第174話 奴隷、地下室の鍵を……
今日は朝から一切青空は見えず、重い灰色の雲が、地平線の彼方まで広がっている。
時折、小雨が弱々しく窓を打ち、この鬱屈した感情を表しているようにさえ思えてくる。
アーリンは昨日の一件からまだ目を覚まさず、城内は慌ただしい。
もう目を覚ましてもいい頃なのだが……。
「――――で、その二人を逃したってわけ? アンタでも手に負えないって相当危険ね」
ガラス張りの天井に、再び降り出した雨粒が一粒二粒と流れてゆく。
アイネスが真剣な表情で考え込む中、セレティアは窓の下に広がるピスタリア王国の街を見つめるだけだ。
「男の不死についてもよくわからない。幻覚なのか、魔法で死ぬ直前に何かをしたのか、まだ考えが纏まらない。それに、異空間から現れた竜も厄介だ」
「もう何が何だか分からないわね。魔力も厄災並だってことだし――――って、セレティア聞いてる?」
アイネスから声をかけられたにもかかわらず、セレティアの反応は薄い。
遠くを見つめるだけで、心ここにあらずといった感じだ。
「どうかしたのか?」
「……ちょっと考え事」
アイネスからは、魔物の大群は圧倒的な水壁で押し返したと聞いている。
魔法を使えない中、何も見せ場がなかったのがショックなのだろうか?
そんなセレティアの耳を引っ張るアイネス。
「ちょっと、そんなシケた顔してるんじゃないわよ。どうせ自分じゃ力になれないとでも思ってるんでしょ。どう、図星でしょ」
「うるさいわね」
「もう、だから人間はダメなのよ。フィーエルならこんな状況でも挫けないのに。アンタももうちょっとシャキっとしないさいよ」
「どうしてフィーエルの名を出すのよ」
「だってライバルだからじゃない」
セレティアは「ライバル?」と首をかしげてみせる。
俺にもさっぱりわからないが、かなり以前にフィーエルに言った言葉を思い出す。
「セレティアは魔法を禁止されている身だ。フィーエルと比べてやるな」
「もう、鈍感男は口を挟まないで」
「なっ……鈍感男……だと……」
アイネスはセレティアに対しては叱咤激励するように、俺には逆に呆れたような態度を取ってくる。
何か気に触るようなことをしたとでもいうのか?
何もした覚えはないし、さっきまでアイネスの機嫌も問題はなかった。
いや、気づけていないこと自体が、アイネスが言う鈍感なのだろう。
「セレティア、アンタはウォルスの主よね。主がそんなことでどうするのよ」
「そんなこと言ったって、転生したって話も、まだ完全に整理がついていたわけじゃないんだから。そこに今回の件なのよ……あまりに次元が違う話で頭がついていかないわよ。それに、ウォルスはわたしよりずっと知識も経験もある、
少々トゲのある言い方をするセレティアは、俺に一瞬視線を向けたあと、バツが悪そうな顔で目を逸した。
「それじゃあ、国へ帰って大人しくしておくことね。代わりにフィーエルを説得して連れてこようかしら」
「だから、どうしてそこでフィーエルなのよ」とセレティアは大きくため息を吐いた。「自分でもらしくないのはわかってるの……少しくらい時間をくれてもいいじゃない」
そんなセレティアに対し、アイネスは軽く息を吐くと、ゆっくりと俺のほうへ振り返った。
「まずは禁書よね?」
「それはアーリン女王が目覚めてからだな。それから奴らが言っていた、歪んだ環境について調べるのがいいだろう」
今から闇雲に調べたところで無理がある。
奴らが俺のことを知っていたこと、厄災とも呼べる魔力を有していたことを考えれば、それらは必ず残された怠惰竜へと繋がっているはずだ。
禁書には、その怠惰竜に関することが記載されているのはほぼ間違いなく、どこかに手がかりがあるとみていい。
「ウォルス殿、陛下がお目覚めになられました」
重く湿った空気で満たされていた部屋に、ライザが飛び込んできた。
今朝まで死んだように暗かった顔が、まるで嘘であったかのように明るい。
「アイネスは、セルティとここに残っておいてくれ。俺一人で行ってくる」
今の状態のセレティアは連れていける状態ではない。
だからといって一人にするわけにもいかないため、アイネスには残ってもらうほうがいいだろう。
禁書を調べる時にはいてもらいたいが……。
「わかったわ。アタシは
アイネスの口調には、少し怒気が含まれているように感じる。
機嫌が戻るのにも、それなりの時間が必要なようだ。
◆ ◇ ◆
廊下を歩きながら、様々なことが頭の中でグルグルとかき混ぜられてゆく。
ヴィルとリヒド、異空間にいた謎の竜、禁書、怠惰竜、そしてセレティアのことだ。
特に今のセレティアの様子から判断する限り、一度しっかり向き合い、話し合ったほうがいい。
この状況が俺のせいで発生しているのはわかっているはずだが、それに関してまだ一言もないことを考えても、内に溜め込んでいるものがあるのだろう。
「まあ、これはウォルス殿」
アーリンの部屋の前までやってくると、部屋の扉が開き、そこからアーリンが顔を覗かせた。
丸一日寝ていたこともあってか、血色もいいようだ。
「暗殺者はどうなりましたか?」
「捕らえるまでには至らなかったが、もう狙われることはないだろう。標的を変更したようだしな」
リヒドが言っていたとおりなら、歪んだ環境は俺が答えることになり、ピスタリア王国が答える必要はないということになる。答える必要がないということ、つまり、アーリンは標的から外れたとみて間違いないだろう。
「そうですか」とアーリンの顔から力が抜けていく。
「その代わり、俺が例の歪んだ環境の答えを出すことになった。そのためにも、早く禁書に目を通したいんだが」
「その環境と禁書が関係あるとお思いで?」
「それはわからない。暗殺者が禁書と関係があるかもしれない、というだけだ」
「どういうことでしょうか? 暗殺者が禁書のことを知っていたのなら、クロリナ教とも関係があるのかもしれません。教皇が先日、邪教に手を染め、裁かれたという件と関係が……まさか、我がピスタリア王国も、邪教を受け入れろということなのでは」
アーリンは一人で勝手に話を進め、「たとえそうであっても、邪教を受け入れることはできません」ときっぱり言い切った。
邪教なんてものは最初からなかったんだが、先日の教皇ルデリコ・ファーボットの件で再燃してしまっているのだろう。
「邪教ならば、こんな強引な手段に出る必要がない。第一に、奴らの力は一国を相手にするにも十分なものがある。それにしてはやり方が中途半端だ」
奴らが何者なのか、憶測だけで考えるのは危険だ。
確かなことは、記憶の改竄に関与していること、歪んだ環境の答え次第では、奴らが協力的になるかもしれないということくらいだ。
奴らが望まない答えを出せば、敵対するのは間違いなく、そうなれば記憶を元に戻すなどというものは、泡沫のごとく消え去ってしまうだろう。
「禁書は誰も近づけないよう、地下深くの禁書庫に保管してあります。誰も近づくことはありませんから、ゆっくりご覧になるといいでしょう」
アーリンは俺の右手を取り、両手で包み込むと、古びた一つの鍵を手渡してきた。
「閲覧するのは、ウォルス殿、だけということで」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます