第176話 奴隷、手繰り寄せる
「どういうつもりだ」
「貴方に、我が国で最高の称号である、特級魔法騎士の称号と爵位を与えましょう」
称号を与えるのはまだ理解できなくもないが、昨日今日で爵位を与えるという決断を下すのは、アーリンの一存でほぼ間違いなく、流石にやりすぎだ。
「それが何を意味するのか、わかっていないはずないと思うが」
「貴方なら、誰であろうと押さえつけることが可能でしょう? 貴方の力は、このピスタリア王国でこそ生きる。あの娘が気になるのなら、適当な地位を与えてあげるわ」
顔のすぐ横にアーリンの吐息を感じる。
さらに回り込み、覗き込むようにして見つめてくる瞳は、女王のものでありながら、情熱的な一人の女のものになっていた。
俺の力を手放さないほうがいいと判断したのだろうが、この様子では手段を選ばず、さらに踏み込んできそうな雰囲気が漂っている。
「悪いが、その手のものに興味はない」
「本当にそう? 貴方は何を得るために冒険者なんてやっているのかしら? 力を手に入れたあとは、皆決まって地位や名誉を求めるもの。貴方はそれを望むに相応しい力と、結果を残したのよ。欲を出すことは、何も恥ずべき行為ではないわ」
何も手に入れていない者からすれば、地位や名誉を求めるのはごく自然のことなのかもしれない、が、過去に一度、全てを与えられていた俺にそんな欲はない。
しかし、それを伝えられるわけもないため、適切な返答をする必要はある。
ただの道楽で危険な冒険者をするような者など、逆に怪しまれる要素しかない。
その間にも、アーリンの顔がさらに近づき、俺の顔に息がかかるほどの距離にまで迫ってくる。
手荒な真似はしたくないが、これ以上迫られても困る、と手を出そうとしたそこへ、救いの手を差し伸べるアイツが現れた。
「ちょっとぉおおおっーーーー! アタシのウォルスに、なぁーに色目使ってんのよっ!」
どこから嗅ぎつけたのかはわからない。
しかし、この地下深くの禁書庫に現れたアイネスは、禁書庫に入ってくるなり、アーリンの左頬に綺麗な飛び蹴りを食らわしていた。
アイネスが不意を突いたのもあるだろうが、それ以上に本気で蹴ったらしく、アーリンも綺麗に吹っ飛び、受け身をとる間もなく倒れた。
「よくここがわかったな」
「アタシを誰だと思ってるのよ。不自然に地下に入って魔力が消失すればわかるわよ。この部屋は内部の魔力が外部に出ない仕組みになってるわね」
アイネスは床に倒れ頬を押さえるアーリンを無視したまま、部屋をぐるりと見回し、最後にアーリンへと目をやった。
「それよりも、さっきのはどういうつもりかしら?」
「それは、その……私はただ、ウォルス殿をピスタリア王国に留めておきたくて……」
「で、色目を使ったってわけ? 次やったら許さないわよ」
アーリンは返事をせず、己の行為を恥じるように、顔を赤くして俯いた。
女王という立場でありながら、自分が何をしようとしていたのか、今さらながら理解したというところか。
「アンタもアンタよ! こんな女に誑かされそうになるなんて、フィーエルとセレティアに言いつけてやろうかしら」
「籠絡されたわけじゃないし、好きにしてもらって構わないが?」
「もぉおお! だからアンタはニブチンなのよ!」
初めて言われたと思うんだが……アイネスはずっとそういう目で見ていたということか。
何に対して鈍いのかよくわからないが、今考えるべきはそれじゃない。
「そんなことより、アイネスに来てもらって助かったよ。禁書について、ちょうど尋ねたい部分があってな」
「
「イグナーウスの力について、一部記述があったが、それでも居場所に繋がるものは見つけられていない。だが、それ以上に興味深いものはあったがな」
「勿体ぶらないで教えなさいよ」
アイネスは机の上に降り立つなり、下から俺を睨みつける。
迫力はないが、拗ねられると困るため、さっさと話すほうがよさそうだ。
「アイネスが言っていた、過去にいた三頭の厄災についての情報があったんだよ」
「へぇ~、しっかり記録は残ってたのね。これでアタシが言ったことが本当だって裏付けられたわけね」
「面白いことに、そこに出てきた色欲竜の名が、先日の暗殺者の女と同じ名ということもわかった」
アイネスは怪訝な表情を作ると、アーリンに聞かれたくないのか、俺に顔を寄せてきた。
「何が言いたいわけ? アンタ、その女が色欲竜と関係あるって考えてるんじゃないでしょうね」
「アイネスは、当時の禁忌を犯した者と、色欲竜の名を知っているか?」
「何を言い出すかと思えば、そんなの知ってるわけないじゃない」と自慢げに言い放つアイネスはすぐさま、早く言えとばかりに迫ってきた。
「色欲竜の名はリヒド。禁忌を犯した者の名は、そこのアーリン陛下が知っているらしい」
俺が口に出した途端、アイネスはアーリンの胸ぐらを掴む勢いで机から飛び降り、実際にアーリンの体を水の鎖で縛り上げた。
「そんな大事なことを隠して、ウォルスを誑かそうとしてたわけ? もしかして、それをネタに……さあ、早く禁忌を犯した者の名を言いなさい」
アイネスが精霊らしからぬ形相で睨みつけると、アーリンの表情が、漏らしてもおかしくないほどの恐怖に染まってゆく。
「禁忌? な、なんのことです?」
禁書には、禁忌については触れられておらず、それについてはわかっていなかったのだろう。
第三者が禁忌について知るには、精霊から教えてもらう必要があったはずだ。
俺ですら直接禁忌に触れているとわかったのは、アイネスや、アルスのあの言葉があったからにすぎない。
「それは知らないほうが身のためだ。禁書を残したビートワ・エルスン、その者と旧知の仲だった男の名を教えてくれるだけでいい」
「わかりました。――――ですが、その者の名について調べはついていますが、実在したかどうか未だ不明なので、保証はできかねます」
記録が残っていたとしても、記憶は失われていたはずで、あとからそれを証明するのは困難を極める。
数少ない情報に巡り会えただけ僥倖というものだ。
「その者はかつて、このピスタリア王国で、ビートワ・エルスンと並び称されたと謂われる魔法師、ヴィル・ノックスという男です」
その名を聞いた瞬間、体中に雷が落ちたような衝撃が走る。
点と点が繋がり、今まさに、線となって向かうべき目標となった。
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