第175話 奴隷、禁書に目を通す

 地下へと続く入口にこそ衛兵はいたが、その先には誰もいないと思われる、真っ暗な世界が続いていた。

 階段はどこまでも続き、「コツコツ」と高い音となって響く足音は、既に地上へは届いていないと思われる。

 この暗黒の世界では、一定間隔に設置された、人が近づいて初めて点灯する魔照炉だけが頼りとなっている。


 ひんやりと、少しジメジメする何ともいえない空気の中、金属製の扉が突然目の前に現れた。

 扉の内部には魔力が流れ、部屋全体が結界で守られているのがわかる。

 アーリンから受け取った鍵を差し込んで回すと、扉に張られた結界だけが消え去った。


「本物の禁書庫で間違いないようだな」


 ここまで厳重ならば、偽物ということはないだろう。

 部屋に足を踏み入れた瞬間、天井に設置された魔照炉で、部屋全体が照らされる。

 広さはアーリンの部屋よりも狭いくらいで、本棚はいくつもあるが、肝心の本は隅のほうに二冊仕舞われているだけだ。


「これが禁書か……」


 何の変哲もない、少し分厚めの本だ。

 本来なら多少は緊張し、手にするのも躊躇する場面だろうが、今はそんなことよりも好奇心が勝っている。

 それを手に取り、遠慮がちに設置されている机へ持っていく。

 あとは一ページずつ、隅から隅まで目を通していく単調な作業をするだけだ。


 開いて早速、怠惰竜イグナーウスの能力に関する記述、アイネスが言っていた、今は伝承されていない三頭の厄災、それらに関することが書かれている。


 最初に出てきたのは、イグナーウスの能力に関するものだ。

 討伐に挑んだ者の大半は無傷で帰還し、多くの者は当時の記憶を欠落していたとある。

 これは、今の記憶の改竄とは規模は違うが、能力の部分は同様のものとみていいだろう。

 イグナーウスが記憶の改竄に関与しているのが、ほぼ裏付けられる形となっている。

 だが、ページを進めていくにつれ、イグナーウスで多少スッキリした感情が吹き飛ぶほどの衝撃が襲ってきた。


 心臓の音さえ聞こえてきそうな無音の空間、そこで触れる事実が俺の心臓を鷲掴みにして放さない。俺が知らない三頭の竜、厄災に関する情報は、俺が知っている歴史と違っているだけでなく、信じられない情報を与えてきた。



「どういうことだ……どこまでが真実なのか……」


 三頭の厄災のうち、一頭の名前に聞き覚えがあった。

 それは色欲竜リヒド。

 あの暗殺者の女の名前だ。

 厄災に匹敵する、禍々しい魔力を持っていたあの女と同じ名前、それがたとえ偶然だとしても、決して気持ちがいいものではない。

 さらに記述の続きによると、数百年前、ある男とともにこの世界から消え去ったのが、この色欲竜リヒドというのだ。


 消え去ったとだけあるため、討伐されたわけでも、死んだわけでもないとも受け取れる。

 ここでは何も触れられていないが、この男は俺と同じように禁忌を犯したとみて間違いない。

 男の名については意図的に伏せられていると思われる点があり、禁書の著者である魔法師との接点について書かれている部分はある。


「この消え去った色欲竜がアイネスが言っていた、三頭の竜の一角で間違いないか……。どうやって消えたかまでは書いてはいないが……まず考えなくてはいけないのは、この禁書の存在だな」


 俺が知る限り、唯一アイネスだけが知っていることが、どうして禁書という形で残っているのか考える必要が出てきた。

 この国は、代々禁書を保管してはいたが、なぜ高名な魔法師がこれを書き記し、当時の王が証明したかまで突き止めるには至っていない。

 現状、考えられる選択肢としては、過去に現れた禁忌を犯した者についても、今と同じように記憶の改竄が行われたとみるのが妥当だろう。


 今回のことで、精霊であるアイネスの記憶であっても改竄されることはわかっている。

 だが、禁書に書かれていることから推察すると、過去にあったと思われる記憶の改竄では、アイネスの記憶は改竄されていないということが裏付けられたわけか……いや、少なくとも一致している、というのは確認できた。

 複数回改竄されていた場合、両方改竄されたあとの記憶、という可能性も捨てきれない。


 禁書以外の記録が残っていない理由、そもそも書かれていないのか、クロリナ教が集めて処分したのか……。禁書とは違い、誰が、何のために書いたものか不明ならば、邪教と疑われるかもしれない代物であるため、人知れず葬られてきたと考えるのも難くはない。


「現在のイグナーウスの居場所に繋がるような記述はないか……」


「満足するものは得られましたか?」


 突然背後からかけられた声に、心臓が止まりそうになる。

 振り返った先には、扉の隙間からこちらを覗うアーリンの姿があった。

 禁書に集中していたとはいえ、扉を開けるまで気づかなかったとは、少々気を緩めすぎていたかもしれない、と一呼吸置く。


「女王陛下は、魔力を消して近づくのが得意なようだな」


「ウォルス殿が気づかないほど、禁書に集中していただけのことでしょう」


 アーリンはクスクス笑いながら背後に立ち、肩越しに禁書を覗いてくる。

 椅子の背もたれに置かれた手が、若干背中に触れている。

 親しくもなく、あまりいい気分ではないが、俺の疑問を払拭するには都合がいい。


「この禁書に書かれていることの一部は、既に俺が入手していた情報と一致しているんだが」


「まあ、それはどこで得た知識なのです? 我がエメット王家以外に、禁書の内容を知る者がいるとは……」


「俺も詳しいことまでは教えてもらってないんでな。禁書にはおおまかなことは書いてあっても、詳細までは書かれていない。ここまで書いていて、この色欲竜と消えたとある、男の名前すらないのは疑問だ。意図的に隠しているような部分も見受けられる」


 記述は日記帳の部分もあり、これを書いたとされる魔法師と禁忌を犯した男が、旧知の仲だと匂わせる部分がいくつかあった。

 名前を伏せてはいるが、魔法庁でともに過ごしたことなどが語られていることから、当時、この魔法師の周辺にいる者が読めば、ひと目で誰のことかわかるようなものだ。


「禁書を書いたのは、ピスタリア王国で最も有名な魔法師、ビートワ・エルスン。そして、その記述の中心に出てくる男、それについては一応の調べはついているけれど、……知りたいです?」


 耳元で、艶のある囁き声でアーリンが語りかける。

 同時に、背もたれに置かれていたアーリンの手が、俺の肩、首、胸元へ這うようにして絡んできた。

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