第172話 奴隷、謎の敵と交戦する
「オレ様の警告の意味が理解できなかったか」
静かだった中庭に響き渡る男の声。
次の瞬間、アーリンの悲鳴だけが天高く突き抜けてゆく。
警戒していた俺の背後にいたアーリンの頭上に、特大の稲妻が落ちたのだ。
それでも魔法である稲妻など問題ではなく、俺の結界魔法が完全に防ぎきっていた。
一つ問題があるとすれば、今の衝撃で、アーリンが気を失ってしまったことくらいだ。
「暗殺というわりに派手な攻撃だな」
高度な魔法だが、肝心の魔法を放った者は見当たらない。
しかし、そいつらは音を立てることもなく、いともたやすく俺の警戒をかいくぐり、突然目の前に現れた。
空間が捻じれ、裂けた亜空間から現れた男女二人。
アンニュイな雰囲気を漂わせる二人を見る限り、あのような魔法を使えるとは思えない。
男は時代がかなり古いと思われる服装を着ていて、女に至っては時代さえよくわからない、やけに露出している奇天烈な服装だ。
「変なのがいるから特別な魔法を落としてやったのに、やたら強力な結界を張ってやがったな」
「変なのって、よく見てみなさい。彼があのウォルス・サイよ」
俺の名を出した女は、同時に、おおよそ人とは思えない禍々しい魔力を体から溢れさせる。
男もかなりの魔力量があり、一筋縄ではいきそうにない。
結果的とはいえ、セレティアをこの場から離しておいて正解だ。
「ははぁ、テメェがウォルス・サイか。アイツから聞いてたが、オレ様の魔法を止めるとは、すげえ魔法師じゃねえか」
女から名前を聞いた男は、俺を吟味するように、上から下まで舐め回すように見つめてきた。
俺のことを忘れず覚えている事実。
さらに俺を
アーリンを暗殺させないこと以外に、もう一つ厄介で重要な仕事が増えたらしい。
「俺が魔法師か……どうしてお前たちは俺のことを覚えている。いや、それ以前に、どこまで知っているんだ?」
「答えると思うか?」
「力ずくで答えさせるだけだ」
暗殺者に遠慮などいらない。
不意打ちが卑怯などと言われる筋合いもない。
傷は治療すればいいと、剣を振り抜いた瞬間、男の両腕が宙を舞う。
「痛ぇえええな、おい!」
男は予想とは違う、軽い反応を見せるだけで、血が噴き出す両腕を気にする素振りも見せない。
いくら魔法で治せるといっても、尋常ではない反応だ。
「どうした? 攻撃の手を止めるとはどういうつもりだ。あまりナメてかかると、そこで寝てる女王を先に殺っちまうぞ」
男がそう口にした瞬間、転がっていた両腕が霧のように消え、再び男の切断された腕に現れた。
どの属性の回復魔法とも違う現象、最早そういう次元ではなく、魔法を使った形跡すらない。
「何をそんなに驚いてんだよ。この時代最強の魔法師ってのはその程度なのか」
「……この時代だと?……違う時代を知っているかのような言葉だな」
「知ってたらどうするよ? テメェとは出来が違うんだよ」
男は嘲るように笑い、両腕を問題ないか確かめるように、グルグルと回してみせる。
次の瞬間には、爆発的な踏み込みで俺の目の前に迫っていた。
「次はオレ様の番だな」
戦闘を楽しむような口調どおり、戦闘は肉弾戦がお望みらしい。
加速したまま突き出された拳の速度は、今まで感じたことのないものだ。
避けてなおあまりの鋭さに、衝撃波で頬の肉が抉れそうになる。
こちらの攻撃も当然のように避けられ、全開の魔力循環でどうにか対応できるレベル。
正直、ここまで力を出したことがないレベルの格闘に、俺自身高揚してくるものがある。
「ははははっ、やるじゃねえかッ。最強の魔法師が、希望の肉体を手に入れれば、短期間でこうなるのか」
俺と男の動きに耐えられない大地や建物に、次々と亀裂が入り、見るからに耐えられそうにない。
「何者かは知らないが、ここまでの体術は見たことがない。どこでそんな力を手に入れたんだ」
世界を見渡しても、俺の実力と肩を並べられるほどの力を持った者は存在しない。
西の大国、セオリニング王国のボーグとリンネでさえ、あの程度の実力でしかないのだ。
ならば、目の前の男の存在は通常ではありえない、全てが異質なものということになる。
「軽く千年ってとこだ。テメェとは年季が違うんだよ」
「笑えない冗談だ」
答える気がないのなら、答えたくなるようにしてやればいいこと。
肉弾戦を続ける気のようだが、こちらにそんな意図はない。
攻撃の手を止めた瞬間、男が攻勢に転じる。
「どうした、もうヘバッたのか。それとも、もっとオレ様を楽しませてくれるのか」
「俺は楽しめるが、お前はどうかな」
男の両拳を手で受け止めて完全に動きを封じると、男は力比べでもするように、拳をほどいて俺の指に絡め、フィンガーロックの形へ持ってゆく。
「へへへ、こういうのも悪くねぇな。どちらが上か、やってやろうじゃねえか」
「そんなつもりはないんだがな」
男の手を握ったまま、両腕から憤怒竜イーラに使った黒炎を発生させる。
「なんだぁ?」
黒炎は男の腕から一瞬にして全身へ伝わってゆく。
「ぐぉおおおおおッッ!!!!」
「その炎は簡単には消えない。死にたくなければ、俺の質問に答えることだ」
女が手出しするかと一定の警戒はしているが、こんな状況になっても一向に動く様子を見せない。
それどころか、魔力に一切の揺らぎもなく、余裕の笑みさえ浮かべる始末だ。
「状況が理解できていないのか? こいつが話さなければ、次はお前の番だぞ」
女の瞳は、俺を完全に小馬鹿にしたもので、一向に変わらない。
それどころか、その瞳は黒炎で苦しむ男へ向けられ、徐々に怒りを含んだものへと変わってゆく。
「いい加減にしなさいよ。わたくしを幻滅させないでくれるかしら」
「……わりぃ、わりぃ…」
男から微かに声がした瞬間、異常に高まる魔力。
魔法の出処は男自身であり、刹那、男の体が膨れあがり、目の前で爆ぜて血霧と化した。
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