出し、小さく手を振っているところを見ると、どういう関係なのかは察しがつく。
「そういうことか」
「もういいだろ? な?」
この国の教会支部は金で抑え込まれていたわけではなく、女を充てがわれ、内側から腐敗しきっているらしい。
人ではない以上、問題ではないと判断しているのかもしれないが、この状況は想定していたよりも違う意味で最悪だ。
手を放すと、男は腰が抜けたように尻もちを突く。
「ここの女に用がないんなら、さっさとここから出ていくことだぜ」
男はすぐに立ち上がり、チラチラとこちらを見ながら走り去ってゆく。
「え? ウォルス、どういうこと? あれが司祭ってことは……」
「ああ、あの司祭は堂々と戒律を冒している。この国の教会は、完全に腐りきっているということだ。調べるまでもない」
「じゃあどうするのよ」とセレティアは周囲から浴びせられる視線を気にしながら言う。
「ここでは俺たちのような存在は目立つだろう。気になることもあるし、一旦宿へ向かおう」
◆ ◇ ◆
娼館街及びその周辺には、ろくな宿がなかったため、普通の宿を探し当てた頃には、かなり陽が傾いていた。
普通の宿とはいっても、現在この国は入国規制が厳しいため、泊まっているのは正式な許可が下りた商人とその護衛くらいで、男女二人だけというのは嫌でも目立つ。
「はぁ~、歩き疲れたわね。ウォルスもそんな所に立ってないで、早く座って食べなさいよ」
「――――ああ、そうさせてもらう」
窓の下に広がる、夕焼けに染まる大通りには、特に怪しい者は見当たらない。
しかしここへ入る直前、一瞬だが、誰かに見られている気配を感じた。
気のせいだったのなら、それが一番だが……。
「ねえ、さっきの話だけど、ウォルスが気になってることって何なの?」
セレティアは露店で購入した二級品のパンや果物、適当に焼かれた肉をテーブルに並べ、文句の一つも言わず食べている。その姿はもうすっかり冒険者そのものだ。
「ここにいる錬金人形だ」
「子供と女の人は初めてね。以前と違って、ほとんど人との違いもないみたいだし」
「それだが、俺は一度、女子供の錬金人形を見ている――――ヴルムス王国でだ」
「セオリニング王国から、ウォルスとフィーエルが向かったあれね」
セレティアは驚きもせず、当然のように答える。
「ああ、そこで目にした錬金人形は、自立型だったが、所詮特定の行動しかできない錬金人形だった。難民だった者が錬金人形だったということなら、ヴルムス王国から流れてきたと見るほうが妥当だろう」
しかし、この進化は説明がつかない。
アルスが進化するように魔術式を組んでいたのか、それとも、他の要因でこんなことになっているのか、それもこんなに大量に……。
「俺にこの錬金人形を見せ、何を答えを求めているのか、セレティアは何か気がついたことはあるか?」
セレティアに気軽に尋ねることができるだけで、自分でも驚くほど心に余裕が出ている。
そんなことなど知ってか知らでか、セレティアは普段どおりの態度で口を開く。
「――――わからないけど、人と錬金人形の違いはなんだと思う? わたしは、あの奴隷の子の反応を見て、とてもじゃないけどただの人形だとは思えなかった。だからといって、難民として行く当てのない錬金人形を助けることは、クロリナ教と対立することになるでしょ? この辺が何だかモヤモヤするのよね」
「暗殺の対象から外す理由が、このゴーマラス共和国のように奴隷として使い、クロリナ教と対立する道ではないはずだ。少なくとも、ムーンヴァリー王国が襲われていない説明がつかない」
ムーンヴァリー王国の人々の振る舞いを見た限りでは、敬虔なクロリナ教徒という印象だった。
間違ってもクロリナ教と対立することはないだろう。
そもそもあの国は、そこまで奴隷を必要としていない。
「それよそれ! わたしは、奴隷として使うなんて一言も言ってない、助けるって言ったのよ。ウォルスはあの錬金人形を見て、何も感じなかったの?」
「――――まさかとは思うが、錬金人形に、人と同じ暮らしをさせようというのか?」
「助けるという意味ならそのとおりよ。教皇の錬金人形にも人格と呼べるものはあったけど、痛みに対する記憶がなかったり、色々とおかしい部分があったから自然と区別してた。でも、今日目にした錬金人形たちは、人と呼んでも遜色ないくらいに自然だったじゃない」
セレティアの言っていることも理解はできる。
錬金人形たちは傷に対する認識がしっかりあり、自分たちが人ではないということも理解していた。
だが、アルスが残した遺物を、俺が助けることが正しいのか?
助けるということは、クロリナ教を敵にするということに等しい。
この行動が、奴らが求めるものなのかも確証がない。
アイネスが持って帰ってくる情報次第で、答えを出さなければならないだろう。
「助けることが正しいのか、まだわからない。ただし、アイネスの――!?」
俺の言葉を遮るように、部屋の扉が激しく叩かれる。
明らかに客にしてはおかしい、乱暴なものだ。
今にも壊れそうな扉の蝶番からは、ギシギシと悲鳴にも似た音が鳴る。
「ここを開けろッ。貴様らがコソコソと教会を嗅ぎ回っているという通報があった。さっさと開けねば、タダではすまさんぞ」
「ウォルス、これって……」
窓から通りを覗くと何人もの衛兵が見え、扉越しにも大量に押し寄せているのが魔力によってわかる。
不安げな顔を見せるセレティアを見ていると、現状から推測できうる答えを口にしていいのか躊躇われる。
「…………俺たちは、既にこの国から追われているとみていい。大人しく扉を開けたところで、一方的に拘束されるだけだろうな」
「じゃあどうするのよ。捕まるわけにはいかないし、まさか、戦うわけじゃないわよね?」
「こうするしかないだろうな」
右手に軽く力を込め、壁に向かって拳を放つ。
適度に壊れた壁には、人が二人通るには十分な穴ができあがった。
そこから燃えるような夕日が、今までよりも部屋を赤く染めあげる。
呆気に取られているセレティアに近づき、その細い腰に手を回した。
「外の衛兵を見ても魔法師の姿はないし、俺はただの剣士としか思われていないようだ。苦労なく逃げるなら今しかない」
「……まさか逃亡者になる日がくるなんて、夢にも思わなかったわ」
少し楽しそうなセレティアは、両腕を俺の首へと回ししがみつく。
「それじゃあ、逃げるとするか」
セレティアが頷くのとほぼ同時に、空中へと飛び出していた。
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