第171話 王女、精霊に瞠目する
そこは悲壮感漂う戦場と化していた。
土煙を上げながら接近する魔物の大群を前に、魔法師たちの士気は敗残兵のように下がっていた。
第一報での魔物の群れは、中位ランクまでに分類されていた中型のものだった。だが、実際は高位ランクである大型のブラストワイバーン、腕力に知能を兼ね備えたジャイアントオーガも混ざっているのが確認され、魔法師団の半数だけでは戦力的に厳しいことは明白だったからだ。
「なぜこんな時に……」
魔法師の一人が呟いた瞬間、目の前に巨大な"何か"が空から落ちてきた。
地震を思わせる地響きとともに、鉄臭い匂いが魔法師たちの鼻を突く。
それは鎖で拘束された、血まみれの巨大なブラストワイバーン。
それからも、ジャイアントオーガ、ゴブリン、この地では目にすることもない巨大蠍であるデスストーカーなど、瀕死の魔物が次々と落ちてきた。
「これは……まさか、これを追って大群がやってきたのか」
「どの個体も一回りは大きい……元々群れを率いていた魔物なのか!? 誰がこんな真似を」
「見ればわかるでしょ。あの大群はこの魔物を餌に、誰かが意図的にここへ誘き寄せたの。それがわかったからって、アンタたちの仕事が変わるわけじゃないんだから、シャキッとしなさい」
暗く沈む魔法師団の中に、一際透き通る声が響き、俯きかけていた魔法師たちが一斉に顔を上げる。その視線の先には、ピスタリア王国の魔法師とは明らかに雰囲気の違う少女、そして、噂の渦中にある水の精霊の姿があった。
「ピスタリア王国は優秀な魔法師を輩出するって聞いてたけど、全然そんな風には見えないわね。あなたたち、それでも国を守る魔法師団なの? しっかりしなさいよ」
セレティアは静まり返っている魔法師たちを見回し、鼓舞するように声を荒らげる。
このような発言を前に、魔法師たちも普段なら黙ってはいないだろう。
しかし、セレティアから発せられる圧倒的な存在感、それに精霊と対等にしている風格に、何も口を挟めないでいた。
「アイネス様! 我々にどうかお力添えを!」
ただ一人、魔法師の中から声を挙げたのは、団の先頭に立ち、部下へ指示を出していたライザ・ウィスタスだった。
ライザはアイネスの下へやってくるなり膝を突き、部下の目など気にすることなくアイネスへ助力を申し出た。
何ということはない、祖国を守りたい、ただその思いだけが体を動かしていただけに過ぎない。
「なかなか殊勝な態度ね。まあ言われなくても手伝ってあげるわよ。なんたって、アタシの朝食がかかってるんだから」
「朝食……?」
「貢物という意味よ! それを朝食で許してあげてるってこと。アンタも貢いでもいいのよ」
「承知いたしました! 朝食程度なら、いくらでも献上いたします」
不敵な笑みを浮かべるアイネスは魔法師団の先頭へ行き、魔力をどんどん高めてゆく。
その姿と魔力の大きさに、魔法師たちはアイネスに恐怖の色に染まった目を向ける。
本来なら希望となりうる精霊の圧倒的な力の前に、歓喜の声をあげるところだが、今のアイネスに魔法師たちを気遣う心など毛頭なく、ただ暴力的な魔力を溢れさせていた。
しかし、魔法感知を未だ使えないセレティアは、隣に立ちながら、その異常な魔力を感じられずにいた。
「魔法師たちが引いてるわよ」
「アレが普通の反応なのよ。アンタがニブいだけだから」
「わたしがニブい……」
「この場じゃ褒め言葉よ。普通の魔法師なら、アタシの横に立ってることすらできないんだから」
「嬉しくないんだけど」
アイネスはセレティアの声を遮るように両手を前へ突き出し、城壁を超える水の障壁を作り出す。
轟音とともに地面から噴き出した水壁の高さは城壁の二倍、両端は城壁と同じく視認できない距離まで伸び、分厚さに至っては城壁の比ではなかった。
それは魔法だけで作り出したものだけではなく、地下水も利用した、水の精霊ならではの魔法。
この場にいる魔法師が束になっても作り出せない規格外の魔法は、魔力を感じられないセレティアであっても単純にその凄さを理解できた。
「……ウォルスと対峙した時も思ったけど、やっぱり精霊って凄いのね」
「朝食を差し出してもいいのよ?」
「……それはやめておくわ」
「もう! そこの魔法師! 上空にいるワイバーンを撃ち落としなさい」
突然命令された
そこには水壁よりもさらに上をゆくワイバーンの群れがいた。
「殺さなくてもいいわよ。ただ撃ち落とせばいいの。あとはアタシが全てのみ込んであげるから」
「承知しました。全員ワイバーンにのみ集中ッ! 他の魔物は無視せよ」
ライザの号令によって、魔法師全員が上空にいるワイバーンにのみ狙いを定める。
先ほどまで項垂れていた魔法師たちは、巨大な水壁を前に、既に普段の気概を取り戻していた。
「放てぇぇえええッッ!!」
ライザの声で一斉に放たれた火属性魔法は、彼方にいるワイバーンに致命傷を与えるものではない。
だが、高度を下げさせるには十分な威力であり、一時的にとはいえ、何頭かは地上に這いつくばらせるに至った。
「上出来よ。それじゃあ、あとは刮目しなさい」
アイネスが突き出していた両手をそのまま上空へ向けると、それを合図にしたかのように、水壁が魔物の大群に向かって動き出す。
あらゆるものをのみ込む水壁が真っ先にのみ込んだのは、鎖に繋がれ、瀕死の状態だった魔物たちだ。
水壁にのまれた魔物は水中でぐるぐると回転し、鎖が千切れるのと同時に、その傷も回復してゆく。
「ちょっと、アイネス! あれ回復してるわよね」
「回復魔法も組み込んでるから当然よ」
「何考えてるのよ」
「別に殺すためにやってるわけじゃないから。あくまで魔物をここからいなくさせるだけ。アタシはこれでも慈悲深いのよ」
水壁はそのまま加速しながら魔物の大群へ向かうと、全てをのみ込み、透明だった水を魔物で真っ黒に染める。
水壁は魔物を閉じ込めたまま、セレティアたちの視界から見えなくなるまで突き進み、一気に弾けた。
「もう来ない、のよね?」
恐る恐る尋ねるセレティアに、くるりと回転したアイネスがふんぞり返りながら答えた。
「そんなのわからないわ! まあ圧倒的な力の差をその身で思い知ったことでしょうし、当分の間は来ないんじゃないかしら」
「まあ、時間は稼げたし、あとはウォルスの下に戻るだけね」
「それだけど、誰も近づけないほうがいいわね。もう、とんでもないのが現れてるみたいだから」
アイネスは険しく、余裕のない表情を作り、王城を睨みつけた。
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